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【読書感想】言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか 今井むつみ 秋田喜美

この本の概要

日常生活の必需品であり、知性や芸術の源である言語。
なぜヒトはことばを持つのか? 子どもはいかにしてことばを覚えるのか? 巨大システムの言語の起源とは? ヒトとAIや動物の違いは?

言語の本質を問うことは、人間とは何かを考えることである。
鍵は、オノマトペと、アブダクション(仮説形成)推論という人間特有の学ぶ力だ。認知科学者と言語学者が力を合わせ、言語の誕生と進化の謎を紐解き、ヒトの根源に迫る。

Amazon この本の内容より

久しぶりに本屋に行った時にPOPで絶賛してたので購入した本。表紙にも「話題沸騰!15万部突破!」とあるし、さぞかし面白いのだろうと思って読み始めたんですが、前半がめっちゃ言語学のお話でなかなか進みませんでした。
全部興味深いんですが、さくっと読む感じのものではなくて、読むのに脳みそ使う系なもんで、子育てで子どもらがザワザワしてるときに読んでもなかなか入ってこなくてね・・。集中して読書できて、こういうのを学んでいた大学生の時に読みたかったなぁ。
前半はちょっと手こずるものの、後半の章の子どもの言語習得や言語の進化、本質のあたりは、実際に自分も子育てしてるし、韓国語を学んでいたりもするので、自分ごととしての腹落ち感もあり、とても面白かったです。

オノマトペは言語か?

前半の章では、オノマトペが持つ性質やそもそもオノマトペは言語なのか、みたいなところを探っていきます。
オノマトペってのは「もこもこ」とか「ドキドキ」とか「ワンワン」とか、我々が日常的に会話や文章のなかでよく使っているアレです。

この本によるとそもそも言語には10個の原則があるんだそうです。その原則的にみると、オノマトペは一部しかその性質を持ってないので言語じゃないという説もあるらしいのですが筆者は言語として捉えています。具体的な言語の特徴はいか。

コミュニケーション機能
発信の目的がコミュニケーションに特化しているという性質。言語と同じく音を発する口笛や咳払いは誰かが聞くことを想定していないので非言語的(意図を持った口笛や咳払いは少し言語的)
オノマトペは相手に状況や感情を共有できるので言語的。

意味性
特定の音形が特定の意味に結びつく性質。「犬」という名詞が〈イヌ〉という概念と結びつくなど。それに対して口笛や咳払いは限られた状況以外では特定の意味と結びつかない。
オノマトペは「ワンワン」といえば犬の鳴き声、「ふんわり」だとやわらかさと結びつくので言語的。

超越性
目の前の物事だけじゃなくその場にないものや過去・未来の出来事など、存在の有無に関わらず時空を超えて物事を語ることができる性質。犬の鳴き声や口笛、咳払いは常にイマココ。言語の特徴のなかでも最重要なもののひとつらしい。
オノマトペはイマココに縛られず過去の話をする文脈でも未来の話をする文脈を表す場面で使えるので言語的。

継承性
特定の伝統・文化の中で教えられ習得されるという性質。日本であれば「イヌ」という概念は「いぬ」、英語では「dog」と呼ばれることを学ぶ必要があるがそういう学習による継承が可能なもの。
口笛は学習してできるようになるので継承性があるが、赤ちゃんの泣き声や咳払いは学習してできるようになるものではないので違う。
オノマトペは絵本などで「犬はワンワン」「車はブーブー」など学習していくので継承性がある。

習得可能性
子どもが母語を学ぶのは継承性だけど、母語以外も学ぶことができるという性質。日本人が英語や韓国語を学べるとかそういうこと。
イヌネコの鳴き声を真似て習得することはできてもそれで完全なコミュニケーションがとれるわけではないので動物の鳴き声は習得可能性は低い。
オノマトペは母語以外でも学ぶことができるので習得可能性がある。

生産性
既存の文や単語だけで発話しているわけではなく新たな発話を次々作り出せる性質。「⚪︎活」「⚪︎⚪︎ハラ」など単語を新たに作り出してるのがいい例。口笛や咳払いでは体系的な組み合わせの規則はなく新たな表現を作り出せるようにはできてない。
「モフモフ」「コシコシ」「ふるふる」などオノマトペは新しく生まれたりもしてるので生産性があると言える。

経済性
多くの情報を盛り込もうとする一方でできるだけ形式が単純で簡単にすませようとする性質。「さがる」という言葉に「下方向への移動」という意味のほかに「後ろ方向への移動」「値が小さくなる」など複数の意味をもたせることがいい例。咳払いや泣き声は多くの場合複数の意味をもたせることができない。
オノマトペは「カチカチ」にも「カチカチの氷」(硬いものを表す)、「社長の頭はカチカチ」(融通がきかない)などひとつのオノマトペで複数の意味をもたせ効率よく使うことができるので経済性もあると言える。

離散性
表現の仕方が連続的なグラデーションの関係ではなく、「赤」と「オレンジ」などどこかでふたつにわけてとらえる性質。英語でも「kick」「kicked」など、具体的にどこまで過去かは表してわけないけど現在と過去で分けて表現するなど。口笛や鳴き声は連続的でアナログ。
オノマトペは「コロコロ」と「ゴロゴロ」は複数回転、「コロッ」「コロン」などは一回転というふうに区別できるので離散的と言っていいのではないか

