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無常と春を告げる桜

多忙などが重なり、随分と久しぶりの記事掲載になってしまいました。
4月から改めてまた、投稿を再開していきたいと思います。

さて、桜前線が日本列島を北上しているそうです。
春の訪れを告げるものとして「桜」を想像される方は多いのではないでしょうか。
今の日本の国花であり、古来から日本文化に深く根付いた桜。
何故、ひとつの花が日本人の精神性を象徴するとまで言わしめるのか。この点について少し書いてみたいと思います。

1,桜はどのような植物か

亜科: サクラ亜科 Amygdaloideae
科: バラ科 Rosaceae
属: サクラ属 Cerasus もしくはスモモ属 Prunus
亜属: 上位分類をスモモ属とした場合は; サクラ亜属 subg. Cerasus
界: 植物界 Plantae
目: バラ目 Rosales
主に温帯に生育

大きく見るとバラの一種なんですね。梨・桃なども兄弟分と考えて良さそうです。
桜だけに話を絞ってみると、野生種である「山桜」

神代桜

と、人間による手が入った栽培品種の「里桜」に大別されます。
桜は変異が起こりやすい植物で、平安時代から江戸時代まででおよそ300種類の里桜が生み出されたといわれています。

両者の最大の違いは、「葉の出てくるタイミング」です。
山桜は「花と同時」、里桜は「花の後に葉が出る」のが一般的です。
※ただし、山桜の中でもソメイヨシノなどの親にあたる「エドヒガン」は、花芽の方が先に開く特性を持っています。

里桜の代表品種といえば江戸時代後期に生み出された「染井吉野(ソメイヨシノ)」

染井吉野

山桜の長寿の特性を強く受け継ぎ、古木の多い「枝垂桜(シダレザクラ)」

三春滝桜

などもあります。

特にソメイヨシノは全国にある里桜の8割を占めると言われていて、白い花を同じ時期に一気に咲かせ、そして満開から一斉に散っていくその姿は、桜のイメージとして広く認知されています。

ちなみに、山桜は非常に長寿で、神代桜(山梨県)のように推定樹齢2000年というとてつもない時間を生きてきた個体も存在します。
一方、ソメイヨシノは成長が早いものの、他の桜に比べ病気に弱く、短命であるという説があります。
現存する最古のソメイヨシノは、弘前城にある樹齢130年の個体です。

2,桜はいつから日本の象徴になったのか

桜が日本文化に顔を出すのは、遥か古代、奈良時代に遡ります。
春を告げる花として認知されていたのは、梅や桜、そして桃です。

ただ、当初は春を告げる花というと「梅」が中心だったようです。
奈良時代末期成立の『万葉集』を紐解くと
「梅」を交えて詠まれたものが110首ほど
「桜」を交えて詠まれたものが40首ほど
ですので、梅の方が優勢です。
※ただし、最も多く詠まれたのは「橘(日本固有種の柑橘)」です。

一方、平安時代(905年)成立の『古今和歌集』では
「梅」を交えて詠まれたものが20首ほど
「桜」を交えて詠まれたものが70首ほど
と逆転しています。
この傾向はその後の『新古今和歌集』でも見られます。

ということは、桜が優勢になったのは平安時代ごろと推測できますね。

ひなまつりでも飾られる桜(魔除けの願掛け)は『左近の桜』、橘(不老長寿の願掛け)は『右近の橘』と言われます。

ひな祭り


これは、宮中の警固などを行う近衛府である左近衛・右近衛が、それぞれ桜と橘の木の近くに配置されていたことが由来とされています。

しかしこの「左近の桜」、元々梅だったものを、840年ごろに仁明天皇

仁明天皇_日本の第54代天皇

が桜に植え替えました。
仁明天皇は生まれつき病弱で、自身の命を儚く散る桜に重ね合わせたとも。
その更衣(おつきの女官)だったという説もある小野小町は、

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

という桜にまつわる歌を詠んでいます。

さらに、『日本後紀』によれば、812年に嵯峨天皇

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も桜をこよなく愛し、平安京の神泉苑という寺院で、「花宴之節(かえんのせち)」という日本初の花見会を催したという記録が残っています。

これらのことからも、平安時代ごろに梅→桜への大きな意識変化があったことがうかがえます。

3,なぜ、桜に心が移ったのか

ここで、何故梅から桜に人々の関心が移ったのかという疑問が出てきます。
その理由のひとつが、平安時代の「文化の国風化」であると考えられています。

遣唐使が菅原道真の建議により廃止されたのが894年。
それ以前は、大陸文化が日本文化に色濃く影響を与えていました。
仏教、建築様式、漢字、紙や墨、農業技術、機織りなど工業技術など、挙げればきりがないほどです。
そして、大陸文化と共に日本に渡来した植物の一つが「梅」でした。

