『落研ファイブっ』(63)「貴婦人」
〈火曜日放課後 シャモ宅〉
無言で玄関を開けたシャモは無言で台所脇を通ると、無言で自室に続く階段を登って行った。
〔シャモ母〕「何だよ漢太帰って来たのかい。一声掛けりゃ良いじゃないか幽霊じゃあるまいし」
日高昆布を手に持ったシャモの母が、いつもの調子でシャモに声をかける。
シャモは力なくうなずくと、いつになく静々と自室のふすまを開けた。
〔シャモ母〕「何じゃありゃ。調子狂うね」
日高昆布を水に漬けると、シャモの母はHDLの情報番組にチャンネルを合わせた。
※※※
〔TV〕『続きましては街のうまいもの探検隊のコーナーです。モットーさーん、よろしくお願いしまーす』
〔TV〕『本日は器用軒本店におじゃましております。たくさんの種類のおべんとうが並んでいます。こちらでは本店限定に期間限定のおべんとうがありまして、器用軒ファンの皆さまがこうやって列をなしていますね。まさに鈴なり! あ、こんにちはちょっと良いですか」
〔TV〕『『おべんとう・芒種』と『横浜シースターズ必勝弁当』に『横浜マーリンズハットトリック御膳』を狙っておいでになったと。え、わざわざ佐賀の武雄から。奇遇ですね、こちらのカメラマンは生まれも育ちも柿生|《かきお》なんですよ』
〔シャモ母〕「柿生と武雄、『お』しか合っとらん」
〔TV〕『こちらのお母さまは佐賀の嬉野から。へえ私モットーはあざみ野の出身なんです。化野だけに』
〔シャモ母〕「五年目にしてあんたの苗字初めて知ったわ」
ぶちっと音を立てる勢いでテレビを消したシャモの母は、ふと手を止めた。
※※※
〔シャモ母〕「もう芒種か。店先の着物もいい加減夏物に変えなけりゃ。ほおずき柄の帯でも飾るか。おーい漢太ーっ、小遣いやるから店手伝えーっ」
シャモの母は、二階に向かってが鳴り声をあげた。
〔シャモ母〕「ん、無反応。あのバカ真昼間から変な動画見てんじゃないだろうね。おい漢太っ。店の手伝いしろってんだ。聞こえてんだろ。返事しないとふすま開けんぞ」
〔客〕「ごめんくださいませ。夏物を見せてくださいな」
シャモ母が二階へ上がろうとした瞬間、【和装とおしゃれ小物の店 新香町美濃屋】に半世紀以上前の北軽井沢からやってきたかのような一人の貴婦人が現れた。
〈新香町美濃屋 店先にて〉
東海道神奈川宿の風情を残す新香町商店街に三代続く、【和装とおしゃれ小物の店 新香町美濃屋】。
そこに忽然と現れた、半世紀以上前の北軽井沢の別荘地から抜け出してきたような貴婦人は、店にはなはだ不釣り合いである。
〔シャモ母〕「夏物でしたら、こちらの絽の着物と帯などいかがでしょう」
ほおずきや柳、麻の葉が描かれた着物や帯を、貴婦人はゆっくりと吟味している。
〔客〕「こちらの柄は娘世代でも合いますかしら」
〔シャモ母〕「お嬢様のお年は」
〔客〕「高校三年生です」
〔シャモ母〕「お嬢様の御髪やお肌の色に好みもありますでしょうが」
その声に、貴婦人はスマホを操作した。
〔シャモ母〕「まあ、何て典雅で美しいお嬢様。これほど和装が似合いそうなお嬢様も今時珍しい事」
うつむき加減で高校の制服に身を包んだ写真を見ると、シャモの母はお世辞抜きで感嘆のため息をついた。
〔シャモ母〕「奥様やお嬢様のような方にこそ、着物も着られて本望でしょう」
浪裏鉄骨や歌唱院新香らの老演芸人用の着物や、近所の子供会用のハッピや甚平に既製品の浴衣ばかりを扱っていたシャモの母は、久方ぶりに腕の鳴る相手が来たと大張り切りで店奥へと引っ込んだ。
〔シャモ母〕「漢太! 夏物の反物をありったけ持ってきておくれ。女物だよ」
二階に上がってふすまをすぱんっと開けると、シャモは力なくうなずいて倉庫代わりに使っている一室へと向かった。
〔シャモ母〕「うちにゃ縁の無さそうな上品な奥様がお見えだ。アンタも着替えてちゃっちゃと四代目ぶりな」
シャモは無言で手早く亀甲柄の大島紬に着替えると、静々と反物を店先へと運んだ。
〔シャモ母〕「うちの愚息です。高校三年生ですが、お嬢様とは大違いで。本当に行儀が悪くって落ち着きのない子でしてまったくもう」
シャモは普段の彼にはあり得ないほど綺麗な黙礼をして、反物を運び込んだ。
〔シャモ母〕「御薄でもいかがです」
シャモ母がシャモに目くばせをして再びしほり母と一緒に反物を見ていると、とてもあの『みのちゃんねる』とは思えない所作で、シャモがふすまを開けた。
〔客〕「まあ、お若いのにしっかりした息子さんですこと」
きめ細かく立てた薄茶に干菓子を添えて出すと、シャモは頭を下げて退席しようとした。
〔客〕「今日は娘と共用できそうな夏物を見に来たのです。こちらがうちの娘。どんな着物が似合うと思いますか。それから娘の浴衣も仕立てようかと考えておりますが、若い男性ならばどんな見立てをなさるのかしら」
にっこりと口角を上げる客に、シャモは息を飲んだ。
〔シ〕「お嬢様のパーソナルカラーは冬タイプとお見受けいたします。茄子紺地に夏椿柄などいかがでしょう。あるいは白地に柳のかすり生地に、深緑の帯に銀の帯締めもお似合いかと存じます」
〔客〕「確かに、私には思いも付きませんでしたわ。娘用だと思うとついつい淡い色や柄ばかりに目が行って」
〔シャモ母〕「当店で仕立てて頂けるようでしたら、ぜひお嬢様の採寸も合わせてさせて頂きたいのですが」
〔客〕「それでは息子さんには娘の採寸をお願いしようかしら」
とびきりの上品な笑顔でとんでもない事を口走ると、貴婦人はシャモが入れた薄茶を飲んだ。
〔シャモ母〕「まあ御冗談を! うちの愚息など荷物持ちでももったいない位です」
おほほほほとシャモの母は脂汗を流しながら笑った。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
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