恣意性
言語の形式と意味の間の関係が恣意的(必然性がない)であるという性質。日本語で「イヌ」と呼ぶ動物は英語だと「dog」、フランス語では「シヤンchien」と、全く違う音形で呼ばれていてそれぞれの言語にある音、かたちと意味に繋がりや関連性はないということらしい(この特徴むずい)
対してオノマトペは「ワンワン」「パウワウ」「ワフワフ」などw、b、m、fなどの子音で共通するものが多く恣意性に反するため、言語ではないという位置付けで長い間扱われてきたらしい。けど筆者はこれに反論してて恣意性の特徴もあるよね、と語っている。(ここらへんの説明難しいので気になる人はぜひ読んでください)

二重性
音声言語を構成する音の一つ一つは意味を持たないが、その連なりは単語や単語の部品として意味を持つと言う特徴を指すそうですが、ちょっと二重性については私あんまりここで、まとめてかけるほどまだ理解しきれてないので気になる方はぜひ本を読んでみてください。


言語って毎日当たり前につかってるものだけど、その性質についてはそもそも考えたことがなかったので、こういう原理原則があったんだな、という学びが大きかったです。
あと、言語学に限らず全ての学問がそうなんだとは思うけど、言語というのを理解しようとするときは、ものすごーーく俯瞰した視点とミクロの視点とを交互に何度も何度もみていかねばならないんだな、というのも読んでてすごく感じました。そういうことをしてきた結果、こういう原理原則が発見されるし、それがアップデートされていくんですよね。なんか途方もない。。。当たり前だったり無意識の領域で行えていることをこうやって紐解いていくのは難しいけどおもしろい。


ワタクシ的名言

人間は記号が身体、あるいは自分の経験に接地できていないと学習できない。かたやAIは大量の(そして誤りのない良質な)データを受け取れば受け取るほど、記号から記号への漂流を続けながら、知識を驚異的なスピードで拡大し続けることができるのである。ただ重要な事は、誤りのない良質なデータを作るのは人間だし、そのデータを学習に使うようAIを誘導するのも人間だと言うことである。

p192 第6章 子供の言語習得2 アブダクション推論篇

人間の学習は、身体的な腹落ち感や、過去の経験との紐付けなどがないと、特に抽象的な概念(わかりやすい例では分数など)の理解が難しいのに対して、昨今のAIはその情報量で正解らしきものを抽出することができ、その精度も年々上がっています。
この人間の学習の方法ってほんとそうだなぁと自分自身も実感。人間って効率悪いよなぁと。特に私の場合、数学的なところはその分野のシナプス接続が悪いのかなかなか腹落ちできなくて苦労しました。
本にもあるように今のところは人がコントロールしていますが、AIの発達が進むと、地球上のごく一部の力と知恵を持つ人間がAIのコントロールを行い、それ以外のほとんどの人間はAIにコントロールされ、またコントロールされることのほうが快適、となっていく可能性も大いにあります(すでにもう、そうなっているのかもしれません)
AIに支配される未来がもうリアルにせまってきているかもしれない世界のなかで、言語という人を人たらしめているものや、人のあり方もまた変わっていきます。その行き着く先はなんなのか、気になります。

学習は「経験の丸暗記」によるものではなく、「推論」と言うステップを経たものなのである。

p205 第6章 子供の言語習得2 アブダクション推論篇  

言語だけでなく、たぶんすべての学習が「推論」というステップから導き出されるものなんだろうなと思います。
翻って、私たちの社会の現状をみてみると、学校をはじめとしたシステムのなかで、当人の内なる推論からくる真に自発的な学びではなく、外部から無理やり推論をさせられたうえで過去の誰かがやってきた経験からの知識をひたすらインプットされるという学びが殆どだったんだじゃないかな、とも思います。
学校生活でいろんなことを学びますが、実は学校に入る前の子供たちの学びの姿勢こそが人の本質で、(全部の教育がそうではないことはもちろんですが)学校に入ってからのお仕着せの学びは人を人たらしめている本質から遠ざけてしまっている残念なものなんだろうな、とも思いました。
なんか、すごく残念。
でも残念とも思いつつ、そのシステムから完全に脱却しようという確固たるマインドまではもてず、普通に普通の学校に通わせたりしている自分もなんだかちょっと残念だな、とも思ったり。。


こどもの言語習得の仕方がどんななのかを知ると、学校の英語学習の方向性とかに疑問を感じざるを得なかったです。そりゃ、何年やっても英語喋れないわな。。。人の学びのステップと全然違うんだもん。文法などの方は身体的じゃないんだよね。ロジック派の人には必要な道具なんだろうけど、コミュニケーションできるようにするという目的からすると文法なんてオプションなんじゃないかな?とか思いました。
日本人だって文法を頭に思い浮かべてからしゃべる人いないし。


難しいけど言葉に意識が行く人や学習などに興味がある人にはいいと思います!あと受験生にも!読んでてすごく受験問題に使いやすいな、と思ったよ。読んでみてください。



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