私は何を間違えたのか?

「透析食なんて準備しなくて良いの!!!」
同居開始当日、手続きや検査が長引き、待ち時間を利用し3人で昼食休憩を取っていた時の義姉(次女)の言葉である。
「あんちゃんにそんなことまでさせるつもりない!子どもも小さいんだから無理よ!そうよね、おかあさん!?」
義母は穏やかな表情で大きく頷いた。
「あんちゃん、おかあさんはほら、まだ頭はしっかりしてるでしょ?
例えばポテトサラダだったらきゅうりだけ避けて食べるわ。
そんな風に自分で調整できるよ?してきてるの、だから透析食なんてなくて大丈夫!」
2人の言葉と熱意に押され、私はこれを了承した。
透析患者が摂取を控えるべき食材の上位に芋類があることを知っていたのだけれど。

前回のあらすじはコチラ。
https://note.com/momo_anne_s/n/n62b44a115215

この受診付き添いの合間、私はこまめに夫にLINEを飛ばしていた。
初診故手続きが長引いていること、間に合いそうにない息子の保育園の迎えを頼みたいこと、検査の手順、内容、などなど。
そして、義姉(次女)に余命の件を伝えたこと。
夫からも『姉ちゃん(義姉長女)と親父に余命のこと伝えた』という報告を受けた。
後に夫に聞いた話によると、この時彼ら姉弟は激しい喧嘩を行ったそうだ。
その内容は以下のようなものである。
「アンタはお嫁さんだからってあんちゃんをかばうけどあの子は冷たい!酷い!パパ(義姉長女夫)にも失礼な態度を取った!」
等と金切り声でまくし立てる義姉(長女)に
「俺らが訳分からんことばっかりしてる時にあんりだけが冷静に動いてくれた!母ちゃんはあと半年生きられるかも分からないんだ!」
と夫が怒鳴る。
義姉(長女)はハッとした表情になった後泣き崩れ、義父は両手で顔を覆った、と。

様々な検査を終え、ようやく医師の診察を受けることとなった。
まず義姉(次女)が、透析を受けることになるまでの経緯や病状を詳しく説明した。
診察の少し前、彼女は私に、引越し先のお医者さんに引き継ぎを行うことまでが私にできること、即ち私の責任だ、と打ち明けて下さった。
つまり、その為だけに、彼女はこのコロナ禍にここに来たのだ。
説明下手な義母と実情を知らない私だけでは、医師に正しい情報を伝えることは、絶対にできなかったことを考えると、非常にありがたい対応だった。
しかしこの受診付き添いは義姉(次女)職場の強い反対があったのだ。
コロナ禍にわざわざそんなことの為に何日も休んで県外に出向く必要はない、と。
義姉(次女)は決意を変えなかった。そして彼女はこの数日後、義母への想いを『そんなこと』と認識した職場に退職願を叩き付けた。
義姉(次女)が介護の仕事から離れたのは、そういう経緯である。
義母の為なら何でも出来る。それが義姉達なのだ。

義姉(次女)の説明のあと義母はこのように語った。
「私、自分がそんなに長くないって知ってます。
こないだまで入院してた所で先生から聞いてるから。
何年…とか、そういう具体的な数字は聞いてません、聞きたくない。
何十年も生きられる、って、希望を持ちたいから。
透析だけは頑張ります。でも、それ以外のきついことはしたくないんです。」
義母のこの言葉を受け、医師は言った。
「通院があなたの負担にならないような治療計画を立てますね。」
結果、この病院で週一ペースで受ける予定であった、病気の進行を食い止める注射を行わないことが決まった。
診察を終えると、まず、義姉(次女)が義母の車椅子を押して診察室を出た。
それに続こうとする私を医師が小さな声で呼び止め、こう囁いた。
「お嫁さん。あなたの義理のお母さんね、長くてあと1年しか持たないよ。」
これは『具体的な数字を聞きたくない』という義母の意思と同居外家族である義姉(次女)、何より同居介護を行う私への、優しく温かい配慮であった。
私は義母達に気付かれぬよう短い言葉で礼を述べ、深く頭を下げ診察室を後にした。

