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対岸を走る汽車の音しか響かない

出雲市から島根の県庁所在地である松江市を跨ぐ宍道湖は、東西約27km、南北6kmに渡る大きな湖だ。

市街地の端からすれ違いも際どい1車線の土手を走り、15分ほどで宍道湖沿いの古びたスポーツ施設に辿り着く。湖遊館と呼ばれる褪せたアイススケート場はそこそこの大きさであるが、単調な湖面に沈むようにひっそりと佇んでいる。

夕方に差し掛かるも6月の日はまだまだ高く、時間の流れが鈍い。暮れるのは大分先である。

湖沿いには釣竿が並び、スズキを黙々と狙う釣り人がいる。100mほど湖沿いを歩くとと大きな橋がある。そこが私の目的地である。視界の端の頭が落ちた釣竿に意識を取られ歩みを止める。慣れた手つきで手繰り寄せたのはどうやら鮒だったらしい。釣るために来るが、釣れなくてもそれでいい。スポーツフィッシングなんてよく言うけれども、飢えぬ環境だから成り立つ贅沢すぎる遊びである。

広すぎる空は思考力を奪う。凪いだ湖面はまるで水溜まりのようだ。跳ねる魚の音が響く。鳶の鳴き声が背中の向こうから聞こえる。湖の滞留した香りが鼻腔を満たす。五感で全てを感じるが、頭の中は対照的に空っぽになっていく。

釣り人の並ぶ湖辺から少し離れると人影は無くなる。土埃を被ったコンクリートの上に手をついて胡座をかく。

静寂だ。

今、変化しているのは、この湖面の波紋と空の模様の移り変わりだけである。なんとも言えない気持ちのまま目を瞑ると一畑電車の音が届く。つられて目を向けると、黄色い2両電車が対岸の湖辺を滑っている。遠くの電車の音しかここは響かない。湖を越えて、輪郭が霞んだ走行音は幻想的な音になるのか、と初めて知る。

褪せた記憶の中で座っているようだ。
6月の宍道湖より綴る。 


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