届かない手紙

拝啓 あなたへ

お元気ですか。暑中見舞いでも書こうかなと思い、あっという間に三年近く経ってしまいました。三年間、書いては捨てての繰り返しでした。書こうとすれば、書かなかった言葉から、思いが零れるような気がして嫌だったんです。私は文章も上手ではありませんし、きっと何が言いたいかわからない、そんなお手紙になってしまうことをあらかじめご了承くださいね。
仕事もだいぶ落ち着き、ようやく近況を綴れそうなので、こうしてペンを取っています。
私は元気で暮らしています。母も、妹も、相変わらずです。月日の経つ早さにただ驚いています。一緒に植えたブーゲンビリアも、花壇から溢れんばかりに咲いていて、今見たらきっと驚くんじゃないかしら。最初に家へ来たとき、殺風景だから花でも植えたらどうかって言い出したのも、あなたでしたね。そしてあなたなしでもこうして何食わぬ顔をして、生活をそれなりに送っていることが…。いいえ、嘘です。あなたのことだからきっと全部見抜いていますよね。そうです。泣きました。あれから、随分と、泣きました。あなたと過ごしたこの街で、似た思い出ができる度に泣きました。思い出のピントがいつもずれているんです。現実はいつもぼやけているのに、あなたがそばにいると想像した架空の思い出の方がハッキリしているだなんて、情けないでしょ。
あなたを今でも覚えています。屋台の焼き鳥を頬張った時の無邪気な笑顔、線香花火をいつも最初に落として悔しがった声、少し寒そうにしていたら何も言わずかけてくれた上着のあなたの匂い、買い物でいつも私より先に行ってしまう背中…全部覚えているんです。だから、人混みの中にあなたと似た面影をつい探してしまう自分がいるんです。人違いばかりしました。もう、からかって、後ろから驚かしてもくれないんですね。今更会ったところでどうしようもないのに、馬鹿みたいですよね。あなたの全てを覚えているくせに、あなただけが目の前にいないなんて、こんな辛いことってありますか。いいえ、ごめんなさい。こんなこと言われても困りますよね。それなりに恋も、失恋もしました。今の恋人とはうまくいってます。でも、拭いきれないんです、やっぱり。恋を重ねても、あなたの姿がいつの間にか恋人を透過しちゃうんです。あなたの好みをいつしか恋人に押し付けている気がして、たまに怖くなるんです。旅行に行く度に、ここはあなたと一番行きたかった場所なんじゃないかって、少し複雑です。もちろん、今の恋人は好きです。大好きです。でも…隣にいてくれるのがあなたなら、どれだけ良かっただろうかって正直思っちゃうんです。不純ですね、こんなこと思いながら、それでも一緒にいるなんて。笑ってたしなめてくれますか。それともそんな人は嫌だと、いっそう嫌いになってくれますか。
あなたの声だけでももう一度聞きたいです。たった一言でいいんです。仕草や口癖、少し寝癖のついた後ろ姿は思い出せるのに、あれだけ浴びるように聞いたあなたの声だけはもう、思い出せないものなんですね。何度も、何度もあなたのことを忘れようとしました。あなたの好きだった歌手も聴かなくなりました。深夜のドライブで、いつも最初にかけていたあの曲です。あなた好みの服装も、フリージアの香水も、それから…ええ、この際だから正直に言います。あなたからもらったプレゼントも全部、捨てました。あなたが初めて私を抱きしめてくれたときに着ていた、あの花柄でフリルのついたワンピースも。そうやって、いろんな努力を重ねました。見た目を変え、恋人ができ、思い出も全部捨てたのに、捨てたのに、あなただけがどうしてもいなくなってくれないんですね。 やっぱり、私は、何年かけても、あなたが好きみたい。

これは、さっき言っていたブーゲンビリアです。お供え物には菊が良いのよなんて、お母さんは言ってましたけれど、あなたにはどうしても見せたくて。

また来ます。

#恋愛 #小説 #手紙 #短編小説 #夏 #エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?