こんにちは。ももハムです。 先日、嫌なことがありました。 普段から嫌な人とは距離を置くことを心がけているのですが、今回ばかりはどうにも避けられませんでした。 理不尽な理由で悪評価をつけられてしまいました。 その場でも抗議をしたのですが、一向に取り合ってもらえなかったです。 私の主張は一切聞かず、半笑いに自分のばかげた理屈を繰り返すだけでした。 納得のいかない私は、その後、メールを送りました。 返信を読んでびっくり。話にならないとはこのことか、と思いました。 本当にメ
こんにちは。ももハムです。 メンタルコントロールやヘルスケアはどのようにしているでしょう。 私は、ひねくれた考え方や性格をしている自覚があります。そのおかげで多くの人が躓かないところが気になり、勝手に怒り、落胆し、疲れるという日々を歩んでいます。 トゲトゲしたり、ズーンとしたり、メンタルの落差が大きめです。 とはいえ、1日の中で短いスパンでそうなるわけではなく、ひと月の中で好調の期間と不調の期間を繰り返しています。 高校生のころ、不調だな、と感じたら不調の種類をスケジ
こんにちは。ももハムです。 期待との向き合い方について考えてみます。 まず、私は、期待とは、これまでの自分の軌跡についてくるものだと考えています。 しかし、これは他者からの評価であり、自分の能力を確定させるものではなく、応えなければいけないなんてことありません。 過度な期待は相手を窮屈にします。 そもそも、人は自分のために相手に期待することが多いのではないかと思います。自分への劣等感を他者への称賛に昇華させるための術として期待という手段を使ってしまうことがあります。
こんにちは。ももハムです。 憧れのあいつは悩みなんてなくて、できないことなんてなくて、やった努力がすべて実力となって返ってくるような人間です。 友達のあいつはすでに私の一つ上の段階で生活をしている。 私にはない能力がある。羨ましい。 けどそんなあいつもあいつもどこか悩んで行き詰って苦しんでいる。 私の抱えているものと本質的には何ら変わらないものを抱え葛藤している。 自分から線を引いている。 自分勝手で見当違いの羨望ではなく、不細工でもいいから小さなものでもいいから共感
こんにちは。ももハムです。 相手の立場を想像して考えることと、相手の立場になることは違うと気づきました。 相手の立場を想像して考える時、それは自分の描く相手の理想像になっていないでしょうか。 私があなたならこうする、というのは相手の立場を想像して考えて得た答えではなく、単なる自分の意見の押し付けではないでしょうか。 今の自分の立場から相手にこうしてほしいという願望、押し付け。 きっと私が相手の立場からものごとを考えたと思ったとき、それは現実よりも楽観的にまたは自分本位
こんにちは。ももハムです。 今自分の進んでいる道は、他でもない自分自身が決めた道です。この道を行くことに後悔はありません。しかし、さみしさを感じることがあります。 私たちは今、人生の岐路に立っています。そのまま道を延長するもの、新たな旅立ちをするものがいます。 私は、道を延長することを選びました。私のいる環境では、その選択をする人が多いです。 先日、友人らと食事に行ったとき、そこでは私以外のみんなが新たな旅立ちに向けて準備をしていました。 焦り、不安、悲しさ、さみしさ、
こんにちは。ももハムです。 自己紹介のときに、好きな作家として森博嗣さんをあげていました。 2年前、私は『すべてがFになる』で森作品と出会いました。そして先日『有限と微小のパン』でS&Mシリーズを読破しました。 シリーズを一気読みしたわけではないので、2年もの時間を費やしてしまいました。 どの作品も面白かったのですが、個人的には『すべてがFになる』と『今はもうない』は発狂するほど面白かったです。 各作品の物語はもちろん、シリーズが進むにつれて変わりゆくもの、変わらないものの
こんにちは。ももハムです。 コミュニケーションについて、私の経験から少し話してみたいことがあります。 私は以前、ホームステイをしたことがあります。 初日の夕飯後、ホストファミリーと自己紹介の延長でしばらく話をしていました。 お互い自分のことを話す中、ホストファーザーは自分の話をあまりせず、私にたくさんの質問をしてくれました。 なんでこんなにも質問してくるんだろう、と返事が少し面倒に感じることもありました。 しかし、次第に、相手は私のことを知ろうとしてくれているんだと気
