酔えない夜にクラブで
日を跨ぐ時間帯のクラブは世界で一番欲に塗れている空間だと思う。友人に連れられて向かった大阪のクラブBAMBIには終電を過ぎている時間帯だというのに多くの人が列を成していた。むしろ行く当ての無い人が行き着く先の一つがクラブであるから、それは至極当然のことだったのかもしれない。並んでいる間にも、入場するまでもなく列の中同士で声を掛け合ってネオン街に消えていく男女を数組見かけた。なんと欲求に忠実なのだろう。
三十分ほど経ってやっとのことで入場料を強面のスタッフに支払い、右手に紙製の入場証を付けて地下へと潜る。何度経験しても決して慣れることは無いだろうなと思いながら携帯と金銭だけポケットに入れて残りの荷物をロッカーに預ける。
ところで、クラブに訪れる人間には大まかに二種類の人間がいる。純粋にDJがかける音楽を楽しみたいという欲求でそこにいる人間と、純粋に己の寂しさ若しくは性欲でその場限りの相手を捜し求めている人間。この両者が相容れることは決して無く、そして、友人の付き添いで来た僕はそのどちらにも属していなかった。その時点で相応しい人間でない僕がこの空間に馴染むのは困難であったと言えるのかもしれない。
クラブに来るのは初めてのことではなかった。日本で今までに三度、それから海外で一度。すべて人に連れられてのことだった。その夜も変わらず視界に入ったのは、首を振りながら手を挙げる客、肌色の露出が多い服で踊るダンサー、それを盛り上げるDJ達。いつもと同じ光景は少しばかりの安心感を与えたが、それが緊張を解すことは無い。既に様々な欲望で入り乱れたフロアには、夜が更けても次々と”何か”を求めて来る客が入り続けた。
ロッカーに荷物を預けて新しくフロアに来た女、にすかさず声をかける男、に話しかけられるのを待っている女、好みの相手に話しかけては無視される男、を哀れみの目で見る女、誰も捕まらずに仕方なく適当な人間で妥協する男、に仕方なく妥協してあげる女、を押しのけて進む成立した男女ペア、それを鬱陶しそうに統制するセキュリティ、そして彼らにぶつかられて人知れず体制を崩す僕。
カウンターでお酒を手にしては焦ったような顔で声をかけに行く男は、早くこの場所から抜け出して楽になりたそうだった。話しかけられては壁際で苛立った顔を浮かべているプライドの高そうな女は、もう当分はこの場所に来ないだろう。今二人で外に出た美男美女は、適当な理由をつけてホテルでも向かうのだろうか。片方を見たことがあるような気がしたが、いくら考えても思い出すことができない。
僕は、自分に酔えない人間で、雰囲気に酔えない人間だった。そしてそれは何度クラブに足を運んでも変わることは無かった。何度音楽に身を任せて躍ろうと試しても、誰かに話しかけようと試みても、その数秒後にはそうやって楽しんでいる自分を客観視してその違和感に耐えることができないのである。スポットライトに照らされてこの空間を楽しめる人間と、僕を含めたそうでない側の人間の違いが一体何であるかについて、冴えない頭に思考が巡る。
浮世離れした場所への許可証として右手首に付けているバンドが、いつの間にかクラブという監獄に僕を閉じ込める鎖に思えて、二時間も過ぎる頃には一刻もこの場所から抜け出したいと考えるようになっていた。一番後ろの喫煙所でタバコを吸いながら浴びたEDMと光線の中で揺れるフロアは、薬とアルコールの切れた脳みそにサイケデリックな感覚を与えて、どこか自分が何かの宗教の儀式に参加しているかのような錯覚を持たせる。
すれ違う男女の品定めするような視線。きっと僕はその棚にすら陳列されていない。そんな彼らに見初められては声をかけられて消えゆく知り合いを見送り続け、気づいた頃には本来自分以外に三人居たはずの集団は、一人も残っていなかった。
”友達”という存在ではなく、個々の”男”と”女”として彼らが本能を露わにする姿はあまり見ていられるものではない。今回もそれに変わりはなかった。所在を無くして喫煙所とその真反対にある喫煙所を何度往復したことだろうか。憔悴した顔でトイレの鏡の前に立つ度に、向こう側の僕が「所詮お前はそんなもんだよ」と言っているような気がした。そうさ、そんなもんさ、それを確かめるために来ているんだ、と強がって心の中で言い返す。
「〇〇くんですか?」「いや、違います」
「お姉さん一人?あ、すみません髪が長いので見間違えました」
「お兄さんバンドやってる?」
声をかけてくるのは男ばかり。なんでやねんおかしいやろ、勘弁してくれ。
クラブに行くのは異文化交流として好きなのだけれど、如何せん疲労が釣り合わないので半年に一回、いや、一年に一回でいいやと思うのだった。