見出し画像

離婚前には散歩が嫌いな妻をよく散歩に誘った。


元妻はそもそも散歩が好きじゃなかったのか、私との散歩を通じて散歩が嫌いになったのか、よくわからないが、要は散歩が嫌いなようだった。

散歩好きな私はそれでも、赤瀬川源平さんが愛したトマソン物件的な、名状しがたい不思議な建造物や従来の意味からはみ出したような妙な遺構を見つけると(かみさんに見せたいぜ)と思ったものだが、彼女はあいにくそうしたものにピンとこないタチで、何にせよ、うまく誘い出せることは少なかった。

決してそれが原因ではなく、その人と私は離婚したが、仕事ではパートナーのままで、犬と猫の父母のままで、なんやかやと一蓮托生的付き合いは続いている。

離婚後に元妻は、田舎からお母さんを東京に呼び、一緒に暮らし始めたので、仕事のパートナーである私は義理の息子だった頃の何十倍も頻繁に、元義理の母と会うようになった。

豪快で女傑といった風の女性で、80歳近くなっても大勢の人に頼られ、仕事もこなし収入もある。離婚についても「結婚も離婚も一度してみたらいいんです」と言って、一度も責められないままだ。


そんな元義理の母を元妻が、コロナ自粛をきっかけに、よく散歩に誘うようになったのだから、世の中ってわからない。

お母さんと呼ばせてもらうが、そもそもこのお母さんが、無目的に歩くという事が出来ない人で、さすが元妻の母なだけある散歩嫌いは血筋か、という感じだったのだが、コロナ自粛での母の体力の衰えを気にした娘が、散歩嫌いをおして散歩に誘うようになったもので、母子連れ立って、早朝の都心を歩くようになった。

かつて私の誘いにしぶしぶついてきた元妻が、攻守入れ変わって、乗り気じゃない母親を誘い出す役になったのだ。


ただ、私と元妻は、散歩好きと散歩嫌いが固定したままだったが、お母さんと元妻はこの春ごろから二人して散歩が大好きになった。


お母さんはいまや、朝5時から軽く2時間、10キロ以上も歩くようになった。
用のないところに出向くなんて全然意味がわからない、と少し前までは頑なに言っていた人なのに。


変化の理由は、一つには娘の献身的な誘いと同行、それと大きな地図に今日歩いたルートや渡った橋をマーキングして、成果を視える化した点も大きいと思う。


生まれ変わった元義母は元来の豪胆さを散歩にも反映し、例えば中央区からお台場のフジテレビまで十数キロ歩いて、帰りはタクシーで戻ってくるのだった。


東京都心部は町としての歴史が古く、メッシュで見た1キロ単位の町域で担ってきた役割が違うので、歩いていてもどんどん貌が変化していって、とても楽しい。

また例えば門前仲町を中心とした深川エリアでも、平岩弓枝の書く深川と池波正太郎の書く深川、映画「洲崎パラダイス 赤信号」の戦後間もない青線地帯としての深川、倉本聰の描いた「前略おふくろ様」の首都高が通る直前の材木場としての最後の深川など、幾層もの時代を透過するという愉しみ方ができる。

散歩をしながら、そういう楽しみが延々と続くのも東京歩きの愉しみだと思う。


何にせよ、この世に散歩好きが二人増えて、それだけでも私は大変喜ばしいのだった。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?