「自分の機嫌」と「影響の輪」
決まった予定のない日は、自分の感情に向き合うことが増える。
向き合う(→←)、というより、寄り添う(⇉)、ができるようになりたいな。
そうやって自分をまあるく自然に受け入れつつ、
自分の機嫌はちゃんと自分でとる。
こうやって考えていると、最近読んだ2つの本を思い出す。
違う話だけどつながるところがあって、ぽかりぽかりと頭に続けて浮かんだので、ここに書いてみようと思う。
自分の機嫌をとる
「人の機嫌はとらなくていい。自分の機嫌をとろう。」と斎藤一人さんは言う(『斎藤一人 あなたが変わる315の言葉』より)。
そう。おっしゃるとおり。
でも私にはまだちょっと難しい。すぐに自分の機嫌を損ねてしまう。修行が足りない。
影響の輪をひろげる
スティーブン・R・コヴィー著『7つの習慣』では、「影響の輪」と「関心の輪」が二重の円で表わされる。<図参照>
「関心の輪」は、他の国で起こっている戦争のこと、政治家のこと、近所のご家庭のこと、会社の上司のこと、天気のこと、国の税金のことなど。自分一人で今すぐにどうにかできるものではないもの。
それに対して、「影響の輪」は、自分自身で変えられること。明日の自分の予定、誰と会うか、どのような行動をするか、どのようなコミュニティーに参加するのか、また参加しないのか。
双方の範囲は人によって違い、他方に入るものもあるだろうけれど。
「関心の輪」にばかり目を向けていると、不平不満や批判ばかりになってくる。「関心の輪」に働きかけたければ、自分自身の行動によって変えられる「影響の輪」に目を向け、輪をどんどんと広げていかなければならない。
「影響の輪」を意識して生活をする。
だれかと喧嘩をした時。私にできることは、「自分自身の行動」のみ。「相手の行動」をどうにかしようとしても、それは相手にしかできない。
だから、相手の本音を探りだしたり、心を変えさせようとしたりする前に、まずは自分の気持ちを伝えたり、穏やかな態度を心がけて接してみたり、自分の行動を変えることに徹する。
「自分の機嫌をとる」ことと「影響の輪をひろげる」ことの共通点
両者とも「自分」に着目している。
相手に期待をしない。勝手に気持ちを解釈しない。
自分自身にできる行動をとる。自分の行動は自分にしか決められない。逆に、自分の行動なら自分で決められる。
私の習慣
自分の行動。まずは「ありがとう」と「ついてる」を合言葉にしたい。
なぜか思春期が舞い戻ってきたかのように、恥ずかしくて「ありがとう」が言えない時が最近よくある。素直に言えば自分も相手も気持ちいいのに。
まずは呪文のようにつぶやくだけでもいい。
言葉だけが先行してもいい。気持ちは必ず後からすぐついてくるから。
こうやって今日も私は修行の旅にでる。
人生は修行だ。
photo:momoka takigawa
model:mikan (product of Tosa)
thank you
読んでくれてありがとう♡