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「先生、ちゃんとの意味はなんですか?」今日も愉快な日本語教室

今日はフランスの女の子との授業。日本文化が大好きで、この日はパリのアジア食品ストアで、抹茶のパウダーを買ったんだ!と嬉しそうに教えてくれた。

「でも、ものすごく高かったの」と言うから、「いくらだったの?」と聞いたら、手のひらより小さなサイズの缶が、30ユーロだと…なんと5000円弱。

「きっとちゃんとした品物なんだねぇ」と感想を述べたあと、冷や汗をかくこととなった。
「先生、ちゃんとの意味はなんですか?」と。

あちゃっ、やってしまった。
簡単そうに見え何気に説明が困難な日本語トップ10(タイトルが長い)に入るこの単語。

ちゃんと、ってなんだろう

ふと、中学の時のバレー部の練習を思い出した。真夏のサウナのような体育館で、ぶっ倒れるまで延々と続いたスリーメン。顧問の球出しは、優しさの微塵もなかった。

足が止まり、目の前のボールが取れずに地面に落ちた。即座に「あんたやる気あんのかコラァ!」的な調子で怒鳴られる。

汗まみれになりながら必死に、
「ごめんなさい、次はちゃんと拾います!」と叫ぶと、「ちゃんとじゃなくて、もっと具体的に説明できんかぁ!」と更に激怒された。

私にそんな遠い昔の記憶を思い起こさせた、「ちゃんと」。この言葉は、顧問を怒り狂わせるほど、実に具体性に欠ける曖昧な言葉なのである。

例えばちゃんとを、英語の副詞 “well” とか"properly"を使って説明したとする。

ちゃんと勉強するちゃんと準備する、と言う文脈では意味が通じるが、

ちゃんとした物、と言ったらどうだろう。
質の良いもの?でも辞書にはその意味では載っていない。

ちゃんとした職業?これもまた人の価値観によってかなり意味が変わる。

朝食をちゃんと食べる、といえば、十分に、という意味になるのだろうか。

なんともオールマイティな単語である。
はっきりと意味を意識していなくても、日本語話者であれば自然に使えてしまうこの「ちゃんと」は、学習者にとってはかなり厄介ものだ。

日本は超ハイコンテクスト社会である。コミュニケーションを介さずとも、すでに多くの価値観やモラルを共有しているから、いちいち定義しなくても、「ちゃんと」のような言葉が多用乱用される。

親が子供に「ちゃんとして!」と言えば、
「日本の価値観を踏まえて、この状況での相応しい態度を取れ」と(おそらく)同義なのである。

となんやら色々考えを巡らせてしまったが、とりあえずこの女の子には、例を踏まえてフランス語での近い単語をいくつか教えておいた。
「へー、便利な言葉ですね」と言ってくれたから、
ひとまず理解してくれただろう。

よく言語の先生は「慣れればだんだん意味がわかるよ!」と言いがちだが、というか自分もよく言ってしまうのだが、

私自身1年フランスで過ごし、毎日のように聞いていた単語でも、いまいちストンと意味を理解できていない言葉がいくつかある。一定の年齢を超えてから言語を学習した場合、慣れれば全てが解決する物ではないのだ。

例をたくさん挙げた方が理解できる子なのか、それとも辞書的に定義を説明した方が理解できる子なのか。見極めてから、少しでも彼らの理解の助けになるように心がけている。

そして最後に、自戒を込めて。
単語の意味を生徒に説明できない時というのは、大体自分自身でその単語の定義をわかっていないことが大半だ。生徒よりも勉強に時間を多く割かなければ、日本語の先生は務まらないのだなぁと、毎日ひしひしと感じている。


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