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Buona fortuna italia! 頑張れイタリア!


イタリアが大変に過酷な状況にあるとの話を知るにつけ、イタリア国民の皆さんやヴァチカン市国の皆さんの無事と快復を祈らずにいられない。

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2000年 クリスマス ヴァチカン

西暦2000年のミレニアムにして大聖年であった年、そのまさにクリスマスに私はヴァチカンにいた。
世界中から何十万とも何百万ともつかないカトリックの巡礼者が集まるなか、私もサン・ピエトロ大聖堂の聖年の扉をくぐった。

黒人のタクシー運転手さんに盛大にボラれながらも、朝日の昇る何時間も前にホテルからサン・ピエトロ大聖堂に到着して、『天国の門』の異名を持つ聖年の扉を通るべく列に並んでいたのだった。

イタリア一か国に10日ほど滞在して、最初から最後まで、いわば宗教的インパクトを受け続けたが、やはりミレニアムのクリスマスのヴァチカンはそのクライマックスだったと思う。

大聖堂内の荘厳な暗い大空間に何かが鳴っている、と思えば、それは昂る私の脈動だったりしたが、いやあれはあの時ヴァチカンに集まっていたキリスト者たちの歓喜の拍動だったのかも知れない。

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受け止め難いほどの芸術的インパクトの連続

私はキリスト者ではないのだが、キリスト教を信仰する人たちの作り上げてきた絵画や彫刻、音楽、建築、街、習俗にはそれまでも惹かれ続けてきた。

そして実際に見ることができた芸術的遺物や生ける遺産には、往時からの数学や化学や物理学や天文学が幾層にも集積しているという当たり前のことに、現地に行けて始めて気づいた。

宗教的世界観をこの現世に再現するために、その時点での学問的成果がすべて注ぎ込まれているからこその、あの発色であり構図であり、あの立像であり調であり、あの建造物群なのだ。
何世紀にもわたって芸術を科学で貫いている。
しかし元となる芸術的情熱の源は、何世紀にも何世代にもわたる宗教的情熱だ。

私はイタリアにいる間、そんな宗教的インパクトに撃たれ続けてへとへとになり、夜は20時くらいにはもう眠くなってしまう毎日だった。

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老婆心が発動するほどの日本アニメブーム

しかしその反面で、テレビでは北斗の拳やらんま2分の1が流れ、空港の土産物屋に並ぶピカチュウに西欧の子供たちはくぎ付けなのだった。

そしてわたし的には
(北斗の拳やポケモンはある種のファンタジーとして了承されるだろうが、らんま2分の1に描かれる「日本の学校生活や通学風景」「空手道場を営む道場主の家庭環境」「戯画化された中国武術と日本の格闘系漫画史の関係性」などは、説明なしに伝わるまい)
ということが、ヴェネツィアでもフィレンツェでもローマでも、とても気がかりなのだった。

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『働く』ということは『明るく働く』ということ

イタリアの人たちは、多くが働き者で、明るく働くことを旨としている人が多いように感じた。
根っから明るい人たち、というより、生き方の姿勢として明るくあろうとなさっている方が多い印象を持った。

腹の立つ対応をされることが皆無、というわけではなかった。
しかし、歴史あるホテルで鼻歌を歌いながら昼も深夜も働くホテルマンや、世界一古いカフェで軽やかに給仕をする老ウェイターや、夜明け前から広場の水を掻き出す清掃員の楽し気なシルエットの動きが、芸術的インパクト同様に、とても忘れがたい。

ただ生活シーンでも労働環境でも、日本人に比べれば、パーソナルスペースを必要としないのだろう。
相手の息遣いや体温が感じられることが、きっと大切なのだ。
その麗しい美点が、今回はラテンヨーロッパの人々の仇となっている。

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Buona fortuna italia!ボナ フォルトゥーナ イタリア!

明るく働くことを旨としている働き者が住む、芸術超大国。
10日間の滞在でも、私はイタリアから大きな恩を受けた気がしている。

どうかイタリアの傷がこれ以上深くなりませんように。
いま恐怖と苦痛と戦う方々が、一刻でも早く快復なさいますように。


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