それでも訪問看護に戻りたい?
「これしかできないから」という消極的な理由は置いておいて。
やり残した感だと思います。
他にも「一般病院で経験したことのない穏やかな看取り」「お焼香の時の家族との和やかな時間」とか「逆に自分の身の上相談になってること」とか「病院にはない意外に気ままな移動時間」とか、魅力はいっぱいあります。
本にも沢山なってますしね。
「意外に気ままな移動時間」は本にはないか、またそれは改めて書きます(^^)
「〇〇(病名や症状)だから仕方ない」
これは言葉にしたことはないです。
けれど、結局は限界にぶつかった気がした時にそうやって考えることをやめたんじゃないかと思います。
症状に寄り添って、精一杯対応してきたつもりだけど、他の臨床の場で別のケアを試してうまくいったケースもあるんじゃないかと。
そこにたどり着かなかったことが沢山あったんじゃないかと、思ってしまいます。
その理由として考えれるのは
・個別の事例にあった研修に参加する時間がなかったこと
・ポイントが要約された外部研修の受身的な学習ではなく、事例検討会のような能動的な学習の機会が少なかったこと
・能動的な学習をしても構成集団に経験数や知識のばらつきがあり効果的な学習につながらないこと
・ネットの情報元の精査まで行き着かなかったこと
以上のことが挙げられます。
前提として、「一生懸命利用者さんのことを考えることでその人に合ったケアが生まれる」ということはあります。
その積み重ねが在宅で生活することの安心につながっていると思いますし、
言語化したらきりがないくらい細かな配慮(アセスメント、ケアの実行、振り返り)の繰り返しだと思います。
けれどもすでに知識として明らかになっていることが欠落していて、
投薬などの治療に必要な訪問看護師のアセスメントが不十分な状態が続いていたとしたら…
「あの時のせん妄をもっと早くから対応できたのでは」
など、困難だったと感じる事例をやり残した感として思い出されます。
沢山の制約がある中でも、今は便利な世の中な訳だから、
昔より短時間で、どこにいても適切な情報にたどり着く方法があるんじゃないかと思うのです。
辞めてから知った「在宅医療カレッジ」の取り組みもすごいありがたいことだと思います。
地域の訪問看護事業所で作ってる会などでも各事例の相談ができたりするとこもあるといいですね。
オンラインサロンなどで倫理的配慮もした上で事例を検討することができたりするのでしょうか。
とにかく時間のない中で、適切な情報にリーチできる仕組みが、とても小さい組織でやってる看護師の集団には必要なんじゃないかと思います。
本当に出来る限りの事をしてますからね。
でも利用者さんの持ってる困難なことって様々で、全く自分の経験にないことやうまくいかないことがあると自信なくなっちゃうんですよね。
ケアマネさんや介護士さんたちも一緒ですかね?
次はもう少し上の内容を掘り下げた記事にします。
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