天国に犬がいないなら、そこはフェンホフであって天国ではない。

犬が死に際して、苦痛や暗さを感じることはあっても、そこに恐怖や哀しみはないのではないか。

犬が他の動物や人間に殺されるとしたら、怒りはあれども恨みや憎しみという感情は生まれ得ないのではないか。

死に向き合う犬は、本来ただ透明なのでないか。
犬の死と人の死は、同じ死とは言えないのではないか。
それは犬と人ほどに、種類が違うものなのではないだろうか。
先日、妹の犬を看取って、改めてそう感じた。

生前に死を想像する犬はいない。死の瞬間にも、それを静かに見つめているだけだ。ただ一筋に最後まで生き切るだけだ。
人がそうありたいと願う最高の境地を、犬は体得していると私には思える。


「全ての犬は天国へ行く」という戯曲のタイトルはとても素晴らしい。
しかし果たしてその天国とは、犬だけの天国なのか。
報われない生を生き、人の手で殺された数多の犬を思えば、人のいない清浄な国に迎えられた方がいいに決まっている。

けれど善良な人の安息の地に犬がいないのだとしたら、私はそこを天国とは呼べない、よくてフェンホフだ。フェンホフで十分だ。

そのようにいろいろ考えると、犬と共生できる今生の日々こそが天国に匹敵する至高の暮らしなのかと思う。
妹宅の犬より数歳若い我が家の老犬は、まだ健勝だ。
ならば明日もこの天国を、犬の尊さに見とれながら共にてくてく歩みたいと思う。

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