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障害を持った同級生がいた経験
小学生のころ、学年に聴覚障害を持った男の子と、今でいう発達障害(多分ADHDかな)を持った女の子がいた。普通の公立小学校ね。
聴覚障害の男の子Sくんは、多分生まれた時からの聴覚の障害で、入学時から補聴器をつけていて、喋り方も母音でしか発音できないような特徴的な喋り方だった。
とても賢そうで、というか多分賢くて。
知的面では定型。ただ聴覚の障害のみ。今思えばとても大人びていたような気がする。
発達障害だった女の子Tさんは、元気で活発。
すぐ怒り、課外活動中にヘソを曲げていなくなってしまうなんてことも珍しくなかった。
小学生の時のことを思い出すと、その子は「へんなやつ」扱いはされてたけど、それはそれで、この人はこうって普通に受け入れられて、割となんとかやっていた気がする。
6年生くらいの時に、Tさんのママが学校に来て
三角座りした私たち学年の前に立って、
Tさんに障害が見つかって、こういう事情があって、
中学校はみんなと同じところにはいけない、
というようなことを、涙ながら話してくれたのをぼんやり覚えている。(本人は不在)
今ほど発達障害とかそういうのが
一般的じゃなかった時代。
子供ながらに、泣きながら子供達の前で話をするTさんの母親の表情を真剣に見つめて聞いていたこと、
その時、三角座りで見上げていた、Tさんの母親の姿は今もなんとなく覚えてる。
聴覚障害のSくんに関しても
当時、変だとかそういう風に思ったことはなく
SくんはSくんで、これがSくん、
別にそんな言葉に直すこともなく、
ただただ、ありのまま何も思わず受け入れていただけ。
子供ってそうなんだよ。
先入観なく、ありのままを受け入れられる。
クラスにそういう子達がいた経験が、
少なからず自分に多様性の価値観の受け入れ土壌を作ってくれたきがしている。今思うと。
いろんな人がいて、
ほんとにいろんな人がいて、っていうことを
当たり前に感じる。
それって子供の頃にそういう経験をしてたから。
だと思うんだよ。
今は、昔よりも多分多く特別支援学級がある。
(私の小学校にもあった。知的障害のある子だけ数名そこにいたけど、全校生徒がその子たちの名前を知っていて、なんかあれば助けてあげられるような感じだったと思う)
普通学級と特別支援学級、
もちろん程度や事情があるのはわかる。
だけど、やっぱりできるだけ、助け合いが当たり前の環境で子供には育ってほしい。
いろんな人がいるのが当たり前だと、そう思うことが当たり前すぎるってくらいに育ってほしい。
教育ってわたしは全てだと思う。
子供ほどすごい存在ってほんとはいないと思う。
前に何かで聞いた、
子供は「体力」と「財力」以外の力は全て持っているって言葉、本当にその通りだと思うし、
そう思ってせめて自分の子供に接することができる母親になりたい。
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