ユキとの思い出2

そんな僕でも最近、雪を良いと思えたことがあったんです。たとえば何をやっても中途半端に終わり、弁明の言葉はどこか芯がなく、見知った友人の顔をすり抜けて空回りする日なんてのが月に2、3度あったりします。友人という幻想を信じたのが馬鹿だったと、人に信頼を寄せるなんて馬鹿のすることだとーもちろんそれは信頼という名の期待通りの諂いを受け取れなかった時の子供じみた失望感なのですがー人間への信頼を撤回しようとする心持ちでつく帰路での出来事でした。寒空は街を覆う未亡人のベールのような薄雲と共に青ざめ、果てにはポツリポツリと地上の一番星が点り始めます。僕の住んでいる場所は鄙びた山裾にほど近い場所なので、こういった、街の人間いはわからない時間変化がすぐ目につくのです。

自暴自棄に陥った時、都会は自己憐憫にすらもお金を要求する場所です。風俗や、飲み屋、24時間営業のファミレス、どこへいっても中途半端な人間ばかりが蝟集し、中途半端にしか自己憐憫に浸れないのです。都会で、市街地でそういった場所というのは誰も使用しないような廃れた公園の一角に佇立する公衆トイレくらいのものでしょうか。
その点、田舎は素晴らしいです。自己憐憫に浸ろうと思ったら、山川が目の前にあります。人間は僕を除き一人もいません。自然の暴力に身を委ね、その肉体的苦痛と共に訪れる自己憐憫には英雄的な陶酔すら感じられるものです。いつでも抱いてくれる暴力じみた自然は、雪の帰り道にも僕を優しく待っていてくれました。こんな人気の少ない道を歩こうものならものの30分で信頼を撤回しうる宣誓台へつくだろうと。ところがそんな衝動的な僕の望みはいとも簡単に自然の手に壊されてしまいました。匿名の足跡があり、匿名の動作が雪の上にしかと刻印されていたからです。きっとこの地区の小学生が通学時に通る道なのでしょう。その証拠に、しばらく歩いたところに、黄色い一輪の水仙のような小さな手袋が雪の上で綺麗に咲いているではありませんか。僕は自分の浅薄さを恥じました。雪は自分がいかに卑小な衝動で行動をしているか教えてくれました。雪はまだいる人間を教えてくれました。人から見たら青年期の取るに足らない経験かもしれませんが、この経験から僕は雪と少しだけ向き合い、仲直りの端緒になった気がします。
雪が人の行動を保存する媒体に見えてきました。朝の雪は大人が子供を思った優しさの痕跡です。昼の雪は往来する人の捺印された巨大なハガキです。夜の雪は地上の灯りをことごとく夜空へ投射する巨大なスクリーンです。

世界が徐々に美化され、最期には絵画の世界の住人になれるなら、それはとても素敵なことです。みなさん、雪に優しくしてあげてください。すぐに春は来ますから。

#エッセイ #回想 #追想 #雪 #冬 #日記

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