情報量の消化と実践バランス

こんにちは、午後も頑張りましょう。

ふと、自分の興味や関心について考えると、
メジャーで流行っているとか、人気がある対象の人やお店やメディアにおいて、全く関心がなかったり、ときどきいいな、と思ったりするのだけど。

これだけ多様化しているのだから、当たり前かな。
そもそも、情報量が多すぎて、全部なんて到底受け入れられない。好きなものや興味のあることだけでもすでに情報量は多い。

選ぶのも大変。

インターネットの普及やSNSのおかげで、すぐに欲しい情報は得られるのだけど(昔なら図書館で調べたりしていたことさえ)自分はアナログだ。
呼吸をして、食べて寝て、動いて、五感を持ち、感情も表情もある。

情報はツールとして、利用するものだと思うけど、情報にコントロールされてはいないかなって、ときどき感じる。

あ、情報は、匂いや音や視覚、味も全てが含まれるけど、今私がテーマにしているのは、それら以外の情報だ。

たとえば、私は歌を歌う。
「歌」だけでも色んな歌があり、音楽にも色んな音楽がある。でも、生きている間に聴ける音楽は限られている。歌う空間、時間も、永遠ではない。

一回一回のライブや録音のために必要な情報と、それを消化するエネルギーと、発信、実践する「力」バランスが、自分の色として映るのだろう。

勉強にしても、情報だけ得ても、それを消化(覚えて)自分のものとして使えるようになることが目的だとしたら、時間もそれなりに必要で、体力も大事。

目的に応じた適度な情報量を使えると、有意義と言えるのかもしれない。


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