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3年振りの帰国で気づくネオ日本人Ver.0のワタシ

大阪に3年ぶりに1.5ヶ月帰っていた2023年。

夫はメルボルンにお留守番でいないけど、
自分の血縁家族はみんな周りにいる。
アウェイ感のないお正月を過ごせてとても嬉しかった。

2022年12月半ばから帰国していたので、クリスマスと大晦日も、しかも家族とお正月が過ごせる!と、娘もとても楽しみにしていた。

数年ぶりに見る紅白はけんだまの人?これが今の
氷川きよしなのか!とか全く自分の中で知らない人になっていて、90年代に聞いていたリンドバーグ等もリバイバルされていて、懐かしい気持ちで一杯でおまけにすらすらと歌詞を間違わずに歌う私をキョトンとして見ていた姪っ子がいた。笑

2022年に最も歌われた歌番組上位10位を見ても一切わからず、ADO?2DアニメがTVに出る新時代なのかーーーーwとか思ってる矢先に
逆に姪っ子が隣で振り付けも含めて普っ通〜に歌っていて、自分の浦島太郎感が半端なかった気がする。

毎年帰って来れてたらあまり思わなかっただろうか。

「ゆく年くる年を見ないと年越した気がしーひんから見てから初詣」と古臭い事をいう自分がいたりして、その癖、周りの妹家族や親は
もう誰も初詣なんかに行かないという。

えーーーーーー???!今初詣、な・ん・か・って言うた?!日本人なのに?!??行ける機会があるのに!??!?

しかも年越しそばも、もう太るから、
昼に食べるねん。と年越しなんていう意味が全くないではないか!と白目を向きそうなことを言う。

わいは行くで。なぁ?と張り切って娘に目配せをしたら、娘はやっぱり12時まで起きていられるという特権付きが嬉しかったみたいで、その横にいる姪っ子までもが、私も行きたい!と乗ってきてくれた。よっし!

そしたら、おかんも「ほなら私も行くわぁー。」と渋々乗り気になってくれた。

昔はしかもチリチリバラバラに境内に入ってお参りを、という感じだったのだけれど、最近は実家の周りは10階建て以上のマンションが立ってきて、実家もほぼそのマンション群に囲まれる形になってきている。

そのためか、地元の人の数が減ってきて、
他所から来る人達の方が増えてきているのか、
45年にして生まれてはじめて地元の神社で並んだ!!!!!

「今最近はここもこんなん。マナーが
ようなってきたんちゃう。」とは妹談。

地元民だけだった時の方がマナーというものがなかったのか、なんだったのか。新時代になったな、と思った。新時代はこの未来だ〜〜〜とADOが脳内再生される。

2022年にはメルボルンに住んで、20年が経過した。今は2023年になったので21年目になった。

20年という区切りは凄いと思う。人っ子一人が成人するほど(あ、今は18年か!?)人生の半分をメルボルンで過ごしていて、もう自分が日本人なのか、豪州人なのか、アイデンティティの分からないネオ日本人Ver.0になっている気がする。

ここ数年日本のシステムにもハマっていない
宙ぶらりんな気がしている。

そんなネオ日本人Ver.0なんだけど、所作や考え方をCtr(🍎Cmmnd)+Alt(🍎Opt)+Delで
強制終了できるはずもなく、今回の帰国で60代ぐらいの人とが一番話が合う気がした。笑

ネオ日本人Ver.0という逆輸入なんだけど、中身はザ・昭和なままなんだな、
私って。

西洋文化で暮らしているので、国際基準的にアプデはされてはいるものの、
なんか日本に帰ってくると古臭い人なんだなー自分って。と思ってしまった。


人生の半分以上の年月をメルボルンで暮らし、
娘を除く自分の血縁関係が周りにいない、というのはなんとなくとても悲しい気がしていた。

悲しい気持ちというのを深く考えてみたら、
極端な話、娘が生まれる前までは私の事を知っているのは夫のみ。という事だったからだと思う。

でも今回の一時帰国でメルボルンに帰ってきて、またいつもの自分のルーティンに戻った時、なんとなく今までに感じたことのない清々しい、自由になったような気持ちになったのは確かなのだ。

メルボルンには切っても切れない(実際には別に切れるけど)、血縁関係の人がいないと思ったら、言い換えれば自分ってめちゃくちゃ柵のない自由な存在なんだな、と改めて思った。

そう、何でもできる!やろうと思えば何でも!ここには自分しかいないねんもん!周りの目なんて気にしないで、やりたいことをやればいい!

なんとなくそんな風に思えたのだ。

家族と離れる時はそれこそ毎回号泣で悲しいのだが、その寂しさと引き換えにこの自由を手に入れているのかもしれない、とネオ日本人Ver.0のワタシは思った。



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