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北斎を魅了した青 ベロ藍の鮮烈

鮮烈な色彩を生み出す「北斎ブルー」の誕生

『富嶽三十六景』でひときわ目を引く沈み込むような深い「藍(あい)」。この色は、プルシアン・ブルーという合成化学顔料で、江戸時代には「ベロ藍」と呼ばれていた。この色は、そのままだと墨に近い濃い色だが、薄めれば水浅葱色にもなる。この鮮烈で幅広い色彩が表現できる「ベロ藍」なくして『富嶽三十六景』は誕生し得なかった。北斎の創作意欲をかきたたせた顔料の秘密を探る。

江戸時代後期の風景画ブームを支えた「ベロ藍」

日本にベロ藍(プルシアン・ブルー)が入ったのは、19世紀初頭といわれ、「ベロ」、あるいは「ベロリン」とよばれていた。その製法はプロイセンのベルリンで偶然発見され、日本の国内に入ったのは1752年(宝暦2)以降で、オランダ船の脇荷として長崎へ持ち込まれた。当時「ベロ藍」は流通量が少なく、しかも高価な絵の具だった。版元の永寿堂は、まだ目新しかった舶来の鉱物顔料「ベロ藍(プルシアンブルー)」を買い付け北斎に託した。

鮮烈な色彩を生み出す「ベロ藍」を手にした北斎は、たちまちその魅力に夢中になった。1830〜33年頃に刊行された『富嶽三十六景』全46図に「ベロ藍」が多様された。従来の植物性の藍色(インディゴ)にはない色彩に当時の人々は驚き、この企画は大ヒットした。

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図1 《相州七里浜》 ベロ藍摺

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図2 《常州牛堀》 ベロ藍摺  

風景画は空や水など青で表現される色面が多い。北斎は、定まった形を持たない空や水には「ベロ藍」を用いて、その時々に見せる「表情」や空の「遠さ」、水の「深さ」といった風景の奥行きを表現することに成功した。いつしか、風景画ブームによって「ベロ藍」はあっという間に市民権を得て、幕末の代表的な色になっていったのである。「ベロ藍」との出会が、のちに北斎を世界的な画家へと飛躍させたのだ。

「藍摺」は高尚すぎた⁈

しかし一方で、ベロ藍色1色だけでは高尚すぎて寒々しかった。版元は、後摺で衣装や岩に色味を加えている。当時、大衆向けに「売れる」商品にするにはまだ課題もあったようだ。

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図3 《甲州石班澤》  藍摺

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図4 《甲州石班澤》  多色摺
近景の突き出る岩と遠景の富士の間を流れる幾つもの線にベロ藍を使い、手前から奥へ向かってベロ藍の濃淡をつくり、富士山までの奥行き感を出している。

富士山は「日本の美」の象徴に

『富嶽三十六景』シリーズの中でこの『凱風快晴』(図1)は、『神奈川沖浪裏』『山下白雨』(図3)とともに三役とよばれ、わが国では最も評価が高い作品である。特に注目されたのは澄んだ青空だ。うろこ雲の浮かんだ空は画面のほぼ半分を「ベロ藍」のぼかし摺で彩られ、太陽が登る早朝の様子を表現している。これに対峙する富士は朝日を浴びて赤色に染める一方で、山麓の樹海はまだ夜明け前の暗緑色になっている。富士山の上へと伸びる線は、画面一番上、左右いっぱいに引かれた濃い「ベロ藍」によって抑制され、バランスの取れた構図となっている。

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図1 《凱風快晴》 1830〜33年頃(天保元〜4)

また、赤い富士山、いわし雲が広がる青空、そして暗緑色の裾野の樹海。わずか3色で構成されたシンプルな絵は、彩色の美しさで注目を集めた。(図2)

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図2 この3色に世界は驚嘆!

朝焼けに染まる富士の「一瞬」

場所や構図による見え方の違いだけではなく、季節や気象に応じて変化する富士の多彩な表情を描き分けたことでも特筆される。『凱風快晴』は別名「赤富士」とも呼ばれ、夜明けの富士山がまれに数分程度、美しい赤(朱)色になる現象である。凱風とは「南から穏やかに吹く風」のことで、『凱風快晴』とは「南から穏やかに風が吹く快晴の富士山」という意味になる。富士山の背後のうろこ雲(いわし雲)も、寒暖差が激しい朝夕か、台風一過など風の強い澄み切った空に現れる雲だ。地上では穏やかな風でも、はるか上空では雲が千切れんばかりの強風が吹いている。前日の台風が過ぎ去った後の快晴だったのだろうか。そういういくつかの気象が偶然重なった「一瞬」を捉えた傑作なのである。

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図3 《山下白雨》1830〜33年頃(天保元〜4)

画面いっぱいに配置した富士山の作品は、『凱風快晴』とこの『山下白水』(図3)の二つだけだ。裾野は夕立で真っ暗なのに対し、上空は「ベロ藍」の発色も美しい青色に積乱雲が浮かんだ夏の空。この対比によって、暗い裾野はより一層重厚感が増し、富士山はさらに雄大に感じられる。


■参考文献
葛飾北斎:世界を魅了した鬼才絵師
画狂人 北斎の世界
北斎の衝撃
千変万化に描く北斎の冨嶽三十六景
葛飾北斎 冨嶽三十六景を読む
カラー版 北斎
北斎絵事典 完全版
北斎への招待
北斎七つのナゾ―波乱万丈おもしろ人生
もっと知りたい葛飾北斎
北斎決定


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