見出し画像

【喫茶店日記】2月20日 日曜日 唐揚げ、冷めたコーヒーとケーキの端きれ。


2月20日  日曜日

もう降っても大したことないだろうと見くびっていたけど、今日が今年で一番積もった。

白くて眩しい午前、いつものように、北さんが来た。北さんには、濃いめに落としたコーヒーと牛乳(牛乳は金継ぎされた北さん専用の器の6分目くらいまで入れる)をお出しすると決まっている。わたしが持っていくと北さんは「おぉ、おぉ、ももちゃんが持ってきてくれるだけで最高のコーヒーだなぁ」とニコニコしながらお決まりのフレーズを言ってくれる。今月の頭に、常連さんから店が買い取った古本の中の一冊、イギリスの伝統菓子の古いレシピ本を、北さんは本棚から見つけたようで、朝の光の差し込む窓辺の席でそれを読んでいた。彼はいつも帰り際に扉のところで振り返って手を振り、「さぁて」と言ってよく何かしら言葉を残していくのだが、今日は「さぁて、今日はももちゃんクッキーと紅茶で一服でもしようか」と英国風なことを言って去っていった。そのときの満面の笑顔と、薄茶色の毛糸で編まれた帽子をかぶったまん丸の頭が、ちいさな少年のようにしか見えなくて、可愛らしかった。扉の向こうは白くてキラキラ光っていて、眩しかった。北さんは知り合いがとにかく多いから、人の名前は大体覚えない。女性のことは大概「ねえちゃん (年齢は問わず)」と呼び、男性のことは「大将」と呼ぶ。しかし、気づいたらわたしは、喫茶店にいるあのねえちゃん、から、ももちゃん、として認識してもられるようになっていた。いつからだっただろうか。わからないけど、いつものことながらそれは素直に嬉しいことだと感じた。眩しい景色に消えていった北さんは軽トラで自分の仕事場へと向かって行った。

ちょっと前から時々カウンターに座るおじさんがいる。いつも、野菜や何かしらをお土産で持ってきてくれるが、何者か知らなかった。今日は入ってくるなり、「マスター、唐揚げ好き?」と聞いた。なんでも食べますよと言ったら、いやぁ、たまにさ嫌いな人もいるじゃん?、と言って、ほらよ、と言ったかんじでビニール袋を手渡した。マスターはありがとうございますと言って、早速プラスチックの容器に入ったそれらを細かく一口サイズに切って、カウンターに座っていた常連さんたちと私たちスタッフで分けて食べた。コーヒーと唐揚げ、といった不思議な組み合わせも、ここだと悪くないなと思える。どこで買ったか聞いても、彼は「その辺だよ」と投げやりに手を大きく振って答えるだけだった。わたしは久しぶりに唐揚げを食べたけど、それは唐揚げの味がした。でもわたしが食べ慣れていたような唐揚げとは違って、それは少し甘く味付けされていて、レモン汁と合わさって甘酸っぱかった。マスターはレモン絞る派なんだな、と思った。

彼はどうやらゴミ処理関係の仕事をしているらしく、春からゴミ捨ての仕方が変わることを教えてくれた。お会計の時に、唐揚げご馳走様でした、とわたしが伝えると、彼はニヤッとして「あぁ、美味しかったでしょ?今度はちょっと特別なの持って来るから。キミ、嫌いなものはない?」といった。


おやつの時間の爆発的な混雑が終わり、気がついたら外が暗くなっていた。でも、この頃は日がのびてきたなぁと感じるようになった。そんな薄暗く、ほのかに明るい時間に松葉杖をつく彼はやってきた。わたしは、あ、と思った。しかし、わたしが言葉を発する間も無く、彼はカウンターの方に来るやいなや「ももちゃん、ほら、あれ、あれ、なんだっけ」と言った。

つい2.3週間くらい前の話だっただろうか、彼は、最近修理してもらった椅子の写真をうれしそうに見せてくれた。その椅子は、以前この店に置いてあった古道具だったのだが、かけている部分もあったりしてガタガタであまりいい状態のものではなかった。でも、彼はその椅子を持って帰った。わたしはそのことをもうすっかり忘れていたのだけど、彼はその後その椅子を職人さんにお願いし、きれいに直してもらい、さらに座面には新しいテキスタイルを張り替えてもらったらしい。写真の椅子は、すっかり生まれ変わっていた。「いいですね。ウィリアム・モリスですね。」とわたしが言ったら、そうそう、それそれ、と言って彼はとても満足そうだった。わたしはこんなに可愛がってもらえて、さぞ椅子も幸せであろう、と思ったのだった。ものを大事にするとは豊かなことだと思った。

そして今日、「ほら、あの椅子の座面の、デザインした人、なんていう名前だっけ」と、唐突に彼はわたしに聞いた。「ウィリアム・モリス」とわたしは答えた。あ〜それそれ、もうさ、すぐ名前とか忘れちゃうんだよねぇ〜とあっけらかんとして、そう言って笑っていた。

彼のお父さんが数日前に亡くなり、それ以来初めての来店だった。わたしはすぐに、御愁傷様でした、と言ったようなお悔やみの言葉をかけなくてはと思っていたのに、椅子の話ですっかりタイミングを失ってしまった。そのすこし後に、彼の隣に座った常連さんが、随分急な話だったな、と言ってその話を切り出した。わたしはキッチンにいて、その流れでマスターやるりさんは、お父さんを偲ぶ言葉をかけていた。でも、椅子の話が、わたしに気を使わせないための優しさだったような気がしてしまい、全然違うかもしれないけど、そう思うとなぜか声が出なくなってしまった。カウンターにみんな集まってお父さんの話をしているのに、わたしは裏でケーキの端きれを、もうすっかり冷めているコーヒーの残りと一緒にもぐもぐ食べていた。

そういうことばのやり取りをそつなくこなす大人でありたいと思うのに、もぐもぐしている自分がもどかしかて、やれやれとがっかりしたりするが、いつものようにケーキの切れ端に満たされた。期を見て、お父さんがわたしに可愛い冗談を言ってくれたことは、話したいな。と思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?