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激怒する人のはなし─(私体験から心理考察まで)

みなさんは、
他人から「理不尽なことで激怒された記憶」って あるだろうか?

私は、いつ頃のものか不明だが、
「昔の強烈な思い出」ファイルに保存された
エピソードがある。


それは、母から、

「あなたが◯◯(音楽の習い事)をしているから、お金はなくなって、旅行にだって行けないし..!(略)あなたのせいで、私の人生めちゃくちゃよ!私の人生返して!!

と半分ヒステリック調に、迫られたこと。

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強烈な記憶

小さいころの私は、涙まじりの強烈な、母の迫力に圧倒されてしまい、それ以上、何も言えなかった。唇を噛みしめ、涙をボロボロ流し、頭は混乱状態。多分、そんな感じだったのだと思う。

一番の問題は、それが どういう経緯で、そのような言葉を、投げかけられるまでに至ったかということが、今となってはハッキリと思い出せないこと。根っこにある原因を冷静に見られないまま、ただただ、投げかけられた言葉のみが、私の中に存在し続けているのである。


「私が◯◯を、ちゃんと言われた通りできないのなら、やっていること自体が他の人の迷惑。できないのなら辞めなさい。」

というメッセージを、その頃、事あるごとに母から受けとってきた。

あぁ、私は迷惑にならないように、ちゃんとしなきゃ!=「(母に叱られている)いつもの私は 人様の迷惑」という考えが、頭の片隅に居座っていたように思う。

ただ、このメッセージは、私が歪めて受け取っていたのか、すれ違いだったのか、今となっては調べる術も 勇気もない。だが、投げつけられた言葉と それに付随する態度は、幼き自分にとっては 強烈だった。

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母から、こんな風に言われるのがイヤ。
でも、どうやって、
この状況を抜け出せるのかが、
わからない。

自分のせいなの?

母に言われた通りの、
ロボットになればいいの?

私なんて、いない方がいいのかな。


そんな思いが、脳みそを駆け巡ったりもした。

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ここまで、読んだ人は、どう思っただろう?

よくある話?
意味わかんない?


私は、
「なぜ そんな、ヒドイことを言うんだろう。」
「そういうことを 平気で言う人なのかな。」

そんな事を思っていた。
だが、本当にそうだろうか?


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キーワードは、「防衛機制」

最近、初めて知った言葉がある。
そう、「防衛機制」だ。

防衛機制(ぼうえいきせい、英: defence mechanism)とは、受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時に、それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理的メカニズムである。欲求不満などによって社会に適応が出来ない状態に陥った時に行われる自我の再適応メカニズムを指す。広義においては、自我と超自我が本能的衝動をコントロールする全ての操作を指す。          (Wikipediaより)
人間にはエス(イド)という心の深層があり、そのエス(イド)から来る欲動から自我が身を守ったり、それを上手く現実適応的に活用したりする方法が、防衛という形で現れる。防衛自体は自我の安定を保つ為に行われるので、健全な機能と言えるが、時にはそれは不快な感情や気分を人間に与えることもある。     (Wikipediaより)

少しわかりづらいと思うので、自分なりに調べ、まとめたもので、解説しようと思う。

人間は無意識に感じている欲求を、誰しも持っている。(あれがしたい、これがしたい!) でも、それにのみ従って生きたら、社会で生きていけないし、もはや、理性を持たず本能で生きている動物と変わらないわけだ。かと言って、その欲求を満たさないでいると、心は不安定になってくる。そこで登場するのが、この「防衛機制」。

防衛機制を使うことによって、その欲求と上手く付き合ったり、欲求を抑えたり、社会の中で役立つものに変換したりするのだ。(例: 音楽活動など) なので、防衛機制というシステム自体は誰もが持っている、自然なものだと言える。

欲求に、どう反応し対応するか。その防衛機制の種類はさまざまだ。Wikipediaに載っているもので40項目以上もある。中には、前向きなエネルギーとなるものもあれば、自分も思いあたるような、「良くないと わかっていても、やってしまうこと」、「なんだか、やりたくなるもの」も入っている。(例えば、憧れる有名人のマネをすること→自分の魅力が上がったように感じる [同一化] )こうした抗えない欲求の感覚は、ここから来ていたのかと納得。こうして人間は、自分を守ったり、自分が壊れたりしないようにしているのだ。

(もっと知りたい方は、こちらのサイトでイラスト付きのわかりやすい説明がされていたので、どうぞ!→http://act.o.oo7.jp/muishiki2/2-8.html)

