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ひやひや、ひやのひやーきおーがん

夏休みを経て、娘たんまんの癇癪がめっきり減った。
夏前には、アスファルトの上で寝転がって十分も二十分もギエギエと泣き叫んでいたあの子が。癇癪を起こさず不機嫌になるという術を覚えた。

なんでだろう。

思いつく理由は三つある。
1.鍼の効果
2.充実した夏休み
3.シンプルに成長


1.鍼の効果

実は夏前から、私の鍼灸の施術のついでに娘にも施術をしてもらっている。大人と違い、釘みたいなやつでしつこめに撫でる、痛くない鍼。小児鍼というらしい。
ほらなんか、疳の虫とか夜泣きとか、鍼や漢方が効くとかいうじゃないですか。効いてる気がするのよ。これがまた。
癇癪も収まったし、尿の問題も収まった。鍼の先生も「効いてる気がする」と言っていたし、私もそんな気がする。まじかよ。

鍼の効果については常々、気のせいなんじゃないの〜?と、懐疑的に見ているつもり、なんだけど。
「悪いところは産毛が多くてね、施術で良くなってきたらその産毛が薄くなって、背中がきれいになったりするんですよ〜」と先生に言われて、ホントですかそれ?みたいにね、疑ったりしてたんだけど。
ほんとに薄くなったの。私の肩から肩甲骨にかけての産毛が。
引いた。引いたわよわたし。ねえ奥さん。
夫にも見てもらったけど、「あれっ、ほんまや薄くなってる!」って。私どんだけ肩の産毛濃かってん。
でも確かに濃かった。カミソリでさ〜っとやったら、ファーっと集まるくらいには、産毛あってん。まあそういう体質なんやろなぁ、別に産毛くらいどうでもええか、もう三十路やし、とオバハンまっしぐらなこと考えててん。それがなんか、つるんとしてる。産毛が雲散霧消しとる。
そんなことある???
引いたわよ。

ちなみに、娘も同じところの産毛が濃いらしい。言われてみればたしかに濃い。せやからそこを重点的にやってくれてるんやて。なんか関西弁も濃いな。

2.充実した夏休み

とは言えこれが一番の理由やと思う。
というのも、単に充実してただけじゃなくて、母(つまり私)と娘とのボンディングが修復されたから。

下の子が産まれたのが夏前。その時から、いや、というかもう妊娠中から、娘の母への不信感は募っていた。そして出産で大混乱となって、パパと二人だけの世界で生きたい…とでもいうような態度で、癇癪を起こし、お漏らしが出現、挙げ句、夜驚まで出てきた。

このあたりの葛藤については、またどこかで私目線で書くと思う。
とにかく、赤ちゃんが産まれてしばらくは混乱状態だったのが、ママとの関係が少しずつ回復していき、ママの体が復調するにしたがってママとのデートが増え、「ママどうして抱っこできるようになったの?お腹がぺったんこになったから?」と何度も確認し、「つぎはいつ赤ちゃんお腹にくるの?」「もう来ないと思うよ」「えぇ〜来るよぉ」と言いつつ次また同様の事案が発生しないことをこれまた何度も確認し、赤ちゃんが大きくなってくると家族みんなでのお出かけも増え、毎日まいにち、喫茶をしたり回転寿司行ったり動物園行ったりプールに行ったり図書館行ったり遊園地行ったり旅行行ったり、葡萄に梨にブルーベリーを狩って、一時預かりもエンジョイして、習い事にも行って、とにもかくにも娘はこの夏休み、毎日のように遊び倒した。

そしたらいつの間にか、また娘の口から「お母さんだいすき」の言葉が発されるようになった。そしていつの間にか、癇癪も、夜驚も、排尿コントロール不全も出現しなくなっていた。

夏前、ブランコが苦手で恐る恐る乗っていた娘は、夏を終えて颯爽とブランコを漕ぐようになっていた。あれ、ついこの間まで下手っぴだったのにな。気づけば目の前の娘は、「もっと背中を押して」とブンブンブランコを漕いでいる。不思議と足もスラッとして、なんだかあなた、急にお姉さん。
時が飛んだのかと思うくらい急激な成長で、一抹っていうか十抹くらいの寂しさに胸を打たれたけれど、しかし同時に、娘の今夏を充実させられたんだという嬉しさもまた胸を打つ。
娘と同じくらい私も日焼けをして、左腕に残る腕時計の跡がなんともダサい。こんなに日焼けをしたのなんて、いったいいつぶりだろう。思い出が消えてほしくないから、日焼け跡も消えなくていいやと思うくらい。

…ってほら、私の切ない母心を語りだしちゃってもう。
なんの話だったっけ?

そうそう。とにかく娘と遊び倒したの。それで、娘も見るからに情緒が安定して、そして大きくなったって、そういう話。


3.シンプルに成長

あとはまあ、シンプルに脳や体の成長よね。それで自然に癇癪などがおさまってきた可能性。
生きて成長する以上、この変数は絶対無視できまへん。



子どもの成長はすごい。
ちょっと信じられないくらいの成長だったので改めて振り返ってみたけど、振り返って考えてもやっぱり信じられない。癇癪って気質的なものだと思っていたし、これからも長いお付き合いをするんだろうなと思っていたので、正直、娘の癇癪がおさまったなんて今でも信じていない。
きっとたぶん、またどこかでお会いするんでしょう。それは成長した先の、また新しいステージが来たときかもしれないし、あるいは、鍼を止めたときかもしれない。

その時はまた、娘の癇癪を甘んじて受け止めよう。
だなんてさ、あんなにうんざりしていた癇癪さえもこうやって恋しがっているんだから、母という病は重いものであるわよね。ね、奥さん。


いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!