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生まれ変わりの春:「花くれない」

 前々から行きたい和菓子屋さんがあった。地元の商店街の一角に佇む和菓子屋さんだ。何となく気品があって入りづらいと思っていたけれど、デパ地下と銘菓コーナーを経た私なら、きっと入れる。そう思って、お店に行く日を決めていた。

 その前日、私は寝不足で、何だかネガティブ思考が止まらなかった。一挙一動でへこんでしまう。なんで人と比べて、私はこんなにできないんだろう。なんでこんなに不器用なんだろう。
 またぐっすり寝たら、いつも通りネガティブ思考はなおる、と思っていたけれど、次の日の朝もネガティブは引き摺られた。どんよりした気分でありながら、心の片隅では確かに考えていた。
 大丈夫。和菓子を食べたら、きっと気持ちもリセットされる。

入店
 当日、ドキドキしながらお店の前に来た。達筆で書かれたお店の名前は、やっぱり気品があってかっこいい。
 意を決してお店に入ってみると、「いらっしゃいませ!」とフランクな声が聞こえた。想像していたよりも、ずっと気さくな感じの店だ。店員さんと、お得意さんらしき若い女の人が話している。会社用に和菓子を買って行くらしい。その後も、そういったお客さんが次々訪れていた。
 「気になる和菓子があったらお申し付けくださいね。」と店員さんが声をかけてくださった。正直、全部気になる。今の季節といえば柏餅だし、「水」と名前にありつつ緑色のお菓子も気になる。
 しかし私は、やっぱり「いかにも生菓子みたいな生菓子」を食べてみたかった。和菓子に詳しくない私でも、なんかあの、見た目がふわふわな可愛いやつはよく見かける。

 「すみません、この「花くれない」をお願いします。」
 
見た目
 イートインコーナーで心をくつろがせていると、店員さんがお菓子とお抹茶を持ってきてくださった。

 いいなあ…本当に、「和」の気分…。 
 こういう空間で和菓子とお抹茶をいただく機会って、あまりなかった。目の前には確かに作り手の熱がこもったお皿にお椀、そして和菓子とお抹茶。
 

 今回頼んだ和菓子「花くれない」は、ちょっと黄みがかったピンク色に、若葉のような緑色が合わさった、見ているだけで暖かな春がそこに来そうなお菓子。ふわふわのきんとんが、その優しい印象を更に増している。 さあ、待ちきれない。早速食べてみよう。

お味
 まずは、その舌触りに驚いた。口の中で、しゅわっと溶けるきんとん。和菓子って、こんなに「しゅわしゅわ」しているんだ!和菓子において初めて出会うオノマトペに、驚きが隠せない。
 中まで進むと、贅沢なつぶあんの層が顔を出した。つぶあんのゴロゴロと、きんとんのしゅわしゅわが、緩やかに混ざり合う。
 味に集中したいと思いつつ、スマホで花くれないについてちまちま調べてみた。「柳緑花紅」という言葉が元になっているのかな?

美しい春の眺めの形容。また、本来の自然のままで手を加えていないこと。

goo辞書より引用

禅宗では、悟りを開いたことをさして使われる。

goo辞書より引用

 「悟り」って、ある種の生まれ変わりのイメージ。それまでの自分の芯は踏まえつつも、積み重ねた燻りの皮を、心がバサっと脱いだように、そして無垢な赤子が顔を出すように、私たる私が再度生まれる、そんなイメージ。まだ悟ったことがないから分からないけれど…。
 けれど、「悟り」の例えに、あの晴れやかで華やかな「春」が用いられていることに、私はぼんやりと納得がいった。悟りを開いたら、あんなに明るい景色が私を待っているのか。そして、その様相を和菓子で表現するというのも、とても面白い。
 最後の一口を食べた時、私の心の中に桜の絨毯がばぁっと広がった。
 私の中で芽吹いていく、新しい春。祝福の春。
 花くれないを食べるたびに、生まれ変われるかも。

まとめ
 和菓子って、何でこんなに幸せになれるんだろう。ほんの小さい食べ物が秘めたるパワー。
 当初の想定通り、私はすっかり元気になって、今にでもスキップしそうな足取りで帰路についたのだった。
 和菓子って、奥が深いな。和菓子の本を買ったり、和菓子に関連する和歌や熟語について調べてみたいなーーそう思いながら。

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