「綺麗な事」を言うことについて

今日は内省的な話をします。

僕は多分かなり綺麗な事や理想を言うタイプの人間です。

過去には「そんなにいい人してて疲れない?」と言われる事もありました。

全く疲れません!いつも本心で思っています。

妻の両親の前でも、自宅でも、宮崎の両親の前でも態度が変わりません。妻の実家でも眠い時は普通にソファを借りて寝ます。(それはそれで…)

正義感と独善的な部分と軽率な行動で反省することはありますが、裏表はないと思います。

綺麗な事や理想を言う理由は、動機が善だと思っているからです。
(独善的問題は一旦棚上げします!)

哲学者のカントは
「善い動機のもとに行われる行為が素晴らしい」
と言いました。カントはこれを善意志と呼びました。

「善意志」は、あらゆる手立てを尽くして最善の結果をもたらそうとするが、たとえ当人の能力不足や外的要因によって思わしくない結果に終わろうとも、「善意志」の善さは決して失われることはない。

綺麗な事は実現されなかったとしても、それ自体の善さは失われないと思います。

僕はとてもミスが多いです。
「ミスが多いのは本気じゃないから」「楽しようとしてるから」と言われることも多々ありました。
そんな時、このカントの言葉に何度も救われました。
社会のために一生懸命やろうと思っていること自体、動機は否定されない。

いくらいいことを言っていても実力がないと寝言になるのは間違いないですが、
誰かのポジティブな動機の善さは、決して否定されたり、バカにされるものではない。

やり方を知らなかったり、世間知らなかったりするために、結果間違いなってしまっている人がいたとしても、動機の善は別で考えたい。
動機を否定しない。

分けて考える必要があると思います。

1つ注釈しておきます。
「誰かのために」がそもそも嘘くさいと言われる問題について。
僕の場合になりますが「誰かのためって言ってる自分が好きなこと」は理解して通り越してます。言うまでもないと思っています。
全部自覚した上で、敢えて「誰かのために」と言います。それが自分が一番自然にいられる思考なんだから仕方ない。
極端なことを言っている訳ではありません。自分や家族の生活を犠牲にしてでもとか言う話ではありません。
ただ生きるなら誰かのためになることをしたいと思う気持ちに嘘はないので、これからも綺麗な事や理想を言っていきますし、綺麗な事や理想を言ってる人を応援したいと思います。(嘘つきはダメですよ!出し抜くための綺麗な言葉は、ただの嘘だと思っています。)

こんなツイートを見つけました。

「大人になった時に、本心を隠す選択ではなくて、隠す必要のない本心を形成するのが大切なのではないでしょうか?」

素敵な言葉!!

隠す必要がない本心であれば「きれいごと=本当に思っていること」なので、自己矛盾ないと思います。ただこの感覚は親や環境にもらったものなので、本当に感謝しています。

動機が善であること。
隠す必要のない本心を持つこと。

二つを持って、
動機が善である人を馬鹿にせず、
自分自身も「綺麗な事や理想=本心」をポジティブに言い続けられるよう仕事していきます!!!

善の動機だと思っているので、実力つけて寝言にしないように努力します!!

理想を言おうよ
今だからこそ

チェキ!!

※綺麗事には元々「口だけ」とネガティブな意味が含まれるので、「綺麗な事」と敢えて言い換えています。

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