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辞世の句は、彼の希望だったのか

北斎展に行って年間パスを買って以来、北斎のことが何かと気になっていて、何度もギャラリーに通っています。美術館なのに「いつもありがとうございます・・」と迎えてくださるようになりました(笑)

年間パスを持つことの意味は、安く観るとか、好きな作品だけを何度も観るというのもあるけれど、何より、フラッと立ち寄って、本物との対話を楽しむというのがあります。

しかも、年間パスだからこそ、知識や興味がなくても時間があれば行ける、これが醍醐味ですよね!(鼻息が荒くなってきた笑)

そんな中でnoteで見つけた北斎の記事がありました。

例えば、北斎の特徴的な青は、ベロ藍と呼ばれていた、ロシア由来の顔料で、当時はかなりの高価品。でも、北斎はふんだんに使い、富嶽三十六景の初めの頃は、その青と黒だけで多くの絵が刷られていたりしました。

そして、神奈川沖浪裏に隠された構図の謎。なぜ富士山があんなに小さくて、波が大きいのか、ひとつの仮説として「隠れ富士山」という考え方があるようです。

西洋の絵画は、なかなかに主張するイメージが強いのですが、浮世絵にあってもまた、作り手の信念というか、社会への警鐘も含まれていたというのは、とても意外でした。

考えてみると、芸術というのは、自らやその周囲を、より良くしたいと願う「人の営み」であるように思います。だから、優れた技術や斬新な表現というのは、その使い手が「どうしても、伝えたいんだ!」という思いがなければ、時の試練に打ち勝てないのだと思います。

この記事を読んでから、また北斎の作品を眺めてみると、いわゆる「隠れ富士」は、この作品だけでなく、他の作品にも見受けられる気がしました。

富士だけを描くのではなく、人間や風景を描くことで、観る者の視野を広げさせ、自然の尊さや脅威を描くこと、それが彼の使命だと思っていたのかもしれません。


ギャラリーに掲げられていた年表に、彼の辞世の句がありました。(辞世の句:命の終わりを悟った者が作る、最期の句)

人魂で 行く気散じや 夏の原

(「気散じ」というのは、気晴らし、という意味です。)

北斎が亡くなったのは4月だったので、まだ夏には間がありましたが、この風流さ。死を恐れていないようにも見えます・・もう90年も生きたのだから・・という感じかも知れません。

自然を愛した北斎は、製作するごとに、自らの技術が上達し、100歳までやれば、自然の事象を理解して、それらをありありと表現できると確信めいた言葉を遺していたそうです。

もしかしたら、自らも自然になりたかったのかなぁとも思いました。漢字の構成が、まさに「自ら然る」ですし。

そんなことを考えながら、北斎の作品を見つめると、水の中に、富士の尾根に、松林に、うっすらと木目が見えました。

江戸時代に刷られた、その版木の木目だと思うと、反対に、木目の見えない線描の細かさや、風や音など目に見えないものが、そこにあるのがわかる表現力に、北斎の手仕事の恐ろしい程の完成度を感じて、鳥肌が立ちました。


#葛飾北斎 #浮世絵 #アート #神奈川沖浪裏 #富士山

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