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野球少年だった私が看護師を志した理由

こんにちは、こんばんは、ももパンダ🐼です。

今回は私が看護師を志した理由についてお話しようと思います。

看護師を志す理由としてよく聞かれるのが
①親が看護師(医療従事者)だったから
②家族が助けてもらったのを見て自分そうなりたいと思ったから
③誰かの役に立ちたいから
④国家資格だし給料もいいし食いっぱぐれることがないから

ざっとこんなところだと思います。
恐らく看護学校や新卒の面接では①から③のようなことを話す人がほとんどだと思います。

私の場合は親族親戚に一切医療従事者はいません。
また幸いにも進路を決定するまでに家族が大きく病院のお世話になることもありませんでした。
そんな私がどのような思考で看護師を志したのか!先が長くなったので時代ごとに分けていきます。


⚽️小学生時代⚽️
私自身は幼い頃から小児喘息で入院もしており、私は覚えていませんが母から「男の人(男性看護師)がいい!」と当時言っていたと聞かされました。このことは私が看護師を志した理由のひとつになっています。その後小学生の高学年になり、喘息のほうも落ち着き始めサッカーを始めました。当時日韓ワールドカップがあり、サッカー人気はすごかったです。私は野球が好きでしたが、野球クラブがなく、サッカーも好きだったため友達と一緒にサッカーを始めました。小学4年生からはじめ、小学生を終えるまでに2回骨折しました。骨折はしたものの、いずれも手術適応ではなく、保存で治ったのは幸いです。

⚾️中学生時代⚾️
いよいよ野球部に入りました。
しかしなんとまぁ怪我の多いことでしょうか、5月ごろにある体育の授業(スポーツテストだったかな?)のクラウチングスタートをした際に腰を痛めました。全く腰が曲がらない、くしゃみでも痛い、血流が悪くなったのか7月なのに手足が冷えるなど散々でした。せっかく始めた野球も数ヶ月できずお手伝いの日々。今思えば何故最初に病院に行かなかったのか不思議ですが、日々整骨院に通っていました。
もちろん小学生の頃は「プロ野球選手になりたい!」と思っていましたが中学生にもなると、現実もわかるので、その頃から漠然とですが「自分みたいに困っている人を助けられる仕事がいいなぁ」と思うようになりました。またその中でも最有力だったのは理学療法士になり、整骨院を開くということでした。

🚑高校生時代🚑
高校生になってもなんとか野球を続けていました。
2年生になり文系に進むか理系に進むかという話がありました。理学療法士になりたい私は理系に進みます。しかしながら中学生のころから理系教科は死ぬほど嫌いだし苦手です。特に物理は本当に嫌いです。
ここからの進路は大学や専門学校、就職とありますが、理学療法士になるには大学か専門学校に行かなくてはなりません。しかし我が家の家計を考えると専門学校に行く余裕はないので国公立の大学です。大学となると看護師より理学療法士の方が求められる偏差値は高く、物理など私の苦手な分野を要求されます。
高校3年生の私は自分の夢を追いながらも、現実的ではないことも理解し、全く興味のない工学部なども頭に過ごしていました。
そんな高校3年の秋、学校が終わって自宅に帰ると右下腹部の異常な痛みが現れました。家族の帰宅まではなんとか耐え、帰宅後夜間対応の病院に行きました。
その時点ではもう自分で動けないほどの痛みでした。一通り検査をした後によくわかりませんが入院になったようです。そこから1週間入院していたようですが、一回だけトイレに行ったことと、熱が39.6度という見たことない数字がでていたことしか覚えていません。ちなみに1週間というのも当時の自分はわかっていませんでした。後日親に聞いて1週間寝ていたことを知りました。
1週間経過したある日、救急車にのりました。
どうやらその病院では手術ができないらしく国立病院に救急車で移動するようです。初めて乗る救急車。乗り心地は大変悪いですね(笑)
周りが見えないのでめちゃくちゃ酔います(笑)

国立病院に着くとよくドラマで見るように担架から「1、2、3!!」との掛け声で移され、救急外来と思われる場所でポータブルレントゲンを撮りました。その後直ぐに恰幅の良いドクターに「すぐ手術ですね」と言われ、そのまま手術室へ。
麻酔をかけるらしいですが、手術室にはEXILEのLovers Againが流れていました。その後麻酔科医が来て「10数えるうちに寝ますからねぇ」と。「またまたー笑笑」と思っているうちに寝ており、気づくと咳き込むはお腹が痛いはで大変でした。なぜかここの記憶は鮮明です。その夜は痛みがひどく大変でした。夜中にナースコールを押したかったのですが、ナースコールが見当たらず「すみません」となんとか声を出して呼ぶと「ここにナースコールあるんだからこれ押してよ」とちょっと年配の女性看護師に冷たく言い放たれたことははっきり覚えています。
結果的にいうと「虫垂炎で、1週間寝ている間に腹膜炎を起こして死にかけていた」ということです。ただの虫垂炎なら腹腔鏡でできるところですが、お陰様で4-5cmほど腹を切り、ドレーンまで入っていました。身体を切る時に横の傷というのは痛いんですよね。
そんなある日若い女性の看護師さんが洗髪してくれました。この時点で恐らく10日ぶりくらいの洗髪は気持ち良かったです。また長らくベッド上にいたため腰が伸びずに腰を曲げたまま歩いていると、元気なこの看護師さんに「おじいちゃんみたいじゃん!もっとしゃきっとしないと!」と笑顔で言われたこともまたはっきり覚えています。この看護師さんとの関わりが私が看護師になるかと決心した最も大きなポイントです。
名前も病棟も覚えていませんが、是非お礼したいです。

退院すると教室の雰囲気はガラッと変わっており、完全に受験モードです。出遅れました。
学力はギリギリラインでしたが、定期テストは頑張っていたので推薦を出してもらい、無事試験にも受かり、看護学校にいくことになりました。


人生のいうのはタイミングだなとつくづく思います。
今のコロナが蔓延る時代に高校生だったら医療の現場には足を踏み入れなかったかもしれません。
新卒でこんな大変な現場に出ている方や、長年戦っている方には本当に頭が下がります。
その後総合病院に就職し、転職していくわけですが、その内容はまた別の記事で書こうと思います。

長く読みにくい文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。
甲子園も始まりましたし、なにより文章を書いているのが楽しいので、ちょっと今後とは関係ないことも書いてみたいなぁと思ってます。
また宜しくお願いします🤲


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