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さかなのこを観た感想

9/1からロードショーの「さかなのこ」をやっと観てきました。

さかなクンのエッセイが原作となった映画です。さかなクンは男性ですが、主演は能年玲奈こと、のんです。「男か女かはどっちでもいい」というスクリーンの文字から始まりました。たしかにどっちでもよかった。けれど「のん」でなければ、この作品は成り立ちませんでした。観ればわかると思います。

ちなみにわたしは、あまちゃんのときから能年玲奈は好きです。彼女はいくつになっていても目がキラキラしていて、ほんわかした声がいいです。配役がのんになった理由は、のんじゃないと「ピュアなさかなクン」を演じられないからだと感じました。


以下ネタバレを含む感想です↓↓

途中で退屈にしまうシーンが4箇所ありました…もし映画を観た人で、「私はこう思ったとか、こうなんじゃないか…」という解釈があれば教えてほしいです。

①高校生になったミー坊とヤンキーのシーン。ミー坊が釣りをしながら喧嘩を売られているシーンが長かったです。カブトガニの散歩中におきるヤンキー同士のケンカのシーンも長かったです。

②モモコの紹介で歯医者のエントランスに水槽設置の依頼を受け、その途中で荒れた海に鯛を取りに行くシーン。漁師と老婆がおどろき、「あれはさかなのこだ!」というシーン。鯛は水槽に関係なかったのでは??

③大人になったモモコとミー坊が再会し、住む家を失ったモモコと娘がミー坊のうちに転がり込むシーン。なんだか擬似家族みたいになってたけど、なんでこのシーンあったのかなと疑問です。

幸せに暮らしていたのも束の間、ある日突然、モモコと娘がいなくなります。モモコの娘のために買ったクレヨンで絵を書き出す→酔ってやけくそになったミー坊が商店街のシャッターに落書きする→寿司屋の内装外装依頼される→さかなクンの最終形態のイラストレーターとしてのデビューのトリガー??

④ヒヨが彼女と高級レストランで食事中にミー坊が合流するが、彼女が怒って途中退席してしまうシーン。このシーンに、何の意味があったのかさっぱりわからず…ヒヨはなぜミー坊を彼女紹介したかったのかな??ミー坊を使って彼女との相性を見ていたのかな??


全体的にはほっこりする映画でしたが、幼少期から高校時代までの伏線回収のパズルが1枚ずつハマっていく感動が少なかったです。結局登場人物の意味が全部がつながっていくのですが、若干嘘くさい感じがしました。どこまで本当の話なんだろうか…

プレママ目線として、子供が普通の子と違っても「認めてあげる」「個性を伸ばしてあげること」の大切さを改めて感じました。「好きに勝るものはない」けれど、現実社会ではみんながみんな好きを極められるわけじゃない。さかなクンの母の存在は大きいなあ…と思いました。

「子供の個性を認める」「子供の好きを伸ばしてあげる」「勉強ができないけど放っておく…」これから先、親になった自分がこれからできるか?と言われるとなかなかできないな…と思います。

教育的な意味ではいい映画でした。ただ、途中でだらーんとするシーンが多かったです。もう少しストーリーがテンポ良く進むとよかったかな…と思いました。のんちゃんのピュアな笑顔と、ミー坊を囲む優しい人々には癒されるかもしれません。

原作のエッセイのレビューを見たら、とても高評価でした。まさかのKindle Unlimitedだったので、早速読みたいと思います。わーい(^.^)

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