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医療保険不要論者から、医療保険必要論者になった話

僕は元々医療保険不要論者でした。
仕事を始めた当初そうでした。

「日本は社会保障が充実しているし、貯金がなくても別に問題ない。」
「若くてお金がないうちだけ、入っておければいい。」
と本気で思っていました。(ごめんなさい!!!)

ですので、今のネットの情報や黄色いライオンの話をしている人を見ると、昔の自分を見ているようで気恥ずかしさを感じます。

日本の社会保障制度が優れているのは間違いありません。

高額療養費制度や会社によっては付加給付もあるので、実際にかかる医療費は少額で済むことも多々あります。

だから、別になくても大丈夫と思っていました。

ネットの人々と同じ理由です。

その論調、本当に分かります。だって、合理的に考えたらそうなんですよ。

ところで僕は、多分人よりも合理的な判断を優先する方だと思っています。
情緒的な部分を抜きには考えませんが、バイアスもある程度自覚して判断しているつもりです。
個人を決して置いていかない最大多数の最大幸福が信条です。
(この話はまた今後詳しく)


そんな自分でしたが「医療保険は必要だ」と思うように変わりました。

保険屋だからかもしれません。(手数料的な意味ではなく。)
何か特別な出来事があった訳ではありません。
仕事を続けていく中で変化していきました。

保険の仕事を続けていると、給付金をお支払いする機会が度々あります。
医療保険のご加入がなく、給付金が出なかったことも経験しています。

医療保険に敢えて入らないということは、入院した時に、
「もし医療保険に入っていたら、今まで払ってきた金額の合計で30万円。
今回の医療費よりも保険に入った場合の支払いの方が多いので、医療費がかかっても結果的に保険に入らない方が得だった」
と思えるということです。

実際ご入院される場面に立ち会っていると、そんなこと言えなくなりました。経験を重ねることで、そう思うようになってきました。
(余談ですが、弁護士の方は車両保険や弁護士特約をおススメする方が多いように感じます。示談の「現場」を多数経験しているからだと思います。)

自分に置き換えて考えてみることも増えました。

いつ治るか分からないような病気になっているのを想像した時に、本当に「結果的に得だった」と思えるだろうか。
実際にADHDで保険入れないとなった時、ヤバいと思いました。(だからこそ今サポートの仕事しています。)

そんな現場を複数回経験していくうちに、医療保険についての考え方が自分の中で変わっていきました。

社会保障制度と経済合理性による判断は正しいのか。
そもそも不安な気持ちや出費痛いなと思う気持ちになることを選択することが、合理的な判断と言えるのか。
人間はホモ・エコノミクス※ではないから、ダニエルカールマンが行動経済学でノーベル経済学賞を取ったんじゃなかったか。
※経済的合理性のみに基づいて個人主義的に行動する人

経験が増えるほど、自分の無責任さと想像力のなさを感じました。
給付金の現場(出る場合も出ない場合も)に立ち会うと「日本の社会保障は優れているので、結果医療保険はなくても大丈夫です」とはとてもじゃないですが言えなくなりました。自分自身においてもそう思います。


保険募集人である我々の発言は、責任が伴っています。
入院した時の出費や、お金が減る精神的なストレス、資産形成途中の出費の痛さ、「リスクを転嫁せずに保有する」リスクも全部考慮した上で、話をする責務があると思っています。

加入の時と病気になった時の精神状態は、同じはありません。
貯金が減るダメージ、治療が長引いた時に貯金が減り続けるダメージに耐えるのはストレスです。

投資で考えたら分かりやすいと思います。
リーマンショック時に株価の下落により、不安になって株を売ってしまった方が大勢いました。経済合理性で行くと、過去に下落を経験しても経済はちゃんと回復しているので株を保有し、出来れば買い増した方が良いと言えるのに、その判断が出来た人はごく少数でした。

人は、お金が減るストレスに耐えるのは容易なことではないのです。
身体が弱っている時であればなおさらです。

本当の合理性とは何か。

それぞれが「自分の言葉で」考える必要があると思っています。

僕は「不安と思う時点で幸せではなくなる」と、多くの方の人生に触れる中で思いました。僕にとっての合理的は不安を解消することでした。

「保険屋だから不安を煽って」「手数料が」「ポジショントークだ」と思考停止して言わずに、自分の頭で、必要かそうでないかをリアルに判断することが大切だと思います。

まとめ

経済合理性の話をしていますが、本当に経済合理的な人間は存在していません。
現場で色んな方の思いや感情に触れさせてもらい、無責任に「医療保険は要りません。」とは言えなくなりました。
自分自身も今は必要性を感じています。(ちゃんと入ってます)

責務の点でも、経験から得られた実感としても、必要性を感じます。
想像力が足りていなかったことを反省しました。

だからと言って、今「要らない」と判断している一般の方を責める気は全くありません。それぞれの判断で良いと思います。僕もその立場だったので良くわかります。
それは1つの判断だと思います。

ただ、経済合理性では図れないことをお客様に勉強させてもらって今があります。

遍歴で行くと、
①無自覚に要ると思っていた
②社会保障の充実を知って要らない判断をした
③色んな人の人生に触れ、簡単に要らないとは言えなくなったし、自分は要る判断をした。
こんな感じです。

多くの方は現場を経験できないと思うので、それを伝えることが1つの役目だと思っています。

また、責任を持たない立場での扇動、医療保険を扱う人をDISったりする言動(職業に貴賤をつける行為)、断定する行為については、気持ちのいいものではないです。

医療保険不要か必要か。

今後もずっと話し合われるテーマだと思いますが、職業人として責任を持って真摯にお客様に向かい合います。
また、以前の自分がそうだったように今現在不要論者の方にも、情報を提供し続けていきます!!


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