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島原旅行後 街道をゆく〜島原の諸道〜を読了

私は大阪出身なのですが、一年半前からご縁で九州に住んでいます。折角だからと九州に関する本を読み出して、はまってしまいました。

司馬遼太郎さんの『街道をゆく』もますば九州から読んでみようと思い、『島原・天草の諸道』を読みました。昨年、10月に島原へ遊びに行ったので私が見たものと『街道をゆく』を絡めながら島原の魅力を語ってみようかと思います。(天草はまだ行ってないです😢)

目次
1 島原城と松倉重政
2 島原グルメ 〜具雑煮 かんざらし 地獄そうめん〜
3 鉄砲町と鯉の泳ぐまち
4 寛政の大変と雲仙普賢岳の噴火
5 まだ行きたい 〜原城 リソサムニューム〜

1 島原城と松倉重政

日本史のなかで、松倉重政と言う人物ほど忌むべき存在はすくなくない。
〜中略〜
重政は大和にうまれ、豊臣末期に人となった。外様ながら徳川家康に気に入られ小大名にとりたてられ、多少の武功をたてた。抜擢されて島原半島一円の領主になり、その愚かな息子とともに島原の乱をひきおこす原因をつくるにいたる。

街道をゆく 島原・天草の諸道

ここまで書かれる人も珍しい。でも読んでも読んでも良いところはないです。もともと島原はあまりお米がとれないそうです。そこをこれでもかっていうくらい年貢を絞りとった…。
島原城に行ったとき、私はまだこの悪政の歴史を知りませんでした。それはもう立派なお城です。石垣を登った所に駐車場があって、子連れの私達には大変優しいお城でした。(お城って結構石垣下に駐車場があって、かなりの勾配を歩かせますよね?まぁ敵から守るためだから、そこら辺を味わうのが醍醐味なのかもしれませんが…)

でもこの島原城、本当はいらなかった?なぜならもうお城は日野江城、原城とあったから。ではなぜ建てたか?

むろん重政は切支丹ー領民ーを仮想敵とし、それを幕府への理由として城を作ったのであろう。しかし本心はただつくりたくて造ったのであろう。

街道をゆく 島原・天草の諸道

費用をひねり出すため、農民を絞りころすほどの勢いで絞ったそうです。現代、優しいと思った島原城、当時の人たちには全く優しくない。読んだ後に行ったら一矢報いたい気持ちにはなるんじゃないでしょうか?(本当にやってはだめです。現代は本当に優しいお城です。)

2 島原グルメ
〜具雑煮、かんざらし、地獄そうめん〜

『街道をゆく』で司馬遼太郎さんが諫早のおこし屋さんで一服する話がありました。島原の隣の諫早は稲作の好適地だそうです。諌早氏は百性への収奪もゆるやかで、余ったお米でおこしを作る余裕もあり名物になったのではと書かれてました。隣で領主さんが違うだけでそんな違いが。当時の島原の領民たちのやるせなさに苦しくなります。

でもでも、現代の島原には美味しいものがいっぱいあるんです。

私たちは具雑煮を食べました。島原城の前にある和食屋さんの名物で、開店直後に入ったので座れましたが、その後続々とお客さんが来てました。
とにかく優しいお出汁で具沢山。今でも家族と「あれうまかったよな〜。」「また食べたいよな〜。」と語り合われる一品です。一説には天草四郎が籠城の際に、餅を兵糧して作ったのではとあります。籠城でこんな美味しいもの食べれたかは分かりませんが、領民たちの頑張りを思い浮かべたらまた味わい深くなるかもしれません。

そしてかんざらしです。実は私たちこれ食べてないんですが、割引券をもらったんです。帰ってる途中でその割引券が出てきて読み上げたら

「白玉粉で作った小さな団子を島原の湧水で冷やし、蜂製の蜜をかけたもの」

めっちゃ美味そうやないの〜と叫びました。いやぁ食べたかった。
調べたら、かつてお米が貴重でくず米しか食べれず、すりつぶし米粉として長期保存して、夏になると湧水でお団子を作り、湧き水の中で保存してたそうです。そして島原では昔、砂糖の生産がさかんで、それで蜜をつくり、夏のおもてなしとしてかんざらしが振る舞われてたそうです。
お米が少ないからこその知恵からできたお菓子なんですね。心して是非食べたいです。

そして『街道がゆく』で司馬遼太郎さんが普通の家で振る舞われた素麺の地獄煮。
出汁は煮干しで、素麺をいきなりつゆに入れてじかに沸騰させるそうで早く食べなければ溶けてしまうそう。
調べてみると、五島うどんの地獄煮と島原の地獄そうめんがあるみたい?よくわからないんだけどポイントは麺をとにかく別茹でしないことみたいです。
島原の乱後、島原は人がいなくなってしまって幕府が島原への移住をすすめたそうです。そこで瀬戸内海小豆島から移住した人々が小豆島素麺をもたらし島原そうめんが名産になりました。
温かいそうめん食べたくなってきました。島原そうめんなら近所のスーパーで買えるかな?