こんにちは。ももハムです。 物語は二度目の投稿です。 私は、ミステリーが好きで、読んでいると叙述トリックとかよく出てくるんです。 いつか書いてみたいなと、思いつつ、いざペンを取るとやはり難しいです。 叙述トリックとしては不適かもしれませんが、わかりやすく、コンパクトにまとまるように意識して書きました。 矛盾なく長編を書くこと、伏線があること、しかも、しっかり回収する。 普段読んでいる作家さんたちの凄さを改めて感じました。 たったの1文で物語をひっくり返す、叙述トリッ
『あいつ』 修学旅行初日の宿で僕は一世一代の決心をしていた。 「僕は明日の自由散策のとき、愛ちゃんに告白する!」 “バカ。やめとけって。一か月前に痛い目に合ったばかりじゃないか。また失敗するに決まっている” 「いや、今回こそはいける気がする。この前だって、きっと驚いて素直な判断ができなかっただけなんだよ。ほら、周りのみんな目が合って、恥ずかしくなっただけだって。きっと」 “お前は思い立ったら止まらないからな。俺がいないと暴走しちまうんだから。とにかく今は
こんにちは。ももハムです。 「一を聞いて十を知る」とはどこまでわかればいいのか、考えました。 物事のさわりを聞いただけで、そのすべてを把握することができるほど、物分かりや状況判断が優れていること、という解釈であっているでしょうか。 また、ビジネスの場面では、とある仕事において、完了まで10のフェーズがあるとして、最初の1フェーズ目を教えただけで、10フェーズ目までできてしまうような能力のことを指す、ということも多いと思います。 私は、この「十を知る」とは段階的なもので
こんにちは。ももハムです。 努力と才能については、さまざまな媒体で言及されています。 「努力は必ず報われる」「報われるまでやったことが努力だ」 これだと、報われなかった人は努力をしていないのかという疑問がありますし、努力の閾値があまりに高いように感じます。 また、才能についても、才能ある奴は怠けている、頑張らなくていい、などと言われることもあります。 この2つのつなげ方として、努力できることもまた才能だ、という人もいます。 しかし、私は、才能とは、努力の結果としての現
こんにちは。ももハムです。 初めて掌編小説を投稿しました。 書いてはみたものの、どうしても、以前に読んだ作品のイメージがついてしまいます。 『ハル』を書いたときは、 伊坂幸太郎さん『重力ピエロ』 小坂流花さん『生きてさえいれば』 町田そのこさん『ぎょらん』 を思い出していました。(最近読んだからかもしれません) 今回は、とにかくひとつ完成させたい!という思いから、メッセージも背景も1つにして、なんとか書き切りました。 特に話の終わらせ方が難しいなと感じました。 さて
こんにちは。ももハムです。 優しさって難しいです。 たまに「ももハムは優しいね」と言ってもらえることがあります。 その度に私は、そんなことないよ、私は優しい人じゃないんだよ、と思っています。 ムカつくこともよくあるし、小さいことも気になります。 ただ、意識していることもあります。 それは、丁寧に生きることです。 優しく生きられなくても、丁寧に生きることはできます。 言葉遣いを、行動を、考え方や意識を、少しずつ丁寧にする。 私は、優しく生きるのは才能なんじゃないかな、と思
『ハル』 ハルがなくなった。 私には弟がいる。いや、いた。何をするにも私の後ろをついてくる。年が離れていたからか、ただただひたすらに可愛かった。 4月から小学生になるハルは、入学式を待ちきれない様子でランドセルを背負っては、嬉しそうに私に見せてきた。 そんな私の弟は入学式の前日に突然死んだ。 大好きなランドセルを背負ったまま倒れていた。 心臓が何だかと説明を受けたが、私には何も聞こえなかった。 それからの一年間、私は何をして過ごしていたのか思い出せない
こんにちは。ももハムです。 自己紹介で綴った通り、私は読書が好きです。 ミステリー系の作品、特に理系作家と呼ばれる方の作品をよく読んでいます。 それ以外にも、本屋大賞やメディア化で話題となった作品を読んでみることもあります。 さて、私は、何度か小説を書こうとしてみたことがあります。 とても難しく、これまで完成までたどり着けたことはありません。 また、以前読んだ作品の影響を受けているな、と感じるものもありました。 今はとにかく、短くてもいいので完成させることを目指してい