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消えてしまったTUTAYA

 僕の住んできる街からTUTAYAが消えてもう3ヶ月が経った。TUTAYAが無くなった所でCDや本といったものはインターネットで購入出来るし、電車で一駅行った所にはUTAYAよりも大きな本屋さんが二件もある。その内の一軒は一般的な本屋さんでは置いていないような出版社の本を置いてやはりTUTAYAが無くても困らない。別に生活に支障をきたすような損失ではない。なのにTUTAYAが無くなってから僕の生活は味気ないもとなった。TUTAYAが僕の住んでいる街でこなしていた役割、もっと大きく言えば地元の本屋さんの役割とは、「何気なく本を買えるということ」である。僕は地元のTUTAYAが無くなまでこんな当たりまえの幸せが大事な事なのだと気づけなかった。
 散歩をしながらふらった立ち寄りTUTAYAで買った本、学生時代、友達も出来ず楽しい事もなく鬱屈としていた。そんな自分と同じような境遇にいる本を探してみたり、自分のような人間がいてもいいのだと肯定してくれる本を探しにTUTAYAへとよく向かった。こういった経験をインターネットを介して行うのは難しいだろう。インターネットでは買いたい本が決まっていてその本を買うという目的が決められてしまう。先ほど僕の生活が味気ないものになってしまったと言うのはこの点が原因だ。TUTAYAがあった時、なんの目的もなくお店に入って文庫コーナの前に立ち、本の裏のあらすじを読んでみたり、冒頭の一文を読んでみてあれでもこれでもないを繰り返し、一つ一つの本を手にとって吟味しながら今の自分が読みたい最高の本を探した。このような経験はインターネットでは出来ない、なぜならインターネットはいかに効率をよくするかに重点を置いているからだ。(実際の所、どうなのか僕は知らない。僕にはそのように感じられるとう話)僕はインターネットで便利になった現代を否定したい訳では無い。ただ、インターネット、電子書籍の発展に伴って読書体験に置ける無駄が無くなってしまっているように感じられる。無駄と書いているがとても意味のある無駄だ。僕の街からTUTAYAは消え、将来もっと多くの本屋さんが消えるのだろう。そうなってしまった時、読書における無駄が無くなってしまったら悲しい。そういった危機感から僕はなるべく本屋さんで本を買うよう心掛けるようになった。

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