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続・20世紀の未読

私は小学校3年生のなほ。
ある日、いじめは突然始まった。

毎日、「きもい!死ね!ブス!」と罵られ続け、家庭科の授業では「お前が触ると食べられなくなる」と言われ、毒扱いされて包丁を持つことすら許されなかった。

中学校に上がってもいじめは続いた。「きもい!死ね!ブス!」と毎日言われ続けるだけでなく、歩いていると自転車で轢かれたり、席に着くと尖った鉛筆を背中に当てられたり、机の上に白い花を置かれたりした。周りも見て見ぬふりで、友達なんてバカバカしいと思うようになった。

いじめの主犯格に「弱そうだから、何も言わないじゃん。単なるストレス発散だよ」と言われたとき、心の底から悲しくなった。

高校に行っても、いじめは続いた。同時に、中学校の友達からも「いじめられるなほが悪い」と言われ、孤立していった。毎日のように腹や足を殴られたり蹴られたりし、「死ね!」と罵られ続け、ついには山に埋められる計画まで立てられていた。学校に通うこともままならなくなり、親が学費が払えないと怒鳴り合うのを見て、次の日、学校に一人で退学届をもらいに行き、高校を中退した。

中退した後、人間関係が煩わしくなり、誰も信用できなくなって、全ての連絡先を消した。友達だと思っていた人たちがそうではなかったことに失望し、悲しみも感じなかった。

自分のダメなところをノート2冊以上に項目分けして書き、自分で自分を傷つけるほど自分が嫌いになった。心に闇を抱えながら、16歳から朝7時から夜22時まで働いていた。

社会に出ると、初めて「君の笑顔がいいね!」と褒められた。褒められることで接客にも自信がつき、接客コンテストの店代表として出場することもあった。文化祭や体育祭に参加したことはなかったけれど、他の高校生を羨ましいとは思わなかった。学校に行くよりも、社会に出て認められる方が自分には合っていると感じた。

もちろん、社会に出てからもいいことばかりではなかった。「高校中退なんだから、ちゃんとやれ」「早く大人になれよ」「なんで中退のやつに教えなきゃいけないんだ」と様々な言葉を浴びせられた。

気がつくと、毎日自傷行為をし、死ぬことしか考えられなくなった。働いているときの作り笑顔以外で笑うことができなくなった。

ある大雨の日、16歳の私は橋の上に立っていた。飛び降りる勇気がなく、どしゃぶりの中で傘も差さず大泣きしながら家に帰った。

「私、どうやっても死ねないんだ。生きなきゃ」と感じ、自分の気持ちを変えることに決めた。辛さ、悲しみ、怒りを忘れるくらい仕事や勉強に打ち込むことにした。落ちるところまで落ちたから、あとは這い上がるしかない。過去は過去。振り向かず、立ち止まらず、死ぬ気で生きる。毎日全力で生きる。

あれから10年以上が経ち、いまだにコミュニケーションは下手くそだし、人を心から信用できないけれど、高校中退でもやりがいのある仕事に就けている。これがゴールなのかもしれない。でも、今の環境に満足することなく、まだまだ頑張るしかない。

私は、不登校児やいじめられて死にたくなるような子に、別の道もあることを示したい。学校だけが全てじゃないんだと。

#創作大賞2024

イタリアに行って、本場のカルボナーラを食べる足しにします。よろしくお願いいたします。