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気にかけてくれる人がいるということ

蒸し暑くなってきた6月。
再就職先が決まり、ずっと気にかけてくださっていた方に連絡をした。

その方は(以下Aさん)前職でお世話になっていた営業事務さん。
歳は私の母くらい。東京の母と勝手に呼ばせていただいている。
いや、Aさんも私のことを娘だと言ってくださっているのであながち勝手でもないかな。

私が新入社員として入社した時、周りの先輩から「Aさんはいわゆるお局だから気をつけてね」なんて言われていた。
確かに上司の方々と同じ世代で昔から会社のこと、会社の人のことに詳しく
て仕事も早い。
Aさんがいなければ回らない仕事もあるくらい、上司もAさんを頼りにしている。
”お局”と言われるとなんだか要注意人物みたいに聞こえてしまうしちょっと警戒してしまうのは私だけではないはず。
でもAさんは右も左もわからない私に手取り足取り教えてくださった。
会社の人のこと、システムのこと、事務処理のこと、業務のこと、Aさんに聞けば知らないことはないのではないかというくらいなんでも丁寧に教えてくださった。
上京してきて生活も安定していなかった私を気にかけてくださったり、雑談で緊張をほぐしてくださったり、私が通勤電車で具合が悪くなり遅刻する時もとても優しくフォローしてくださった。
本当に母のようだった。
次第に私の中でAさんへの”お局”意識はなくなっていった。

転勤が決まる前、上司からAさんに私についてのヒアリングがあったようだ。
「彼女が本社から呼ばれているんだけどAさんどう思う?」
「私は反対です。彼女はやっとこっちの生活に慣れてきた頃なんですよ。業務だって一通りできるようになってこれからだってモチベーションが高まっているのに、そんな重圧背負わせるには早すぎます。」
そう言ってくれたようだ。
でもAさんの助言も虚しく私は本社へ異動になった。
「止められなくてごめんね。」とAさんは謝っていたが、止めようと意見を言ってくださっていた事実が何より嬉しかった。
上司より私のことを見てくださっていた人だ。
私の私生活のことも配慮してくださっていた。

転勤後適応障害になり休み始めてからもAさんは月に1度必ず連絡をくださった。
仕事の話は何もしない。ただ最近暑くなってきたけど大丈夫かとかそんなこと。
気にかけてくださっているのが本当に嬉しかった。
会社を辞めると伝えた時もAさんは止めなかった。
「寂しくなってしまうれど、今の会社は若い人の可能性を潰してしまう環境にあるのは明白だから、引き止めません。守ってあげられなくてごめんね。monaちゃんの新たな一歩を私は応援します。」

東京に戻ってきてからAさんとご飯に行きたいと思っていた。
でもなんだか何も決まっていない自分で会いたくなくて、会うなら次の一歩を踏み出して始まる時に会いたかった。
そしてようやく再就職を決めてAさんに連絡をした。

久しぶりに会うAさんは何も変わっていなくて、久しぶりに前職の人に会ったけれど何も緊張しなくて、久しぶりに母と会うような感覚。
私を一目見てすぐ「あぁ〜よかった。いつものmonaちゃんだ。」
と笑ってくれた。
それだけ私は心配をかけてしまっていたんだなと改めて痛感した。
お店についていろんな話をしている時、ふと
「あぁ本当によかったな、前と同じmonaちゃんに会えて。なんだか泣いちゃいそう。」
泣かれたら私も泣いてしまうと思ったので、すぐ話を盛り上げた。
1年だ。たった1年。
たった1年職場が一緒だった人、年も母と子ほど離れている。
それでもこうしてずっと気にかけてくださって、上司にも意見を言ってくださって、私を守ろうとしてくださっていた。
「私はこうやってまた会えるようになったことが嬉しい。」
そう言ってくれた。

Aさんから私の元上司(以下Bさん)もとても心配していると聞いた。
Bさんは直属の上司だった。あの激務の中でもいつも穏やかで優しかった。
(私に辞令を言い渡したさらに上の上司)
辞令が出た後、Bさんと二人で話をした。
Bさんも私が辞令を知る数日前に知らされたようだった。
引っ越しの準備なんかもとても気にかけてくださって、家選びのアドバイスをくれたり住むエリアについて関西の情報を教えてくれたり。
Aさんが東京の母なら、Bさんは東京の父だ。
私が退職した後もAさんに「monaちゃん元気かな、monaちゃんとは連絡とってる?」とよく聞いているようだ。

Aさんと再会してて改めて私は最初の職場にも関わらず人に恵まれたんだなと実感した。
気にかけてくれる人がいるってそれだけで力になる。
その人に良い報告をしたいなとか、その人を安心させたいなとか、そんな少しの前向きな将来への希望が私を一歩、また一歩と歩ませてくれる。
喜ばせたい人が増えたな。

このご縁を大切に。

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