い・ん・も・う
なぜ、あいつらは思いもよらない場所に忽然と現れるのだろう。
知人宅へ伺った、つい先日。
木目がオシャレな白いダイニングテーブルの上にあいつはいた。
髪の毛よりも深いツヤ感、栄養が不平等に行き渡った凹凸感、ウエーブのかかった長さ3センチほどの容姿。
凝視してみたら、しっかり毛根までついている。
ㇶイイイイイイ。
ゴキブリを見た時と似たような感覚が体中を駆け巡り、全身に鳥肌が立つのを感じた。
・・・はて、この黒光りしている陰毛はどなた様のもの?
キッチンでコーヒーを入れている知人を見る。金髪だ。
目の前の陰毛は黒。
知人が見たら100%私のものだと思うだろう。
いや、もしかしたら彼女は髪の毛を染めているのかも、待てよ!彼女の夫が黒髪かもしれない。
そうだ、そうに違いない。だって私は家に入ってすぐにテーブルに座っただけ。その間、股間には一切触れてない。でも洋服に陰毛がついていた可能性もある。
・・・例えこの陰毛が彼女の夫のものだとしても、証明する術はない。テーブルに横たわる黒陰毛を見た彼女は、きっと目の前にいる私が陰毛の親玉だと思うだろう。完全に私が不利な状況なのは間違いない。
こうなったら何としてでも知人がキッチンでコーヒーを入れている隙に陰毛をテーブルから払い落とさなければ。
彼女は新天地で初めてお茶に誘ってくれた方。これから関係を深め、本物の友人になるかもしれないお方なんだもの。陰毛になんか邪魔されてたまるもんか。絶対にテーブルから払い落としてしてやる。
・・・私は馬鹿だ。
手前に払い落とせばいいものを、相手が座る方へ払い落とそうとしてしまった。毛根のついた陰毛を少しでも遠くへ追いやりたい本能に抗えなかったんだろう。
そして最悪なことにテーブルがデカかった。老いた私の手が起こす風圧では不十分だった。
陰毛はテーブルを超えることができず、私の真向かいにあたる、友人が座るサイドギリギリでこちらを見つめていた。
どうしよう。
この状況で陰毛をテーブル下に落とすには、立ち上がって陰毛に手が届くくらいまで移動しなければならない。
オープンキッチンにいる彼女から私は丸見え。果たしてそれは最善の策だろうか。奇妙な動きはできるだけ控えたい。
どうしよう。
息だ!
ふーっとふくしかない。
でもいきなり息を吹いたら不審に思われる。
ひらめいた!
私はテーブルに腹を押し付けて前のめりになりながら思い切り息を吹いた。ため息に似た息遣いで。その直後に哀愁たっぷりに「疲れたわ」と呟いた。
コーヒーを入れていた知人が私を横目に微笑んだ。
「わかるわ、私も毎日クタクタよ。」
ああ、完璧な工作だったのに。陰毛はびくともしなかった。もう一度風を起こすんだ。
でも「フー」はもう使えない。
・・・!!
笑え、笑うんだマッコ。
また前のめりになり、できるだけ陰毛との距離を縮めた。そして家で起こった珍事件の話をしながら自分で思い切り笑う。
フッツハッツハッツハッツ!!!と息の荒い笑い方で。それでも微動だにしない陰毛。
自分の話で思いっきり笑うなんて結構つらいもんだな。なんて思っていたらついにコーヒーカップを2つ持った彼女がテーブルに向かって歩き出してしまった。
知人と陰毛の対峙が始まるのだろうか。
そんな心配をよそに、知人は陰毛には全く気が付かなかった。そして彼女が座ったと同時に陰毛はふわりと宙を舞い、彼女のセーターに着地した。
これでいい。
安堵した私は、ずっと気になっていたキッチンベンチに並んだ飲み物について尋ねた。
筋トレしているので、プロテインかと思ったのだ。
「エナジードリンクなの!!」と彼女が目の色を輝かせてエナジードリンクの素晴らしさを語りだした。
話は徐々に販売元へと移った。そして最終的には会員にならないかい?とのお誘い。
イエス!マルチ商法。
もしかしたら最初から会員勧誘するつもりだったのかも・・・それでも嫌われくない一心で、商品に興味を示すふりをし一生懸命話を聞いてしまった。
完全に非は私にあるのだが、最後は商品をまとめて一緒に注文しようか?との提案まで頂いた。
ああ、ここに来たときは、あなたと友達になりたかっただけなのに。嫌われたくなくて必死に陰毛と戦ったのに。
器の小さい私の心に小さな怒りが芽生えた。股間に手を突っ込んで、無法地帯(冬なので草刈りはしない)に生息する陰毛を手一杯に掴んでむしりとり、テーブルに叩きつけようと思ったけれど、大人なのでやめておいた。
会員になったら、彼女に何らかの還元があるのだろうけど、この際、陰毛1本でもごめんだね!
2時間くらいの滞在だったのだろうか、子どものお迎えの時間になったので「そろそろ帰るわ」といって玄関に向かった。
玄関のドアで振り返り「今日はありがとう」と笑顔で伝えた。
「こちらこそ楽しかった」と微笑む彼女のセーターには私の?陰毛がしがみついていた。
陰毛よ、お幸せに。
なぜだろうか。
その時私は(多分)自分の陰毛を置き去りすることに心を痛めていた。かつて己の一部であり、周囲の兄弟たちと一致団結して私の恥部を一心不乱に守ってくれた君。そのためだけに存在していた君。
役目を終えた君を卑しいと思ってしまった。そして従順だった君を他人の家に置き去りにする罪悪感。
さようなら私の分身(陰毛)、今日は払い落とそうとしてごめんね。
悲しさで涙が頬を伝うだいぶ前、壁に飾られた家族写真が目に入った。
彼女の夫は、黒髪。
なんだ、ちみは他人の陰毛だったのか。
他人の陰毛を思いやってる程暇じゃない。セーターにしがみつく陰毛を睨みつけ、清々した気持ちで家路についた。
それにしても、陰毛がこんなにも人の感情を揺さぶるなんて。
今日は愛おしい陰毛たちをいつもより丁寧に洗ってやろう。なんならコンディショナーもしてやろうか。
アラフォーにして初めて芽生えた陰毛を愛でる心。
人生とはなんと奥深いんだろう。
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