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科学の時代に生きる私たちへ/『別離』 ★★★★★

 週末にイラン映画を見ました。「別離」という作品で、カンヌの金熊賞、アカデミー賞の外国語映画部門などなど総ナメにした2011年の映画です。昔、一緒に住んでいた友人が「アカデミー賞は外国語映画部門だけ優先して見ていけばいいよ」と言っていたのですが、これは本当にそうだと思います。


 この映画は夫婦の価値観の違いから生まれた小さな綻びが次第に大きな波紋を呼んでいき、やがて取り返しのつかない結末を呼び込むヒューマンドラマです。と同時にマイルドな法廷映画であり、一流のミステリーでもあります。脚本、演技、演出、全てが◎です。中でも脚本が素晴らしい。観終わった瞬間、まだこんなプロットが世の中に残されていたのかと思いました。

文章ではなく、映画でなければ成立しないプロットと演出であり、コーランを礎にした倫理観が背景にあるからこそ成立する物語でもあります。映画である事、イランを舞台にしていること、全てに必然性がある。手法と題材に必然性があることは、一流作品の必要条件であると私は考えます。

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 人が関わることに何か確固たる「事実」があり、それは調査したり、勉強したりすればわかると思っている方は名探偵コナンの見過ぎではないかと思います。そういう方にこそ、この『別離』という映画を見てほしいです。(まあ、名張ぶどう酒事件のドキュメンタリーでも、芥川龍之介の『藪の中』でもなんでもいいのですが。)

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 GW明けは検察庁法改正案の件で世の中が世の中が揉めていました。桜を見る会、森友や広島地検の件まで関わって大ごとになっているようです。色々な論争がありますが、その中で私が引っかかったのは「勉強してから発言しろ」「勉強していないバカは発言するな」「間違った理解を拡散するな」というものです。(*1)

 もちろん科学の世界では間違ったことを吹聴することは罪であり、勉強せずに発言することは悪です。けれども、政治の問題、つまり集団の合意形成に関わる問題は勉強すれば真実や正しさがわかるようなものなのでしょうか? 真実や正しさを一つに決められる世界なのでしょうか?

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 例え話を挟んでみたいと思います。帰り道にコンビニで買うアイスの実を完熟メロン味にするか、レギュラーの白桃味にするか迷っていたとします。あなたの中で様々な論争の末、結局白桃味を買うことになりました。家でアードベッグをトワイスアップにして、薄暗い部屋でディアンジェロなんかをを流しながら、溶けるぎりぎりまで熟成した白桃味のアイスの実を一つ口に入れます。舌の上に甘美な響きがあります。あなたはものすごく幸せな気持ちになります。今日は白桃味にして正解だった、と思います。
 
 ここで一つ問を立ててみたいと思います。白桃味を選択したことの正しさを科学的、論理的に説明することは可能でしょうか?もしくは、完熟メロン味を選んだ時にもっと良い結果になっていたかもしれないことを反証することはできるでしょうか?私には不可能なことのように思われます。仮に、論理的に、科学的に後付けで説明できたとしましょう。しかし、それは結果論の後付けではないでしょうか?コンビニのアイスボックスの前に立っている時、あなたはその論理を構築することができたでしょうか?もしくは、明日またコンビニのアイスボックスの前に立った時、同じ論理で正解を選ぶことができるでしょうか?

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 政治の世界は不可逆的な意思決定にまつわる一回性の場です。そこには客観性や科学的正しさなど存在しないように思ます。それは「勉強すれば何が正しいかわかる」ような代物ではないことを意味します。真実や事実というものはデファクトスタンダードで決まるものであり、客観的には存在しないのです。(多くの人がそれらしいと信じていることが事実になる。)すなわち、科学の世界と違って、集団の合意形成の世界では、勉強すればするほど真理や正解に近づくという保証はないということになります。(もちろん、政治制度や政策を結果から振り返って科学的に評価することはできます。また、科学の世界だって突き詰めればそれらしいと信じられている事が事実とされていることに変わりはないのですが。)

 幸い、何人かの親しい友人が有識者(中の人)だったので、今回の問題についてZoomやLineで複数人に直接話を聞き、個人的に解説をしてもらいました。皆、色々な軸、価値尺度で話をしていました。みな優秀で人格的にも優れており、一つ一つの話はクリアカットでわかりやすかったです。しかし、結局、何が意図されて、どういう経緯でこんなことになっているのか、全体像はさっぱりわかりませんでした。迷宮入りです。(*2)

