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がんじがらめから自分を開放する方法


こんにちは。百千鳥です。


今回は私のように、家庭環境が悪く影響を引きずっている人、人生の目的が見えない人、何を選べばいいのかわからない人が発見できることがある記事になります。




もくじ
1.投稿した画像から見えるもの
2.見つけられない自分
3.軸はあるが、目的がない
4.解きほぐす
5.身の回りのとっても近い人を手軽に喜ばせるところから




1.投稿した画像から見えるもの



私には日常の吐露するためのツイッターアカウントがあります。

主に記録のためで、興味あることや考えたことを垂れ流しにしています。そのアカウントに投稿した画像を第三者の目線で、眺めてみました。

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1.絵がうまい
  刀剣乱舞が好きらしい
  きれいで魅力的な人がかける
2、本の目次みたいの作ってる…作家?
3.生涯学習?の研究でもしてるの?
4.建築図面??????
5.自己分析?してるんだ…ふうん
6.着物?????着るんだ…   

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へえ………? なにしてる人…なんだろう…???




仕事は?日中なにしてるの…?学生…?にしては…軸がない…










「ニートです」








アクティブなニートだな!!!








「正確には、療養中リハビリニートです。」





あ、職業っぽくなった…?(*^^)v  ww






……にしても、要素が多い…。

絵、本、研究、図面、着物…


よくわからない。何がしたいんだ、この人…。不明だ…。







これはこれまでも、よく聞かれました。



学生の時は、こういうところに所属している人です、でオッケーです。



だけどそれ以上のことは、自分でもわからず、人に説明できず…



けれどさほど重要とは思っていませんでした。



みんな、自分のことそんなにわかってないと思っていたからです。






次第に、それぞれが自分の特性を理解し使っているのを目の当たりにして、あれ…?私って、なんだろう…、何を、軸にしているんだろう…とさ迷うことになります。








2.見つけられない自分




なぜ、こうなったのか。




自分がない、はずはありません。


これまで生きてきたからです。




だけど、自分って何なのだろう…と漠然と、ぽっかり真黒な黒い空間にたたずんでいるような気分になりました。





私はこれまで、人に喜ばれるためでなく自分のために趣味をやってきました。


趣味というものは何でも、そこから始まるものだと思いますが、極めてもなお、なのです。




終わりがない。そして漠然と違和感もありました。


人の役に立ったり喜ばせるという事も学生時代にしました。


ですが、なんかぽっかりと空虚感があるのです。




喜んでもらえてうれしい、と思う。思える。けれど…なんだか、ぽっかりする。


そして、自分で極めた趣味も、自分でなぜか使えませんでした。


人のために使うことはできても、自分には使えないことに気づきます。


極めたからと言って、目的がないと、使えないと宝の持ち腐れなのです。





それを嫌というほど実感して、自分と向き合うようになりました。


自分が、何がしたいのか。






3.軸はあるが、目的がない




自分を辿るとどうしても幼いころの環境からの影響にたどり着きます。



それだけ影響を受けていたり、消化しきれていないことがあるのでしょう。




幼いころから身近な人…主に、家庭でやること成すこと、意味がない、下手、役に立たない等の否定的な反応がとても多い環境でした。家庭で喜ばれることは、自分がしたくないことだったり、とことん馬が合わないんです(笑)


なので自然と、秘密に興味を深めるようになりました


家族はもちろん、あらゆる人まで。無意識です。




安らぎと楽しみを与えてくれたのが、趣味や興味でした。唯一の自分の世界。


一番、守るべきものでした。


趣味や興味を深めるための状態を確保するために、嘘だっていう。擬態もしてごまかしもする。ピエロにだってなれる。そうやって興味を深めるための環境を守ることはできました。



