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神様の森に

その森には、その山には、神が住んでいる。

森羅万象、山岳信仰という言葉が表すような、様々なものが生きている自然に、目に見えない存在や、神のような底知れぬ力を感じるような感性は、どんなきっかけで身につくのでしょうか。

僕のきっかけは、おそらく小学校の国語の授業の時でした。屋久島の縄文杉のことを書いた話を読んだ記憶があります。

その話を元に、木の直径を数人で手を繋いで輪になって感じてみたり、直径を表現した紙の上に何人乗れるかやってみたり。

屋久島は遠い遠いどこかにあって、さらにその奥の奥、泣き虫で運動が苦手な僕なんかたどり着けない冒険を経て見られる、そんな存在だと思っていました。

しかし、屋久島はとても近い存在だったのです。世界自然遺産に登録されたことも後押しになりましたが、なによりも、母の故郷である種子島の隣が、その屋久島でした。

結局のところ、縄文杉に会うことができたのは大人になってからでした。

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毎週月曜日は、旅の記録を書いています。

はじめての出会いは、実家の家族で行った旅行でした。朝の4時頃に起きて、フロントでお弁当を受け取ってから、暗い中を車で向かい、屋久杉センター(だったかな)に停めたら、バスに乗り換えて登山口へ。

片道数時間かかるため、朝早くに動き出さないと下山に間に合わないのです。朝食分のお弁当を食べ、出発。

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トロッコ電車の軌道(線路)に沿って山道を歩きます。軌道の周囲に大きな木が目立ってきて、山村落(小杉村という名でした)の跡地を越えると、いつのまにかトロッコ軌道がなくなって、山道に。

ありがたいことに、縄文杉のすぐ近くまで木道が整備され、それこそ縄文杉を拝むための展望台のような施設までありました。

はじめての時には、えらく感動してしまい、雨でびしょ濡れのなか涙を流してしまったことを覚えています。その時、小学校の時に、屋久杉のこと、縄文杉のことを読んだなと思い出したのです。

数千年という年月を生きている目の前の縄文杉に、尊敬というか畏敬というか、底知れない自然の力を感じました。

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それなりに苦労して歩いてきて(険しい感じはなかったですが)、疲れも期待もありましたが、それらを飛び越えて蘇った子どもの頃の記憶と目の前の存在が結びついて、生きてて良かったなぁと思いました。

大きな屋久杉には名前がついていて、そのどれもが存在感というか、説得力があります。切り株にだって名前がついているものも。

特徴的な切り株は、大きくて人が入ることかできます。発見者の名前から、ウィルソン株と言われていて、切った杉材は豊臣秀吉のもとに届けられたとも聞いたことがあります。

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ウィルソン株の中のある場所から見上げると、こんな形に外が見える。これはパワースポット的な感じしますね。

縄文杉の森を訪れてみて、緑に囲まれ、木々が静かにあることで、人間のちっぽけさを痛感しました。たった一歩で、みどりの新しい芽を潰してしまう一方で、台風などの時には手も足も出ない。

島には、杉だけでなく、滝や温泉もありました。世界自然遺産に登録された、ということだけではなく、見どころがたくさんあるし、なにより自然の力とか緑の大切さを感じられる旅ができました。

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ぜひ、ほかの風景も別の投稿で紹介したいです。

数年前、爆弾低気圧の影響で、登山者が孤立したニュースがありました。ふと、長い長いあの道が思い出され、自然の力を知ることとなりました。

残念なのは、緑が増える変化よりも、減ってしまう変化の方が可能性が高いかもなぁと思ってしまうこと。

また行きたいなぁ。


「旅する日本語」というコンテストのために一昨年書いた作品をリライトしました。


サムネイルのような風景が目の前に広がる屋久島。本当に綺麗でした。普段、緑の深い場所を知らないこともあって、屋久島はとても良かった。infocus📷さん、ありがとうございました!

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