私の新しいお守り 〜タトゥーを入れて思う事〜
「タトゥー入れました。」
身近な人にそう言われたら、どう感じますか?
日本に住んでいる人達は、大小の差はあれども嫌悪感を抱く人が多いのでは?
私が住んでいるカナダでは、警察官、学校の先生、銀行員、お医者さん、パン屋のお姉さん、子育てに奮闘するお母さんなど、職種や置かれている立場に全く関係なく、男女共に沢山の人達がタトゥーを入れている。
ワンポイントで小さいものしか入っていない人、身体中の至る所に入れている人、カラフルな柄の人、多種多様だ。
なかには勢いや軽い気持ちで入れたものもあるとは思うが、大抵はそれぞれのタトゥーにその人の色んな思いや意味があり、大切な体の一部になっているのだ。
そして、私も生まれて初めて「タトゥー入れました。」
入れた理由
18年間一緒に過ごした愛犬モモを亡くし、そのヒーリングプロセスとして。
ずっと私を支えてくれたモモにこれからも見守ってもらうため。
この人なら任せても良いと思える彫り師さんが見付かった。
タトゥーが入っていても、変な目で見られたり、嫌悪感を抱かれたり、差別されたりしない国に現在住んでいるから。
日本には数年に一回しか帰らないし、帰るのは大体長袖の時期(別に見られても気にしないが)。 温泉に行くならタトゥーOKの場所を探して行くか、貸切や露天風呂付きの部屋に泊まれば問題ない。
タトゥーを入れるまでの私のプロセス
ネットでタトゥーに関することを調べて知識を身に付ける。
デザインを考える。(初めは名前だけ小さく入れようと思っていたが、ネットで色々デザインを見ていたら「あれも良いな、これも良いな。」と思い始め、シンプルではあるが最終的には当初考えていたものよりかなり大きなデザインになった(笑))
既にタトゥーを入れている人達に、体験談などを聞いてみる。SNSでも情報を得る。
彫り師さん探し。 自分が入れたいタトゥーのデザインを入れてくれそうな彫り師さんにコンタクトを取る。
彫り師さんに実際に会いに行って話しをする。(無料)
この人なら信頼出来るという彫り師さんが見付かり(私は2人に会いました)、デポジットを払ってデザインを依頼する。この時にタトゥーを入れる日の予約もする。
予約日の2日前にデザイン案が送られて来る。
デザインの修正を細かくお願いする。
予約当日。
実際入れてみてどうだったか
生まれて初めて入れたので、入れる前に不安がなかったわけではない。
入れて後悔しないだろうか?
思っていたものと全然違う仕上がりにならないだろうか?
めちゃくちゃ痛くて、彫っている最中にやめたくならないだろうか?
1番の心配は、やはり“痛み”だった。
既に入れている人に聞いたり、ネットで調べても、結局のところ実際に経験してみないと分からないから、1本目の筋彫りの時はかなりドキドキした。
痛みは人ぞれぞれだし、性別やどこに入れるかでも痛みは全然違うそうだ。
私は痛さ具合を基準にして入れる場所を決めたわけではなく、いつも自分の目に入る場所に入れたかったので前腕にしたのだが、運良く(?)前腕はあまり痛くない場所との事。
それでも、「どこに入れても、痛いのは痛いよ。」と何度も聞かされていた。
私の前腕での痛みは、結論から言うと、
「全然痛くなかった。」
もちろん無痛ではないが、心地の良い痛みで、言葉で説明するのが難しいのだが、「ある意味気持ち良かった。」と言う表現しか出来ない。
彫り終りに近づいた時、「もう少しこの時間が続けば良いのに。」と思ったくらいだった。
(かかった施術時間は2時間45分)
こればかりは経験してみないと分からない感覚であるのは間違いない。
あの気持ち良さは本当に不思議な感覚で、タトゥーにはまる人の気持ちが良く分かる。
(もっと敏感な場所に入れる場合は、痛くてあまり気持ち良いものではないのかもしれないし、中には「痛すぎたから二度と入れたくない。」と言っている人もいる。)
タトゥーを入れている時よりもむしろ、数日間続いた傷口の強烈な痒みの方が断然辛かった。
痒くても掻いてはいけないので、軽く叩いたり、冷やしたりして痒みを誤魔化してはいたけれど、2晩眠れなかった。
タトゥーは悪なのか?
