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黄泉の王 -私見・高松塚-

考古学・民俗学的なものが好きです。
といっても、専門的な知識は無いに等しいのですが、
そういうものの持つ、ちょっと土くさいような
独特の “ 暗さ ” “怖さ ” “ におい ”
みたいなものがとても好きなんです。

なので、漫画だと
諸星大二郎とか、百鬼夜行抄が好きです。
本は、
柳田國男「遠野物語」「日本の伝説」
梅原 猛
「黄泉の王」「隠された十字架」
「水底の歌」が面白かったです。


今日は、その中から、
「黄泉の王 ー私見・高松塚ー」
をご紹介します。

というか、
なんか最近すごく読みたくなって、
すごく久しぶりに読んだからです(笑)


奈良県にある高松塚古墳が発見されて
まだまもない頃の古い本です。
(1970年頃に発見され、1972年に調査が開始、
1973年に史跡に指定されました。)


そして、発見から半世紀たった
現在に至るまで、
被葬者は未だ特定されていません。


この高松塚は、あらゆる点において
異質で謎に満ちた古墳でした。

まず、内壁に描かれた極彩色壁画。
こういった壁画古墳というものは、
中国や朝鮮には存在するものの
畿内、とくに日本の中央部には
存在しないという考古学の常識を破った、
当時としては唯一の古墳であること。
(その後、1983年に発見されたキトラ古墳も
加わるものの、現在に至るまで壁画古墳は
未だ2基しか発見されていないそう。)


そして、その描かれているもの…
日・月
四神(青龍・白虎・玄武・朱雀
…うちなぜか朱雀のみを欠く)
星宿(東西南北の星座28宿)
…かなり正確に描かれているのにも関わらず、
なぜか不完全な北斗七星
東西の壁に男女各4人ずつ、計16人の人物。

加えて、鏡・剣(刀身を欠く)・玉の副葬品。

以上の特徴から、
天皇に近い高貴な身分の人物である
可能性が高いものの、
墓の大きさは、
なぜか下級官吏相当の小ささであること。


そして、
生前処刑されたようでは無いのに、
被葬者に頭がないー
なぜか埋葬時に、
故意に取り除かれたようである
ーこと。


このあまりにも
異質で不穏にして、孤高の古墳。

著者は、
それを “ 蘇莫者 ”
『 蘇(よみ)がえる莫(な)かれ者 』

時の権力者の意にそわないために
亡き者にされた、
恨みなどの強い思いを抱いて死んだ
者の墓ではないかと推察します。

古代の墓というのは、
中国やエジプトを見ても明らかなように、
“ 不死の願い ”を込めて造られており、
一時、肉体を離れた魂が、
また戻ってこられるよう、肉体を限りなく
完全な状態でとどめておくことが
重要なこととされていました。

そのことから考えるに…
高松塚の遺体に頭がない、
故意に取り除かれているらしいことは、
不完全な肉体には魂が戻ってこれない、
蘇ってほしくない者だからである、と。


国家の反逆者として死を命ぜられた者。

当時の日本には、
“ 無実の罪で殺された高貴な人の怨霊は
必ず祟って生者に復讐をする ”
という考え方が根強くあり、

ゆえに
反逆者であるにかかわらず
手厚く葬られるのではなく、
反逆者であるがゆえに
手厚く祀られるのだと。

しかるに著者はこの古墳も、
怨霊を慰め、鎮め、封じ込めるための、
装置ではないかと考えます。


そして様々な候補の中から
浮かびあがってくるのは、ひとりの皇子。

彼は、
『日本書紀』『続日本紀』に記される
“ 正史 ” においては、誕生と叙位と死亡の
記述が数行あるだけの、
歴史的には何も為していない人物。

しかし、
『万葉集』においては、
彼自身の詠んだ歌が八首もあるばかりか、
彼に関する歌が相当数あり、
なおかつ、そのほとんどが
政治的に重要な人物の死を歌った
挽歌をおさめた巻において、
なぜか正史においてほとんど現れないはずの
彼が入っているのです。


私としては、古代史、怨霊などなど
いろんな方向からおもしろいのですが、
なによりいちばんおもしろいのは、
常識や価値観に違う方向から光が当たって、
一変する瞬間なのだと思います。


手がかりとなる “ 正史 ”とされる、
『日本書紀』『続日本紀』。

しかし、正史というものは、
当時いちばん権勢を振るっていた者にとって
都合よく書かれていることが多いことも
また事実であり、
それゆえに、
そこで意図的に語られないことで
語られている真実もまたあるということ。

そしていまひとつの『万葉集』。

著者はそれを
歌集という形を取りながら、
正史においてかくされている真実を
暗に語ろうとする書物であると推察します。

それは当時、
藤原氏によって没落せざるをえなかった
大伴氏によってつくられたものである。
ゆえにそこには、
権力者の目と逆な目があり、
むしろ権力側によって抹殺された事実を、
忠実に書きとめようとする意志が
働いている、と。


そうして見ると、
“ 正史 ” の無味乾燥な
睡眠導入剤のような(笑)一行一行にも、
巧みに隠されている真実があり、
また “ 万葉集 ” の歌のほうにも、
もっともっと深い意味や事件が
込められているのかもしれない。


そう思うと、
なんだかワクワクしませんか!


わかっていると思いこんでいたものに、
新たな息が吹き込まれて
また生き生きと立ちあがってくる。

それは、
何度も読んでいる本のなかに、
まるで初めて読んだかのような
発見や驚きを見つけるときにも似ています。

この感覚が、
私はとても好きなんです。


この本は、体裁としては
学術論文に分類されるのかもしれませんが、
文章も読みやすく書かれており、
帯にもあるように、

“ 生臭い権力と愛と死のドラマを掘り起こし ”

“ 悲恋叛逆の皇子を大胆に指名して
人間不在の古代学に挑戦 ”

した、
本当に推理小説みたいなかんじで
読める本だと思います。
でなければ、
私は最後まで読めていないですし、
再読しようとも思えません(笑)

古代史ファンなら、
なおのこと楽しめるかと思います。


そして読後に残るのは、

現実の世界と寸分違わぬ、
けれども奇妙に、決定的に何かが欠けた
黄泉の世界。
その壮麗な、永遠の牢獄で
頭のない王の華麗なる儀式は
繰り返され続ける…

そんな
恐ろしくも哀しい光景。


陰謀・愛・人間ドラマに
生き生きと満ちた古代史の世界を
お楽しみください♪

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私が古本で買ったのは当時のハードカバーでしたが、
文庫化もされていますので、
そちらの方が手に入りやすいかと思います。


黄泉の王 -私見・高松塚-
梅原 猛 / 新潮社

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