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再設計世代とか言われるとムカつくんですけど。

連休前進行ってこんなに大変だったっけ。とにかく各方面の〆切に追われておりましてnoteまで手が回らないや……と思ってたんですけれど、氷河期世代の私にとって、どうにもモヤモヤすることがありまして。それが、この話。

人生再設計第一世代……なんでそんな名称に変えられなきゃいけないんですかね。氷河期世代とか、ロスジェネとかっていう呼び方も寒々しくてなんだかなーとは思っていましたけれど、でもそう呼ばれる分には「そういう時代に影響を受けた私たち」と思えるからまだマシですよ。「バブル」とか「ゆとり」とかも嫌がる人はいるでしょうけど、「そういう時代に影響を受けた人たち」という意味ではわかりやすいような気はします。
でも、「人生再設計」って……。これじゃあまるで、再設計しなきゃいけないポンコツ集団みたいじゃないですか。
仮に我々がポンコツ集団だとしてもですよ、じゃあそうさせたのは誰なのよと。
ネーミングセンスがないという問題ではなく、いやセンスももちろんないんですけど、どうにもこうにもにじみ出る「上から目線」が気になります。言うよね〜。


最近、氷河期世代というのは何なんだろうというのをよく考えます。。

50代くらいの同業界の方々と仕事の話をしていると、こんなことをよく言われます。
「へえ、あそこの仕事もやってるんだ。それだけこなしてたら、結構もらってるでしょう。1000万円いくんじゃない?」
バカ言え。その半分すらいかんわ……。
で、実際の年収はこれくらいですよ、あそこのお仕事もページいくらくらいですよ、というお話をすると、だいたいこう言われます。
「ええっ、もっとうまくやったほうがいいよ!」
うまくやるってどういうことなんだろう……。もっとギャラを上げてくださいと言えばいいんですかね。私にはちっともわからないのです。私の能力がこんなもんだから、こんなもんしかもらえないのとちゃいますの?
でも、もしかしてこの感覚って「氷河期メンタル」なのかもしれません。

先週は、「わたし、定時に帰ります。」の原作者、朱野帰子さんのインタビュー連載(全5回)をやらせて頂いてました。

このインタビューのときに、氷河期メンタルの話が出たんですね。
氷河期世代は、就職活動で心を折られまくって、自己肯定感が低くなっているという話です。採用試験に落ちまくることで「ああ、私には能力がないんだ」という気持ちがどんどん強くなっていき、やっと採用してもらったところでむちゃくちゃな働き方を強いられても「やっぱり私に能力がないから、こんなに時間がかかってしまうんだ……」「もっと頑張らなければだめだ……」「せっかく雇ってくれたこの会社を辞めたら、どこにも行くところはないのだ……」と自分を追い込んでいく。そういう人多いよねという話でした。

めちゃくちゃ身に覚えがある!!!
私も新卒で入った小さな出版社では、タクシー帰り(自腹)はしょっちゅうだったし、終電で家に帰ってから深夜に自宅で仕事をしたり、土日に仕事をしたりというのも普通でした。それでも3日間のお盆休みがあったんですけど、旅先の長野から、伝票か何かをFAXしてたな〜〜。ここに務めていた3年間、行きつけだったバーには2〜3回しか行けなかったという悲しい思い出が。
でも、「ここで仕事を覚えさせてもらわないと、もう後がない」「他に行くところはない」とすっかり思い込んでいました(しまいには上司とケンカして何の考えもなく辞めるわけですけど)。
ただ、それ以上に「仕事をすること」自体が好きだということに気付いてしまった、というのもありました。どんな仕事でも楽しくて、やったことが売上という数値に跳ね返ってくるワクワク感、読者からお手紙をもらったときの喜び、そういうのも「やってやるぜ!」という燃料にはなっていました。
ちなみにそうやって深夜に会社で仕事をしていると、当時お付き合いしていた男性から電話がかかってきて、「いい加減に帰れ!労働基準法違反だ!このままじゃおまえ死ぬぞ!」と脅されるというのも、多々あったなぁ……。当時は「うざっ!お前も働け!」と思ってましたけど。

で、私、「今言われるがままにやらなきゃ、言われた以上のことをやらなきゃ、行き場がなくなる!」と自分を追い込むような感覚というのは、自分が卑屈な性格ゆえだと思っていたんですね。でも、朱野さんの小説を読んでいて「あれ、もしやみんなそうなの?」と思ったんです。それで朱野さんに伺ってみたら、「そういうのが氷河期メンタルだと思うんです」と。

もちろん、私の周りにも就職活動がうまくいった人たちもいるし、仕事で成功してセレブのような生活を送っている人もいるわけですけど、私はそういう人たちに比べて「お金で評価してもらえるような能力がまったくない」と思っていました。(その分、お金じゃなく評価してもらえればいいし〜と脳天気に思ってもきたんですが)
でも、そういうふうに思わなくてもいいのではないか、と、インタビューをしながらちょっと前向きになれたんですね。

それでもう一度確かめてみようと思って、氷河期世代の精神構造というテーマでさらに取材をして記事を書いてみたわけです。

今、子どもの貧困という言葉がよく使われるようになってきていますが、その子どもの親世代というのは、この氷河期世代だったりもするんですよね。
就職がうまくいかずに非正規雇用で働き、結婚して子どもが生まれても安定した給料が手に入れられなかったり、体をこわしてしまったり、メンタルをやられてしまったりする人たちがたくさんいる、氷河期世代。ブラック企業なんて言葉が流行り出すちょっと前の、人手不足の中で働き始め、心や体をずたずたにされた人も多い世代。ちょうどその頃にネットの掲示板とかがめちゃめちゃ流行って、ちょっとうまくいってない人は「自己責任だ」とか「負け組」とかボロクソに書かれた時代もありました(今もかな)。

そういう世代の我々から「氷河期世代」というネーミングを奪わないでいただきたい。まだ「氷河期だったから」という背景が見えるだけでも、救われる人は多いはずだから……。「人生再設計」なんていう言葉で追い詰めないでほしい。
こう書くと「氷河期を言い訳にするな」と言いたくなる人もいるかと思うんですけど、氷河期メンタルは「自己肯定感が低くて常に不安に煽られて自分を追い詰めていく」って感じですから、氷河期を言い訳にしていい思いをしている人っていないと思うんで、勘弁してくださいね。

なんて恨み辛みのような文章を書き綴って参りましたが。
私はまだ人よりちょっと元気があるほうなので、同じ氷河期世代で理不尽な目にあっていたり、時代や環境に翻弄されて苦しんでいたりする人に、何か少しでも「大丈夫だよ」という安心感や「一緒にもう少しがんばっていこう」という力をおすそわけできないものかなと考えています。
それは書くことだったり、無料塾や子ども食堂の活動を通じてだったり、いろいろあると思うので、とにかく今できることを、ひたすらやっていこうかなと。
そうやって活動していることが私にとって、「お金に換算できない価値を生み出すこと」となって、自分自身の生き方を肯定できることにもつながっていくと信じています。

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