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置き換えの例

ちなみに、この防衛機制は、複数のものが組み合わさって行動へと繋がっている場合が多い。

だが今回は 一つだけ、私と母のエピソードにも当てはまる、「置き換え」をピックアップして紹介しよう。

【置き換え(おきかえ)】
自分の欲求することが困難なことであったり、
社会的に認められない場合に、手近かなもの
を代替として不満を解消したり、満足を
得ようとします。                                                    (「無意識を知ろう」極楽とんぼの精神分析学入門 サイトより)


その当時、これまた強烈な父は、母としばしばケンカを 勃発させていた。そのケンカの発端が、お金に関してだったことも多い。今から考えると、この置き換えで、私に その矛先が向けられたのだと思う。母は父からの圧力、また父との不和で生じた母の中の葛藤や欲求を、私に向けて解消しようとした。簡単に言ってしまえば、八つ当たりだ。

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あの小さいころの私も、それが半分、八つ当たりだとは薄々気づいていた。母も一杯いっぱい だったのだと思う。しかし、わかれば わかるほど、イラだった。だからって、なぜ、自分は八つ当たりをされなくては いけないのか。そんな人間の側面なんてダイキライだ、と。

だが、この防衛機制を知って、あぁ、そんなふうに取り乱して怒ったのは、その人の、苦悩と葛藤の裏返しだったんだ。自分を保つためのシステム を作動させて、怒っていたのであって。その人自身の、無意識下にある目的を達成するために使っていたのか。と激怒していた人への認識が、少し変わったと思う。私の理解の面では、かなりスッキリした。

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理解するだけでは終わらない

      ──私にとっての心理学


かと言って、防衛機制によるどんな行為も、許されるわけではない。そのうえ、防衛機制から生じた言動を、人が どう受けとるかは、また別の話である。私の頭に保存されている思い出、さまざまな経験を経てできた私の思考グセに、どう反応するか、それと どう付き合うかは、私の課題となっていくのだ。

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誰にだって未熟なところもあれば、良いところもある。
事実、私の家族も、ケンカがないときは面白くて真面目。週末には決まって 遊園地やら博物館やら、子供が楽しめそうなところへ、遊びに連れていってくれるような、そんな家族であった。時には良い言葉をかけてくれたし、私の習い事に、たくさんお金がかかっていたのも事実だ。それだけ かけてくれたのも、愛情の裏返しであったのかなとも思う。人によっていろいろな見方・意見があるとおもうが、私は、そう思っている。

でもそれを、最初から表面的に見える材料だけで理解するのは、私にとって難しかった。どうしても、否定的な部分が拡大されて見えるし、矛盾点が多すぎるのだ。だが、心理学的な知識は、それらを読み解くヒントになる。だから、これからも心理学は、私の生きる支えと なっていくだろう。

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あとがき

どんなことを人から言われようが、どれだけ人の心理システムを知ろうが、「わたし」は何を思い、何を望んで行動するのかを最終的に決めるのは、この「わたし」である。だが、私は時々その、「わたし」を見失ってしまうことが多い。だから、まだまだ模索中だ。自分が混乱していたり、中から ヒョイと その顔がお目見えしたらば、静観して、少しずつ 丁寧にノートと共に向き合おうと思う。(→追記)

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mokk

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※私は心理学者でもなく、専門家でもなく、素人なりに調べまとめたものなので、もし間違った認識・表現などがありましたら、訂正いたします。その際は、お手数ですがメッセージいただけたらと思います。

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追記✧˖°

もし、私のような、辛い記憶で悩んでいる人がいたら、ぜひ、カウンセラーなど、第3者に、少しずつでいいから 話をこぼしてほしい。ただし、どんな話をしても、受け止め、寄り添って聞いてくれるという、信頼ができる人に話すというのが大事。 (とても大きなトラウマを抱えている方は、思い出そうとせずに、専門のカウンセラーさんに 相談するのがいいと思います。)

私は、今まで自分で向き合おうとしたが、なかなか、自分の枠から外れて見ることができなかった。その後、とある信頼できる友人に、少しずつ こぼしていったり、少しカウンセリングを受けてみたのだ。そしたら、自分や周りのことを、より客観的に見られるようになり、また自分の強みなどに、気づけるようになったと思う。私が、なぜオススメするかというと、それを抱えたままだと、なんだか生きづらいし、自分の可能性を せばめると思うからだ。それは、この一回きりの人生、とても もったいないじゃん?


画像 by ぱくたそ

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