自己紹介③
小学校6年生の夏休みに入るか入らないかぐらいの日。
辛かったせいか、受け止めきれなかったせいか、衝撃が大きすぎたせいか、記憶があいまいです。
インパクトのある出来事の記憶は、断片的になってしまうのかもしれない。
朝起きてからだったのか、遊びから帰ってくるように言われたのか、学校から帰ってきてからの出来事なのか全く覚えていません。
覚えているのは、
雨戸を全部閉めて、
じいちゃん、ばあちゃん、おじちゃん、家族みんながリビングに集まって泣いている姿。
寡黙なじいちゃんが、ごめんな、と泣いている姿。
小学校4年生の弟と1年生の妹が、
みんなが泣いているのに合わせて泣いている姿。
僕は現実感がなくて、泣くこともできないまま、祖父たちの謝罪を心臓をバクバクさせながら見ていた。
「これは現実なの?」と。
1999年7月、イベント会社を経営していた母方の伯父の会社が大きな負債を残して倒産しました。
負債だけでなく、これまで祖父母の持っていたビルで出していた利益や貯蓄は、ほとんど全て会社の赤字補填に充てられていたそうです。
そして父は、伯父の連帯保証人でした。
当時の連帯保証は今と制度が違っていて「何千万までの連帯保証枠」ではなくて、一度組んだら上限のない連帯保証。
負債の全額を保証しなければなりませんでした。
その時の負債は2億あったと聞いています。
落ち着くまで、昼間は外出できませんでした。
家にいることがわかるとまずいので雨戸をしていました。
夜間だけ外にでて、買い出しに業務用スーパーに行く。
どれぐらい昼間に家から出れない日が続いたか、全く覚えていません。
どんな風に終息したのか、本当に記憶にありません。
いつの間にか日常のフリをした、それまでとは違う日常が始まっていました。
父から呼び出され、
「弟や妹には言えないけれど、お前は長男だから状況を知っておいて欲しい。これから家は大変なことになるけど、お父さんとお母さんが守るから」
と言われたことを覚えています。
弟はこの一連の出来事を20歳になるまで知らなかったそうです。
僕は社会人になるまで、ほとんど誰にもこの話をしていません。
終息した後、実家は競売に出されて不動産屋が引き受けてくれる形でリースバック。
隣に住んでいた祖父母は家を売り、借家に引っ越しました。
持っていたビルも手放しました。
債権はサービサーに渡り、返済していくことになりました。
父は、だんご屋の経営から離れることになりました。
週末の外食はなくなり、専業主婦だった母は働きに出るようになりました。
祖父に何かあってはいけないと、一時期、祖父母だけにしないように家族の誰かが順番で祖父母と一緒にいるようにしました。
あの夏の日を境に、生活は一変しました。
ただ両親は、金銭的な不自由はあれど、変わらず愛情を注いで育ててくれました。
家族の誰も、伯父を憎みませんでした。
今でも仲良しで、年に一度は従妹も交えて食事をします。
祖父はビルを持っていたこともあり商店街の役員をしていましたが、商店街の方々から「これを足しにしてください」とお金を持ってきてもらったそうです。普通は背中を向けられそうなことなのに、有難いことです。
「次もお願いされたらまた保証人になってしまうだろう」と父は冗談を交えて言います。
誰かが困っているのなら助ける。
自分に余裕がなくても、相手がお金を持っていなくても。
どんなに貧しくても心は高貴であるように、と言われて育ちました。
両親には本当に感謝しています。誇りです。
僕は伯父の会社が倒産した当時悲しかったけれど、同時にあまりに非日常すぎて変な高揚感さえありました。
両親は生活レベルをかなり落とすことになったはずなので、大変だったと思います。業務用スーパーでの買い物は増え、外食は減りました。
僕は高校卒業まで塾は行かず(行けず)、滑り止めなしで国立受験のみ。
落ちたら浪人は厳しいので就職予定でした。
新潟大学は後期で受かったのでギリギリのラインで、今ここにいれてます。
大学も入学金から生活費まで全額奨学金でした。
その奨学金が原因で裁判所に出頭することにもなりました。
修学旅行も行かせてもらって、部活も出来て、大学も受かって、両親も十分すぎる愛情を注いでくれたので、恵まれていない訳ではありません。
それでも親族の会社の倒産は、連鎖的に自分の進路と、その先に影響を与えました。
僕も叔父のことは全く恨んでいませんが、この連鎖は事実です。
絶対に娘の世代に連鎖させてはならない。
お金のために、誰かが悲しい思いをしたり、申し訳なさを感じたり、自ら命を絶つことは絶対にあってはいけない。
お金で幸か不幸かは決まらないけれど、
お金がないことで選択肢は確実に狭まります。
お金がないことの影響は本人だけでなく、家族、子供の将来に渡って及ぶことを身をもって知りました。
そんな思いを誰にもさせたくない、
次の世代に貧困を引き継がせたくはない、
中小企業を守りたい、
という思いで、資金繰りや労務管理といったバックオフィスをコンサルティングするエフアンドエムに入社を決めたのでした。
(それでも就職後めちゃくちゃ腐るのですが、それはまた別の機会に。)
そんなバックボーンがあって、ずっとお金を守る仕事に就いています。
使命だと思っています。
プルデンシャルに転職したのも、個人の方にもフォーカスしてお金の大切さを伝えたいという思いから。
代理店に転職したのも、もっと寄り添いたいと思ったからです。
これまでの経験の全てが今の自分を作ってくれていると思っています。
発達障害と同様に、この経験も育ちも
好きで手に入れたものではないけれど、
どうせなら大切な一つにしたいと思っているから
この仕事に就いています。
保険の仕事が大好きです。
これからも、
次の世代に受け継ぐ心と、愛を紡いでいけるように、
お金を守る切り口で、自分が持てる手段で全力で走り続けていきます。
自己紹介またの名を暑苦しい自分語りに、お付き合い頂きありがとうございました。
やろうぜ!
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