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【小説】ハル

『ハル』

 ハルがなくなった。

 私には弟がいる。いや、いた。何をするにも私の後ろをついてくる。年が離れていたからか、ただただひたすらに可愛かった。
 4月から小学生になるハルは、入学式を待ちきれない様子でランドセルを背負っては、嬉しそうに私に見せてきた。

 そんな私の弟は入学式の前日に突然死んだ。

 大好きなランドセルを背負ったまま倒れていた。
 心臓が何だかと説明を受けたが、私には何も聞こえなかった。

 それからの一年間、私は何をして過ごしていたのか思い出せない。

 外では桜の蕾が膨れ、春が訪れるのをじっと待っている。
 ハルを失って最初のうちは食事は喉を通らないし、眠ることもできなかった。外出なんてもってのほかだった。ここから逃げたい、死にたいと思ったことは一度や二度ではない。

 ふと外から私を呼ぶ声が聞こえた。いや、実際には誰も私を呼んでいないのだろう。それでも私には確かに聞こえた。

 その日私は1年ぶりに家の外に出た。

 家を出る前、私の両親が心配そうに私を見ている。

 "大丈夫だよ"

 声になったかどうかも怪しいまま、私は扉を開けた。

 久しぶりに見た世界は、相変わらず変わり続けていた。

 工事中だったはずのショッピングモールはいつのまにか完成して、多くの人が出入りしている。
 何度か利用した文房具屋さんは潰れてしまったのか。
 八百屋のおっちゃんの頭は、寒そうになっている。
 わずかに、けれど確実に変わっていく街を眺めている。
 
 前から、綺麗に着飾った二人が歩いてきた。いや、三人だ。
 二人の間にはピカピカのランドセルを背負った子供もいた。

 「ミクの入学式どうだった?かわいかった?ミクね、小学校ですごく勉強するんだ!友達もいっぱい作る!」
 「可愛かったよ。立派な入学式だったね」
 「そうね。未来は小学校行くの楽しみだね」
 「まま、見て、お花咲いてる!」
 「あらほんとだ、ようやく桜も咲いたのね。今年は遅かったね」
 「公園で写真を撮ってから帰ろうか」

 楽しそうな声が私の後ろに遠ざかっていく。

 私が失った一年間にも確かに日々は流れていたことを感じる。
 
 家に帰ると両親がお帰りと迎えてくれた。

 「ただいま」

 「あのね、春が来ていたよ」

 私はこれからも生きていく。もう二度と春を失わないように。

 次の春に出逢えるように。

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