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 少し別の観点からも考えてみたいと思います。例えば「法律について勉強する」といった場合、条文を読んで理解できなければ、今回の件を勉強したことにはならないでしょう。けれども、そもそも、法律なんて、生半可な勉強で読めるようには作ってありません。義務教育を受けただけではもちろん無理です。法学部を卒業していてもかなり怪しいです。ある程度トレーニングを積み、官僚や法曹の実務者として経験しなければ条文を読みみこなすのは厳しいでしょう。

 条文を読めるようにならなければ、政治に参加できないというのであれば、もはや民主主義は成立しないのではないでしょうか。一般人は政治のことを勉強してから政治のことを話せというのは、患者は医学を勉強して自分の症状に対する所見をまとめてから、病院にかかりに来いと言っているようなものなのです。

 それではバカはどこまで勉強すれば勉強したと言えるのでしょうか? バカは勉強しろと言っている方はご自身の勉強が十全かどうかどのように判断しているのでしょうか? ご自身が納得できると思われる情報、自分にとって正解だと思われる情報が出てくるまで調べただけなのではないでしょうか? 自分が納得したからと言ってなぜそこで政治に参加して良いレベルまで勉強が完了したと言えるのでしょうか?ご自身が信じたいものをが出てきた時点で思考停止しているだけではないでしょうか?それはバカの野次と何が違うのでしょうか?バカだって勉強はしたつもりだし、自分の信念に従ってヤジを飛ばし、意思表示しています。

 民主主義という仕組みそのものがバカの発言を寄せ集めて集合知とし、それを用いて意思決定することが前提とされているのです。民主主義において我々は永遠にバカであるし、とどのつまり、バカなどどこにもいないのです。(全員バカであればバカなど定義できなくなります。)(*3)

 「民主主義は常に衆愚政に陥るのか」という批判があるかもしれません。衆愚的かそうでないかというのは政体の問題ではないと思いますが、有史以後はやはり衆愚と寡頭制(人格者による独裁や寡頭制も含む)の間を振り子のように行ったり来たりしているように思えます。

 この辺りのことは「暴力の時代が来る」というタイトルの別記事にまとめ直したいと思っています。

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 映画の話に戻りましょう。この映画の中でコーランは、真理のない人の世の中における一つ判断軸としての役割を果たしていました。つまりそれはある個人の信念であり、ある個人が決して裏切ることができないものです。得てして、そうした信念は美徳とされがちです。しかし、この作品の白眉は「そうした美徳が常に全ての人を幸せにするわけではない」という点にまで視座が及んでいる点です。

 映画のラストは人でごった返した裁判所の廊下が淡々と移し出されて終わります。音楽の代わりに、人々の喧騒が聞こえてきます。映画の中でフォーカスされていた登場人物たちは再び市井の一員に戻っていきます。そこにはただ、ブルートーンの灰色が涼しげに横たわっているだけなのです。

 今回の評価は文句なしの星5つ★★★★★

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(*1)芸能人の「政治的発言」についてはまた別です。彼らは人生を切り売りしているわけですから、その政治的発言まで含め商品わけです。そこから先は個別のマーケティングと営業戦略の話で、ある発言をした方が売れると判断すれば続ければ良いし、ある発言をしたら売れなくなるけど、それでも言いたいことは言っておきたいと判断すれば発言を続ければ良いのだろうと思います。ちなみに、政治的でない発言と政治的な発言というのは本来切り分けられないと私は考えています。なぜなら、政治的発言をしても許される世界において、政治的発言をしないということは、それはそれで政治的な行動だからです。(選択肢としては等価なので。)例えば学校のホームルームで、掃除当番のルールについて喧々諤々に議論が紛糾していたとして、そこで突然手を上げて、ダジャレを行ったりすることは、明らかに状況に対する抗議(早く帰りたいとか)に値するでしょう。

(*2) 今回の問題は、①ビューロクラシーとデモクラシーの均衡をどのように取るか ②ビューロクラシーやデモクラシー自体の信頼性をどのように確保するか という問題が混在して議論されているような気がします。そして、そもそもビューロクラシーとデモクラシーとはなんなのかという定義が共有されていない中で話が進んでいます。その辺りを整理すれば、正解にたどりつかないまでも、問題の焦点ははっきりしてくるのだろうというのが所感です。

お前の意見表明をしないのは逃げだとか言われそうなので、コメントしておくと、「ビューロクラシーとデモクラシーの均衡をデモクラシー側に少し寄せるために、検察の権限を弱めることに対しては賛成だが、それ以前にデモクラシーが信憑性をどのように確保するのか等閑にされている」ということになろうかと思います。

(*3)今回の記事ではちょっとバカバカ書きすぎましたので、バカにまつわる好きな短歌を載せて反省しておきたいと思います。

馬鹿中の馬鹿に向かって馬鹿馬鹿と怒った俺が馬鹿以下の馬鹿/枡野浩一

 
 

 

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