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こういう本をじっくりゆっくり売っていきたいんだわたしは、オーブフ!

またまたお久しぶりになってしまいました。

日々が泡のように溶けていきます。

諸行無常でございます。


さてさて、今回はどうしても紹介したい本を読んだので、またちょっと本屋の話からはそれてしまいますが、その本について書いてみたいと思います。


『泡』松家仁之 集英社


著者の松家さんは元新潮社の編集者であり、「クレストブックス」立ち上げ、「考える人」の編集長とものすごい経歴をお持ちの編集者さんですが、『火山のふもとで』という小説を出版し、デビュー作にして読売文学賞を受賞するという、小説家としても華々しいスタートを切られている方です。


そのデビュー作『火山のふもとで』を読んだ時から、降り積もる雪のように静かなのに、まるで美しい音楽を聴いているかのようなその文章に魅せられてしまって、以来全部の作品を追いかけているファンです。


今回『泡』というタイトルからはほとんど何も想像できず、オビには「最初で最後の青春小説」とあり、いったいどんな作品なんだろうと想像力をかき立てられました。

でも正直に言って、松家仁之の名前を知らなければわたしはこのタイトルとオビと装丁でこの本を手に取ることはなかったでしょう。

そこが少し残念。

装丁は悪くはないと思うけれど、書店の棚では白っぽい本はごまんとあって、目がすべってしまいます。

そしてタイトルはとてもいいんだけど情報が少なすぎるのに、この帯だけではなかなかこの本の良さが伝わらないような気がしてつらいです。

だから勝手に少しでもこの本の良さを伝えたくて、感想を書きたいと思いました。


あまりネタバレはしない方がいいと思うので、内容はざっくり書きます。


主人公はどうしても学校に行けなくなってしまった高校生、薫。夏休みに少しでも学校からも家からも遠いところへ行きたくて、あまり交流もない大叔父のところにお世話になる。

大叔父が営んでいるジャズ喫茶を手伝うという形でひと夏すごし、その間に従業員の岡田やその友人たちと出会い、接客したり、調理をしたり、海で泳いだりして、ほんの少しだけ見え方が変わるようなそんな物語。

あらすじを書くと本当によくあるような、何の変哲もない思春期の少年のひと夏の成長というような話なんだけど、読んでみるとまったく違うことに気づく。


まず薫が学校に行けなくなってしまう、大元の原因がちょっと変わっている(いじめとかではない)。そんなことがあるのか……という感じ。その原因がタイトルにもつながり、すべてのキーワードにもなってくるのでぜひ読んで、知って欲しい。ここには書きません。

そしてこういうタイプの小説だったら、大体はお世話になった先のおじさんがかなり世話焼きとか、変わったタイプでグイグイくるようなそんな人を期待するんじゃないかと思うけど、この大叔父の兼定はまったく違っていて、むしろ薫との距離の取り方がよくわからず、戸惑っているようなそんな印象。子供が好きと言うわけでもないけど、嫌いでもないからまあ受け入れたみたいな感じ。そして自分も過去に縛られていてそこからなかなか抜け出せずにいる。1人で強く生きているように見えて脆い部分があるという、ものすごく人間らしい人だ。

この兼定の過去のパートは一見物語には関係ないようで、実はすごく深みを与えていると思う。一気に実体を伴って浮かんでくるようになって、より一層切なさが増す。


そしてもう1人の重要人物、ジャズ喫茶「オーブフ」の従業員 “岡田“
彼も見事にあまりしゃべらない。
でも彼の方が薫に静かに寄り添って、そっといろいろなことを経験させてくれる。
接客の仕方から調理まで薫はこの人に教わり、密かな楽しみを見つけていく。

この3人の距離感がかなり独特で気持ちよい。絶妙な距離を取りながらお互いを信頼して、それぞれ影響を受けているのがわかる。

そしてこの静かな生活の中に響くジャズが物語にあきらかな彩りを添える。
ジャズも物語には関係ないようでいて、やっぱりなくてはならないスパイスになっている。

個人的な意見だけど、想定はジャズっぽいビジュアルだったらちょっと目を引いてカッコよかったんじゃないかなぁなんて思います。好みかなぁ。


わたしは実は青春小説は苦手。

みんなで力を合わせてとか、努力して勝ち取っていくとか、その先にみんなで見る美しいものみたいなイメージ、それを素晴らしいものだと押しつけてくるような印象があって気持ち悪かった。偏見かも。だけど今まで読んだのってそういうのが多かった。


この本はまったく違っていて、むしろ1人でいい。1人でじっくりゆっくり向き合ったっていいんだって思えた。それなのにこれは紛れもなく青春小説で、どんな感動的な話よりもわたしにとっては感動的だった。

青春って実際もっと鬱屈してるし、孤独だし、そういう感情と折り合えない自分との戦い……というかすり合わせだ。
実際は戦い方すらわからない方が多い。

社会に出てもそうだけど、学校に行っていると特に多数が正義になる。
そして子供たちは自分の力ではなかなかそこから抜け出すことは難しい。
それはもう自分の子供時代を忘れてしまった大人たちが想像もできないほど強い力で絶対的な正義なんだよね。

それでも薫はすごく強い人だ。1人でここから離れなくてはいけないと直感的に考え、実際にそうする。

そうすることで客観的になれて、自分を見つめることができ、少しだけ枠からはみ出すことができた。

新しいことをやってみるってものすごく勇気がいる。でもやってみると少しでも違う自分が見えて嬉しくなる。嬉しいという気持ちは単純だけどものすごく大事で、これがあるだけで生きられる。


それからこの小説だけじゃなく、松家さんの書くものはすべてそうだけど、細かい描写がものすごく美しいことも書いておきたい。

一節だけ抜き出すと

「こんな頼りなく愛想のない細い木でも、いつかは大木になるのだろうか。鳥がとまり、枝がやわらかくたわんで、風にそよぎながら葉裏を見せる余裕もうまれるのだろうか。夏の陽を浴び、地面に木陰をつくることもあるのだろうか。とてもそうは思えない……」

公園の小さな木を描いた部分。
何気ない1節だけど、はっとするほど美しく、的確にその光景をとらえているように感じる。

こういう文章がちりばめられていて、読んでいて気持ちがスッとする。
スッキリではなく、スッという感じでひとつまっすぐのびる気がする。


「オーブフ」とはドイツ語で靴の意味だそう。何度も呪文のように唱えていると、主人公が抱える病の "音” に通づるところがある。それはどこか非常にバカバカしくて、人生ってこんなもんだよなと言ってるようにも聞こえてきてなんだか嬉しい。

内容が重いようで、時に笑い出したくなるような軽やかさもあり、決して悲観的ではない。

ラストが美しすぎて、わたしもいつまでも波に消える泡を見つめながら、足の下の砂がさらわれていくのを感じているようだった。

人生とは儚い泡のように消え、後には何も残らない。それでも生きる。意味などなくとも。

オーブフ!オーブフ!小さな声でも力強い音楽のようなある夏の物語。


こういう本をゆっくりじっくり売っていきたい。わたしは。




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