『三国志演義』では「梅林止渇」や「桃園結義(桃園の誓い)」など、梅や桃を背景にしたエピソードが登場します(桃も中国原産の植物です)。

一方、桜は神話にもその姿を現す日本古来の植物です。

その昔、木花咲耶姫

木花咲耶姫

は、日向に降臨した天照大御神の孫・邇邇芸命と、笠沙の岬で出逢い求婚されました。
父の大山津見神はそれを喜んで、姉の石長比売と共に差し出しました。
しかし、邇邇芸命は醜い石長比売を送り返し、美しい木花咲弥姫命とだけ結婚しました。
大山津見神はこれを怒り、
「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇芸命)の命は岩のように永遠のものとなり、木花咲弥姫命を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。木花咲弥姫命だけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げました。
そのため、その子孫の天皇の寿命も神々ほどは長くないのだそうです。

しかもその後、邇邇芸命は子を身籠った木花咲耶姫に対し、浮気の疑いをかけるなど人間性(?)を疑うような行動を連発。
怒りが頂点に達した木花咲耶姫は、
「もしこの子が浮気した結果の子(神の子ではない)なら、火の中で無事に生まれてくるわけがない」
と言い放ち、産屋に火をかけて燃え盛る炎の中で出産します(!)。
その結果、木花咲耶姫は火の神として富士山などに祀られることにもなるのですが…。
※この時生まれた三男(火遠理命)の孫が、神武天皇です。

そんな苛烈なエピソードもある木花咲耶姫ですが、日本に最初に桜を根付かせた女神でもあります。
「さくら」の語源は「コノハナサクヤヒメ」から来ているという説もあるほどです。

このように神話の時代から日本の花として認知されていた桜が、文化の国風化に伴い好まれるようになったというのが有力な説になっています。

4,無常観と桜

桜が人々の心をとらえた理由として、この時代の「無常観」が影響していると考えられます。
無常観といえば、平家物語の

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」

という有名なフレーズがあります。

「無常」は仏教における根本思想である「三相(無常・苦・無我)」の一つです。

この世の中の一切のものは常に生滅流転して、永遠不変のものはないということ。特に、人生の儚いこと。

を指します。

古代は貴族文化の華やかさの一方、天然痘などの致命的な疫病がたびたび流行し、噴火や大地震、落雷、天候不順による飢饉など、天変地異が相次いだ時代でもあります。
※869年の貞観地震(三陸沖)、878年の武蔵・相模地震(関東)、887年の仁和地震(南海トラフ)も、平安時代前期の出来事です。
このような天変地異に加え、頻発する戦乱で、まさしく末法の世が近づいているという世相も影響したと考えられます。

※末法思想
釈迦入滅後1500~2000年後に、末法の世が訪れ、人も世も最悪となり正しい仏教の教えが失われる時代となる、という考え方。今風に言えば、世紀末思想に近い。
日本では当時、1052年がその始まりとされていた。

「死」が非常に身近にあったこの時代、自分たちの運命を桜に照らし合わせたという背景も考えられるのではないでしょうか。

満開から儚く、そして美しく散る桜。
もし明日、人生を終えるならそのようにありたいと願う人は多かったに違いありません。
そういえば、先述の仁明天皇も同じような考えで桜を植えていましたね。
また、その後の武士道や神風など、桜の散り際に「死」の要素が入る原因は、この辺りにあるのかもしれません。

そういえば、映画「ラストサムライ」でも、桜がたびたび登場します。

ラストサムライ

外国の目から見ても、「日本の桜=潔い死の象徴」と見えるようです。

5,農耕と桜

一方で、梅・桃・桜には「春=農耕の始まり」を告げる花という側面があります。

特に、木花咲耶姫が根付かせた桜は山々に自生し、芽吹きの季節を鮮やかに告げる花でもあります。

山桜

それは同時に農耕の季節の始まりでもありました。

人々は古来から、神々に一年の豊作を祈り、農作業に励んできました。
大地から生み出される豊かな恵みは、土偶などに象徴される地母神信仰と結びついてきました。

このように、恵みをもたらす春を告げる花という側面も、桜が広く愛されてきた要因の一つと考えて良さそうです。

6,最後に

このように色々と書いてきましたが、どのような歴史や由来があるにしても、桜は美しいと感じる心は時代や場所を越えて共通しているようです。

このご時世、なかなか花見に出かけることもできませんが、いつの日かまた、気兼ねなく誰もが桜の木の下で春の訪れを感じられるようになることを願ってやみません。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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