3 鉄砲町と鯉の泳ぐまち

司馬遼太郎さんは鉄砲町という旧藩のころの徒士の居住区に行ってらっしゃいます。徒士は領地をもってなく、藩主の米蔵から扶持米をもらうそうで、今で言えば給料をもらうサラリーマンのように思えばいいのでしょうか?徒士階級の屋敷が残ってるのはここくらいではないかと書かれています。私は鉄砲町は逃してしまったのですが近くの鯉の泳ぐまちという所に行きました。
島原市は水の都らしくてきれいな湧水がたくさんあります。司馬遼太郎さんも鉄砲町で湧水を飲んでらっしゃいました。
本に鯉のこと、載ってないかなと期待したのですがありませんでした。昭和53年7月に清流を活かした街づくりのためはじめて放流したそうです。この島原・天草の諸道は昭和52.10〜昭和53.1の週刊朝日が初出みたいなのでニアミスか…。でもきれいな水は残っていて、しかも新たなスポットまで作られて素敵な発展の仕方だなとバカみたいな感想で申し訳ないのですが、単純に思いました。

4 寛政の大変と雲仙普賢岳

眉山が、島原市街の背後に立ちはだかっているのである。〜中略〜
この山は寛政四(1792)年、噴火震動して、市街前面の大斜面が、頂上から麓まてタテに真二つになるほどに崩れ落ち、市街地を火と泥でうずめつつ海に落ち込んだことがある。死者9000余人といわれた。

街道をゆく 島原・天草の諸道

寛政の大変と呼ばれた、江戸時代最大の被害であったのではないかと言われる災害です。知りませんでした。
知っているのは平成の雲仙普賢岳の噴火。198年ぶりの噴火だったそうです。「雲仙岳災害記念館」(がまだすドーム)は、その時の土石流でできた新しい土地に建てたそうです。体験型火山ミュージアムで噴火について優しく学べる施設。実は今回私は行ってなくて、次回はぜひ行きたいと思ってます。
私は土石流被災家屋保存公園に行きました。雲仙普賢岳噴火による土石流で被災した11棟の被災家屋が保存展示されてます。埋まってしまって瓦屋根しか見えてない家がそのまま保存されています。
司馬遼太郎さんは島原の人にとって遠い過去である、悪政や切支丹に対する虐殺など思い出したくもないことで、ニ世紀ほど前の眉山の地異も未来永劫に無事であると思われる以上、執拗に思い出す必要はないと書かれてます。もちろんこれを書かれた時は、平成の噴火なんて誰も想像もしなかったからです。
戦争でも災害でも、悲劇は繰り返したくない。だから伝えて行かなくてはならない。でも語り部はいつかいなくなってしまう。太平洋戦争でも東日本大震災でも風化の問題は共通です。遺構保存も維持費等、問題も多いと思います。
風化問題に興味があって、特に太平洋戦争は語り部の高齢化が深刻です。もちろん私も体験者ではないけど、絶対に同じ過ちは繰り返してはならないと思ってます。
災害だから戦争とは違う話なんだけど、ニ世紀前の教訓はやっぱりなかなか語り継がれるのは難しいんだなと思いを馳せてしまいました。
でも現在、ミュージアムや公園を作って後世に災害の教訓を伝えている姿勢は、風化問題の解決の糸口になるのではないでしょうか。遠方の方は難しいかもですが近隣で可能な人には是非行ってほしい。コロナ禍の問題もあり勝手な願いですが、学校の遠足や修学旅行とかでもどんどん行ってほしいなと思いました。

5 行ってみたい
〜原城 リサソムニューム〜

ここまで書いてみて、結構行ってないじゃんと言われそうです。そしてまだまだ行ってない😅
南島原市には行ってないので島原の乱で籠城の舞台になった原城跡には行ってないです。
その原城の後ろの海のことなんですが、本の中でまた気になるものを見つけました。

毎年、旧暦3月3日などの最干潮のときにそこが干上がり、白い洲になる。洲が白いのは、リサソニュームという水生植物が石灰質の残骸を集積させて礁をなしているからだという。

街道をゆく 島原・天草の諸道

珊瑚は動物でリサソムニュームは植物だそうです。海藻のなかの紅藻類に属し、大変珍しくてイギリスとインド洋とこの原城の海にしかないそうです。

リソサムニュームという紅藻類が、なぜ死ねば骨のように白い石灰質の石になるのか、学問的にもよくわかっていないらしいが、この世界的に珍奇な水生植物について考えるとき、別に接点はないにせよ、十字架の旗のもとで死んだ原城の3万の霊とつい気分として重なってしまう。

街道をゆく 島原・天草の諸道

と思いを巡らせています。世界に3箇所しかないものと言われたら行ってみたいと思ってしまいます。

以上、私の旅行記&司馬遼太郎さんが誘ってくれた島原への時間旅行記でした。
先に行って後で読んだので、いっぱい行きそびれたところ、知らなかったこともありましたが島原に二度訪れた気持ちになりました。欲をいえばもう一度行きたいです。

長々と読んでいただきありがとうございました。

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