見出し画像

【noteお題応募】タナトスの誘惑/星野舞夜~「夜に駆ける」/yoasobi~

なぜ、この物語の話題に食いつくことになったのか。

きっかけはお客さんとの雑談だった。

平成生まれの彼が

「夜遊び、ご存じですか?」

と別れ際に言い、おいらが

「キャバクラとかですか?もうそういう年じゃないのでねぇ」

と苦笑して、別れの挨拶をしようとすると、違いますよ、と。

「音楽ですよ、ローマ字で『yoasobi』と検索してください。いきなり買わなくてもいいです。youtubeにもPVが落ちてるはずなので、それを聞いてみてください。オススメです」

「は?はぁ、それはどうも・・・、ヨアソビ、ですね、メモメモ、と・・・」

「ボカロも聴かれてるって話でしたよね?このユニット、そのボカロに曲を提供してた人たちなんです。だから抵抗なく聴けるかな、って」

これも営業の一環だ、と部屋に帰りさっそくyoutubeで動画を探してみた。オフィシャルのPVで最初に見つけたのはこの曲だった。

YOASOBI「夜に駆ける」 Official Music Video

なるほど、確かにボカロっぽい。

というか、初音ミクや巡音ルカのオリジナルをカバーしていると言われても違和感がない、そんな感じで聴いてみた。

うん、悪くはない、と思った。それでこのユニットのことを調べ、レビューを読んでみた。随所に歌詞の原作は「タナトスの誘惑」です、という文言があり、どうもこの曲が単なる終わりかけている恋愛を歌っただけの曲ではないことが薄々わかってきた。

それで、今度は「タナトスの誘惑」を追いかけてみた。

ぞっとした。タナトスとは死を司る神様で、それに恋をした女の子が彼氏の制止を振り切って飛び降り自殺を試みる、死に憑かれた人の物語だったからだ。小説と呼ぶにはあまりに短い、しかしその必要最小限の文量で女の子がタナトスの誘惑へ墜ちていく様を描ききっている。

不愛想な文体が、余計に死に瀕していく二人の切迫感を浮き彫りにしていく。まさに「夜に駆ける」、その果てのない疾走感のようなやるせなさが、こちら側にいるおいらには恐ろしく、そして怖い。

読み終わり、その瞬間に初めて「夜に駆ける」の歌詞の意味、そしてPVのアニメーションの意味まで全て理解できた。なるほど、これはプロモーションとしても完璧な仕掛けだと納得した。だが、この作品群が広く共感を得るのなら、令和の日本に広がりつつある自殺の匂いは更に強まるような気もしてならなかった。

昭和のおいらには、自殺という行為はどうしても追い詰められた先に待つものという印象が強い、というよりもそれしかない、だ。どうしても太宰治や芥川龍之介の画像と重なるもので、自分にはそこまで己を追い込むことはない、ゆえに無縁のものという感覚でいる。

しかし、例えば竹内結子の死を知った直後の今は、実はそれほど遠く離れた存在でもないのかな?という感覚になりつつある。色々あって、それでもやっと手に入れた安心や子供といった「これからを生きる理由」を手にしながら、忘れ物を取りにいくように、ちょっとそこまで行くがごとく向かう死も、不可解だとだけ言っていればいいというわけにもいかないのかもしれない。

「タナトスの誘惑」では、死が完璧な異性の姿で現れる。招かれれば抵抗なくその後をついていくもので、そうなってしまえば、襲ってくる痛みや苦しみの予感も抑止力を失うというその視点、それこそが新型コロナウイルスに囲まれ、有名人の自殺が頻発する今の空気にマッチしてしまうのかもしれない。本当の恐ろしさは、ここにあるように感じている。

できれば、読むことを避けてもらいたい物語だ。


#読書感想文

この記事が参加している募集

読書感想文

サポートいただけると、今後のnoteの活動にブーストがかかります。よろしくお願いいたします。