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自己紹介 #2あゆみ

あゆみ


幼年期

父の仕事の関係で、東北を転々とする生活をしていました。青森県以外は住んだことがあります。家族構成は仕事熱心で陽気な父、心配性で生真面目な母、頑張りやで寛容でずぼらな4歳下のかわいい妹、2匹のわんこ。

そしてユーモアのセンス溢れる幼い頃のわたし。度重なる引っ越しによってよく高熱を出したり吐いたりして身体は弱かった気がします。3歳から毎日のようにピアノの練習をしていました。(エラすぎる)

この頃の将来の夢は、クレープ屋さん。理由は、たまに連れて行ってもらったデパートの屋上遊園地がきっかけ。そこで食べるクレープに特別な思いを感じていたからです。


少年期

対人関係に悩んだ印象です。入部したのは女バス。先輩にこき使われるわ、同期にバスケットボールをぶつけられるわ、終いには軟弱で休みがちだったこともあってか顧問教員にも嫌味をいわれるわ、で上手くはいかなかった部活生活でした。いつも捻挫ばかりしていたし。

部活だけに留まらずクラスでの友人関係も不調でした。グループ行動に苦手意識があったので1対1の関わりを試みるものの、なかなか両想いにはなれず。取り合いになってこじれるパターンです。

自己主張ができないから、ハブられる無視される。「もっと自分を見て欲しい」という気持ちが強かったからこそ、うまく自己表現ができなかったみたいです。

この頃の将来の夢は、CMの音楽制作者。「どんな道を進めばなれますか?」とピアノの先生に聞いたところ、「それは作曲家だから、音大に行かないとなれないよ」と言われたことを覚えています。そして親には「音大か……学校の先生が合っているんじゃない?」と言われました。

この言葉、結構ショックでした。言葉を鵜呑みにして目標を見失った私は「ピアノを続けたい」という熱も失うことに。学業と部活を優先するという理由で10年間続けていたピアノを辞めてしまいました。(この時に違った言葉を掛けてくれる大人がいたらどうなっていたのだろう、と今は思います)

「教員が適しているんだ」そう思ったわたしは、いろいろな理由を探し続けます。そのうちの理由の1つに、「障害を持った人とのコミュニケーション」がありました。

従妹が重度の知的障害を持っているのですが、言語でのコミュニケーションが一筋縄ではいかないことに難しさと同じくらい楽しさを感じていました。表情やしぐさから思いをくみ取るコミュニケーションを繰り返していると、あるときにふと思いが通じる瞬間があります。その瞬間が好きでした。

反面、共存とは言い難い「かわいそう」「どう接したらよいのか分からない」という思いが世の中には溢れているのだな、と中学生の頃から肌に感じていました。

そんなわけで「これがわたしの才能なのかもしれない。生かさないと!」みたいな、ある種の使命感をおぼえるように。この頃から「小学校の教員」になることが将来の夢に。以降学業により一層励むようになりました。(我めっちゃ真面目やん……)


青年期

その時その時で悩みは尽きなかったけれど、今も続く良縁に巡り合えた時期でした。成績が貼り出されるプレッシャーを抱えながらもゲーム感覚で勉強していたような……授業も7時間ありました。(今思えば過重労働です)

そんな中で合唱同好会に入部。友達と一緒に音楽に触れる瞬間がまさに青春でした。手書きで楽譜におこして編曲してアカペラもしました。(この頃のわたしめっちゃクリエイティブ)

しかし……青春真っ只中に悲劇が訪れます。高校2年生にしてまさかの転校!父親の仕事の事情で家族一同で引っ越さなければならない状況に。

やっと居心地のよいコミュニティーを見つけていた矢先の出来事にかなり落胆しました。親もかなりショックを受けていたため「わがままは言えない」と我慢するように。さらに福島に引っ越し後すぐに起きた東日本大震災。

家は半壊ですんだけれど、先行きの見えない出来事に絶望していたような気がします。高3ギリギリになって大学進学に向けた勉強をしていましたが、それ以外は何をして過ごしていたのか全然記憶に残っていません。好きな人とかもいなかったし。

大学受験直前になり、「心理カウンセラー」に興味を持ち始めました。ちょうど転校先で、一時だけ保健室に通っていたことがきっかけ。「人の心」に興味があったのは間違えありません。

意を決して「心理学科に進みたい」と親へ伝えるも「それでなんの仕事になれるの?」「学校の先生になるんじゃなかったの?」と大反対。「行ってみないと分からなくない?」という言葉は伝えたけれど届きませんでした。(ここで諦め癖がついてしまったのか)


成人期 

そんなこんなで教育学部のある大学に入学し、一人暮らしが始まったことで「何か」から解き放たれます。バンドサークルに入部し、音楽とお酒とおしゃべりで埋め尽くされる生活。友達や恋人と一緒にいる時間が最優先。再び青春の始まりです。

この頃の将来の夢は、心理カウンセラーとカフェ開業そして教員。憧れはあったけれど「先生になるために学校に行ったんでしょ」という親の怒りに押されるまま。どうしても突破することができず教員の道に進むことを選びます。

社会人1年目からおよそ7年間、様々な葛藤と向き合いながら教育現場で働きました。
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現在とこれから


親や職場に対して本音を隠し続けることはできます。でも自分に対して本音を隠し続けるのは無理でした!ようやく気付いた現在、SHElikesに入会してインタビューライターになるスキルを磨いています。

クレープ屋さんやカフェ開業に憧れたように「とっておきの空間」を創りたいし、CMの音楽制作者に憧れたように「表現する仕事」をしていきたい。心理カウンセラーに憧れて、教員で成し遂げられなかった「ひとりひとりとの繋がり」を感じていきたい。

まだ、内省の場になりがちな記事ではあるけれど、誰かのきっかけになる記事がかけるように。それはどんな記事なのかを探していきます。

目的を見失わずに進めるように。またこつこつ積み上げていくので見守っていただけるとうれしいです!



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