日本ではタトゥーは反社会組織、罪人のイメージからあまりアップデートされないまま、タトゥーを入れている人全員が反社会組織に所属しているわけじゃないと分かっていても、タトゥーやタトゥーを入れている人達への偏見は根強く残り、そのステレオタイプに縛られたままなのではないかと思う。
タトゥーは、自分自身を癒す行為だと私は思う。
ヒーリングプロセスの一つ、自分への誓いや覚悟表明、お守り、自己表現方法なのであって、多くの国では社会的に受け入れられている。
「タトゥーが目に入るだけで不快だから、見せないで欲しい。」と言う人もいて、人それぞれどう感じるか、どう思うかは自由なのだが、ダイバーシティを認めようという流れにある今、差別や攻撃の対象にされるのではなく、一つの個性としてタトゥーも受け入れられる社会になっていくことを願う。
タトゥーそのものは、悪ではないのだから。
そもそも日本の学校教育で、子供の頃からとことん個性を潰されて皆んなと同じ格好をさせられるのだから、個性を認め合うという感覚がなかなか養われない事も、問題の根本となっているように思う。
タトゥーを入れて何が変わったか
自分がタトゥーを入れた事でタトゥーに対する視点が変わり、少し大袈裟に聞こえるかもしれないが、見える世界が広がったと言える。
ダイバーシティについて更に考えるきっかけにもなったし、今までタトゥーを入れている人を見ると、ただ「タトゥーが入っている人だ。」としか思わなかったが、今は人が入れているタトゥーのデザインが気になるし、そこにはそれぞれ色んな思いやストーリーがあるのだろうなと想像するだけで、なんだかハッピーな気持ちになる。
そして、”I like your tattoo!” “Nice tattoo!!” と時々声をかけられるようになり、逆に私も同じように、素敵だなと思うタトゥーを入れている人に「素敵だね!」と時々ではあるが言うようになり、タトゥー談義に花を咲かせる事もある。
全然知らない人でも、タトゥーを入れている”同志“としてのちょっとした交流が、何気ない短い時間なのだけれども、とても楽しい時間なのだ。
タトゥーの世界は知れば知るほどかなり興味深く、自分の人生を楽しく出来る一つのツールだと思う。
タトゥーを入れて、私は全く後悔していない。
むしろ入れて本当に良かったと思っている。
旅立ったモモがずっと私を見守ってくれているし、すっかり私の体の一部になり、私のアイデンティティの一つなのだ。
そして、「次入れるなら、どんなデザインにしようかなぁ。」と考える時間が楽しくて、その時間が私の日常に彩りを与えてくれる。
そう、タトゥーって皆んなが思っているよりも、ハッピーで、奥深く、楽しくて、優しいものなんです!
「タトゥーは嫌い!」って思っている人は是非一度、タトゥーを入れている人に、そのタトゥーにはどんな意味があって、どんな思いで入れたのかを聞いてみて下さい。もしくはそのデザインから想像してみるだけでも良いかもしれません。
それでも「嫌いなものは嫌い。」と思うかもしれないけれど、自分が入れたいと思わなくても、タトゥーに対しての嫌悪感が減るきっかけになるのではないかと思う。
嫌悪感ばかり持って生きていくよりは、少しだけ視点を変えて、様々な価値観を受け入れながら生きていく方が、世界が広がり、心が満たされていく感覚が増えていくのではないかと思う。
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