そうして家に帰り着いたのは病院到着から約7時間後であった。
疲れ果てた義母を部屋に連れて行った後、同じく疲れ果てた私に待ち受けていたのは、号泣する義姉(長女)であった。
「あんちゃん、本当に本当にごめんなさい…」
それは、同居前日、私に非常識な態度を取ったことへの謝罪であった。
対する私の返事はこのような言葉であった。
「大丈夫です。昨日のねえさんはいつものねえさんじゃなかった、何だか変だなと思ってました。気にしないで下さい。」

さて、ここまで書き綴った私の言動には幾つもの間違いがある。

まず、食事に関する主張を全面的に受け入れたこと。
高齢者が『できる』『やってる』と言うことと実際が異なる場面は非常に多い。
私はそれを何度も、何度も仕事で見てきた。
しかし私はこの、正しい経験則に目を瞑った。
ここでの私が介護職ではなく嫁であったことが最大の理由だ。
毎食透析食を用意することは必須事項だと考えていたのに。
だから主に食事に関する透析の本を買って読んだり
透析患者用の冷凍食を買い揃えたりもしていたのに。
『母ちゃんは茹で野菜とポン酢で良いって言ってたよ!』などという夫の言葉を全く信じていなかったことの影響も大きい。
育児と仕事と介護の合間では万全の準備はできないことを考えると、義母の主張は私の肩の荷を1つ下ろせる喜ばしいものであった。
同時にそれは、私なりに義母の為を想った努力と配慮の否定でもあった。
なので正直、落胆のような気持ちも抱いた。

この気持ちを義母達に伝えなかったことも間違いの1つだ。
義母の意向を聞かず勝手な行動を取ったのだから、必要なのは反省し改めることだけだと考えたからである。
私がどのような覚悟を持って同居を決意したのか、整えたのか、介護においてどういう方針を打ち立てる人間なのか、きちんと伝えておくべきだったのだ。
しかし義母の余命が半年から一年ということを知ってからは、今後は義母の意向を聞き、それを叶えるべくサポートすることが最優先だとも思っていた。
施設介護の場には『利用者主体』という考え方がある。
家は施設ではない、が、だからこそこれを厳守すべきだと考えた。
義母の言う通りに。透析患者向けの食事は一切作らず、好きな物を好きなだけ、やりたいことをやりたいように。
長くても一年、ならばやり遂げられると思っていた。
大きな、そして最大の間違いである。
まだ1歳1ヶ月だった息子の育児を後回しにした結果、世間一般の人間が『一番可愛い時期ね』と言われる頃の息子の様子を、私はほとんど覚えていない。
つまり彼も、親の顔をほとんど見ずに過ごしたのだ。
我が子の成長を見守り助ける幸せと責任を、義母の為に投げ出した。

この日の行いの中で間違いか否か迷うことが1つある。
それは、義姉(長女)に謝罪をしなかったことだ。

私が彼女の謝罪をただただ受け入れた時、何とも妙な空気が漂ったのを覚えている。
それについて特に疑問に思っておらず、従ってこの場面を掘り下げて考えることも全くなかった。
しかし、あれから2年と少し経過した今となっての気付きは、
私はあそこで『私の方こそ失礼な態度を取ってすみませんでした』と言うべきではなかったか?
少なくとも義姉(長女)は私がそう言うべきと、私が言うものと思っていたのではないか?
ということだ。

私は、私の主義に基づいて謝らなかった。
私が思うに、謝るべきは、無視をしたり睨んだり、思い込みで感情論をぶつけた側である。
それをされた私の選択肢は、謝罪を受け入れるか拒絶するかの二択しかない。
義姉達は私より5つと少し歳が上である、しかしそんなことは理不尽を押し通して良い理由にはならない。
彼女の言葉を借りれば、私達は『家族なんだから』、年齢の差は何かを左右する材料にはならない。
本気でそう思っていた。実の所、今もそれが私の考えだ。
だから、この日義姉(長女)に謝らなかったことを一切悔いていない。

それでも、想像することがある。
『お姉ちゃんなんだから』『お兄ちゃんなんだから』という古い価値観を私も持っていたなら。
それに準じて、彼女達夫婦に従い、媚びへつらえていたのなら。
もし私がそういう人間であれば、夫に故郷を捨てる決断をさせずに済んだのかもしれない、と。

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