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自分にとってどういうものか考えること / よしもとばなな『なんくるない』

前回の記事につづき、またよしもとばななの『なんくるない』より引用。ちょっと長め。

「私、ここあんまり好きじゃない」
「見ないで!魂が減る。」
(中略)
「ここは、きっと、よくないところだよ。」
私は目をそらした。ほんとうにそうだと、確信を持って思えたのだ。
そして、私は思った。
 この世の中は、こういうふうなことでいっぱいなんだ。よく見よう、ああいうよくない魔法を。外側はとてもちゃんとしていて、そこに人がぞろぞろと吸い込まれていくんだけれど、中には汚れて臭いものがいっぱいにつまっているものって、きっとこんなふうにいっぱいあるんだ……。
 大丈夫に見えて、薄汚れているもの。それから、だらしなく見えて実はきちんとしたもの。古びて見えるのに、まだ真珠みたいにそっと輝いているもの。
 海だとか、空だとか、誰が見ても巨大でおそれを感じさせ、そして美しいものは別として……だいたいのものはもっとわけのわからない形に混じっている。
 それをひとつひとつひろいあげて、自分で見て、触って、嗅いでみてはじめて自分にとってどういうものか考えること。
 そういうものが混乱していたから、おかしくなったんだわ、と私は思った。
 私はなにものでもないけれど、それはできる。それは確かにできる。

よしもとばなな『なんくるない』(新潮社、2007文庫版、p.224-225)


特にいいなと思ったのは、「ひとつひとつひろいあげて、自分で見て、触って、嗅いでみてはじめて自分にとってどういうものか考えること」という言葉。さらに細かく言えば「自分にとってどういうものか考える」のところ。

他人がどう思ったかどう評価したかではなく、自分の感性や感覚を信じて、自分が感じたことや気持ちを大事にすること、尊重すること。

そういうことを大切にしていかないと、このカオスな世の中では簡単に、魂が減るようなよくない魔法にかかってしまうよ。そんな感じの意味で私は理解した。

映画を観たり本を読み終えたとき、私はまずおおざっぱな感想が頭に浮かぶ。

面白かった、楽しかった、すごかった、感動した、癒された、考えさせられた(何を?)、つまらなかった、よく分からなかった、あの言動は少し違和感があった、あのキャラの考えが理解不能だった・・・

人に伝えるときも「この本おもしろいよ」「あの映画おもしろかったよ」と言ってしまいがち。「どの辺がおもしろいと思ったの?」と相手に聞かれたら、そこで初めて「えーとね」と考え始める。誰かに聞かれない限りは、「あ〜おもしろかった!なんか良かったな〜」以上。


よく考えたら、これまでそういう風にガサツに受け取ってガサツに発信してしまうことが多かったように思う。内側では静かに、感じたことや考えたことがちゃんとあったはずなのに、それを言葉に変換するのが面倒というか後回しにしてしまい、言語化する努力をサボっていた。誰かに伝えるための努力ではなくて、自分の感情をゆっくり観察する努力をサボっていた。

特に、コロナ禍で人とリアルで会うことが減った。今はソーシャルディスタンスもさほど関係ない状況に戻ったが、それでも以前に比べたらやはりリアルなコミュニケーションの機会が圧倒的に減った。筋トレの場も減り、必要に迫られることも減り、文字としての言葉も、音としての言葉も、アウトプット自体が下手になった気がする。

考えてみれば最近はインプットばっかり。
読書。テレビでドラマやニュース、スポーツを見る。Netflixで海外ドラマや映画を見る。スマホでYouTubeを見たり音楽を聴いたり、SNSで誰かの投稿を見たり、etc…

もちろんどれも楽しい。だけど、インプットというよりもはやただの消費になっていたかもしれない。消費で終わらせず、自分にとってせめてもう少し意義のあるインプットに変えたい。

「外側はとてもちゃんとしていて、そこに人がぞろぞろと吸い込まれていくんだけれど、中には汚れて臭いものがいっぱいにつまっているもの」という表現は、簡単な言葉しか使われていないのに世の中のカオス感がしっかり伝わって来る。特に「ぞろぞろと吸い込まれていく」なんて、ゾンビみたいで怖い。

心と脳みそを使って、ひとつひとつ「自分にとってどういうものか」を確認しながら、自分に必要なものを取捨選択していきたいけど、物事の本質を見極めるって本当に難しい。難しいどころか、正直どういうことかそれ(本質を見極めること)自体の本質さえいまだによく分かってないし、なんだったら死ぬまで分からない可能性が高そう。

あ、でも、あくまで「自分にとって」だから、そのものの本質は別にどうでもいいのかもしれない。勘違いでも、自分がそう思ったならそれが自分にとっては正解だから。

見て、触って、嗅いで、自分にとってどういうものか考える。
それだけのことが、どうしてこんなに難しく感じてしまうんだろう。

難しく考えすぎか。

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