軸はあります。自分の興味を深める、そのための環境を守る。です。



私が生きる意味を見いだせるポイントです。この世だから楽しめることは、素敵な作品や不思議があるから。それをみて、体験して、より知って、理解して、楽しみたい。





しかし目的はありません。


それで何がしたいとか成りたいとか、成し遂げたいなどは特にありません。


だれかに認めてもらいたいとかもありません。


自分が興味あることができる方が、大事です。





自分の世界が侵害されたりしているなら、守るためであれば行動できます。


しかしそれ以外、なにも見当たらないのです。





見当たらなすぎると、人は立ち尽くします。


なにも、ありません。無の境地です。






4.解きほぐす




話がすこし戻ります。


中学高校大学と…

学生時代に趣味を深めながら、少しずつ人と関わるようになりました。自分の持っているスキルで人の手助けをしたり、一緒になにかしたり…




それはとても楽しいことです。

感謝もされます。



自分のできることが人の役に立てる、喜ばせることができる。

これはすごいことです。




ピアノでいう、連弾をしている気分です。


一緒にそれぞれ役割があって、合わせて調和させる。成し遂げる。


経験や楽しさ…得るものも多いし、達成感や自信にもつながります






しかし、それを何回もしても、なんだか空虚を感じる部分がありました。




この人の役に立てたのはうれしい。


この人に喜んでもらえてうれしい。


一緒に共有できてうれしい。




けれど、それで…?と思ったのです。




目の前の人が困ってたら助けるし、力になれるならなる。


そう決めている。そうするんだけど、それで、なんなのだろう…。




自分でとっても不思議でした。わからないものがわからない。





今思えば、そういった経験や感謝されたり褒められた言葉を、自分の自信につなげることができなかったのだと思います。


そう思ってもらえて、言ってもらえてうれしいって、その時は感じるけど、それだけにしちゃう。




なぜなら、人の言葉とかを真に受けると自分のやりたいことの軸がぶれちゃうから


そんなものやってないでもっとこれしろって言われても自分を保つ方法が未熟だったため、保つために隠して安全そうな人にだけほんの少し見せる。



それに好感を持ってくれて、害をなさない人に対してだけ広げていく。


そして、やっと言葉を聞けるようになる。





言葉をとても恐れていたのだと思います。



言葉で権利を侵害される経験をしてきました。



今になって思えば、口だけです。





たかが言葉。されど、言葉。



幼いころや子供の頃の私にとって、とっても大きく、脅しは本物に見えて怖くて仕方がありませんでした。






つい最近、自分が一般的ではない人間だという事が分かりました。



長い付き合いの友人にそれを言えば、驚かれました。



ずっと、言葉にしてくれていました。君は、変わっているからねと。けれど真に受けてなかったんですね。聞き流していた


10年以上の付き合いがある友人です。いろんなことを話して、いろんなことを共有しているのに、です。


こちらが受け入れられる状態じゃないと、本当に入ってこないんです…





だからこそ人から褒められても真に受けられなかったのだと思います。


聞いてるけど、聞いてない。私の中にまでは入らない。


許容範囲内までならすこし受け取るけど、それ以上は難しい。





それをこれまで、できる時にできる範囲まですこーしずつ、すこーしずつ解きほぐしてきました。


時には、合唱コンクールの伴奏兼指導補助として。

時には、イラストを意思疎通のツールとしてわかりやすく。

可視化させたいイメージを代理で描いたり伝えたいメッセージをイラストにちりばめる。




そんな経験を人と共にすることで、同じことをしていても違う点だったり、自分と他人をあたりまえを比較したり。


なんでだろう、何が違うんだろう、使えそうなとっかかりはないかな、と自分を探していました。


結局、自分は自分の中にあるのですが、それらの経験や得られた視点があったからこそより気づきやすくなったと思えます。






自分を見つめるのには


まずは自己満足ができることをする、というのが効果ありました。




外で自分を探しても、データはあつまっても取っ掛かりはありません。



自分のことを知りたいなら自分の中。



ただそういった、自分の中の探り方をしらなかった。


教えてくれるところもありませんでした。


ひたすらよさそうなのを参考にして、ためして、改善して…そんなことをひとつひとつしてきて…やっとです。すっごく疲れました。本当にうつ病になったくらい!(笑)


これをまともにやってたら、人間生活できないやー…って身をもって分かりました(笑)


そんな自分の経験も活かして、身の回りの人を喜ばせたりしていきたいですね。



これが、今の私の目的です。







5.自分や、身の周りのとっても近い人を手軽に喜ばせるところから



すこしずつ解きほぐしてきて、やっと今、私は人を喜ばせるのに自分のスキルを使おうと自発的に思えるステージに立てました。




おぎゃー!生まれたてベイビーです。(めっちゃでかい)





自信持てないだとか自己理解が足りないだとか自己肯定感が育たないだとかまあ、いろいろありましたが、一番取っ掛かりに繋がったのは、なにで自己満足しやすいか、でした。

自己肯定感や自分を信じることなんてそれやってれば後からついてきます。




本読んで、参考になるならラッキーです。


私はそこらの内容はあまり参考になりませんでした。とりあえず読んで、あ、これ、元々自己否定してない人向けの自信つけよう!本だわ、というのがほとんどでした。

自分に合った深さの本があればいいのですが…。まあ、運ですね。もはや。






最近は、自分を喜ばせ方も少しずつ分かってきています



先日、『ものすごい低い自己肯定感を上げる方法』という記事を書きました。



このさらけ出す方法で、色々気づきがあり、生活に取り込むようになりました。




自分にとって、安心できる環境はどんなところか。それを、自分の部屋や日常で取り入れることはできるか。


そういったとても小さい積み重ねによって障害がすくなくなり、苦がすくなくなり、生きやすくなります。そして、居心地のよさを把握することができます。




自分らしさも、見えてくるんですね。



自分を知りたいなら生活から整える、のだと思います。







私は軸のため、趣味を安心して続けられるために、ピエロにもなれてしまいました。環境を確保するためにごまかし、自分で自分を化かして、自分が分からなくなってしまったのだと後で気づきました。



もしあの時、自分に問うてくれる存在がいれば…と思います。


その場所で話したことは秘密としてしっかりと守られ、吐露できる安心できる環境があり、何度も回数を重ねるとなんでも話せるようになっていくような居場所があれば。


そしたら、自分で自分を見失うこともなかったのかもしれません。


見失っていても、帰るところがひとつはあるという安心感から、不安で焦りすぎることもなかったかもしれません。




そういった秘密に守られる場所での会話は、カウンセリングがあります。



せっかくなら、真っ白の個室より、素敵な庭でお話しできるような、サロンのようなところでリラックスしてお話したいものです。


すこしお花の香りのする庭園で、薄味の紅茶でも飲みながら。


もしくは、日本庭園が見える個室でお茶でも飲みながら、ぽつぽつと。

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そういった環境づくりをして、カウンセリングをするというのも楽しいかもしれません。





自分の中に潜んでいた大きな障害はだいぶ、解けてきました。



あとは、できること、ハッピーになれることを積み重ねていくだけです。



そんなお手伝いも今後していきたい。



めざせ人生イージィーモード (* ̄0 ̄)/ 





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