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マスコミは信じないとか言うけれど…~情報社会との上手な付き合い方の話~

少し前に行った美容室での話。どういう経緯だったかわからないけれど、施術を受けながら話しているとそのうち社会批判的な感じの話になり、美容師の方が僕にこう問いかけてきた。

「日本人のマスコミ、テレビの信用率って知ってますか?」

私がある程度答えを予期しながらも「知らないです。いくらぐらいですか?」と聞くと、その人はやや感情を高ぶらせながら、

「75%ですよ⁉ 世界的に見てもこんなに高いのは日本くらい。いやまじでありえない数字っすよねー。」

と答えた。そうして日本のマスコミが世論をあおるように仕向けていることの悪徳さや、それにまんまとのせられている国民の愚かさについて、彼は意気揚々と語った。これを聞いた当初、確かに高いなあと私も思った。そしてその美容師の人が言うように日本人って意外とマスコミ信じやすいんだなあとやや小ばかにする気持ちでいた。

でも最近これをもう一度自分でよく考えてみると、「いやその考え方はその考え方で割と危なくないか?」って思った。

今回の記事ではマスコミへの世間の評価を見ながら、マスコミとの上手い付き合い方を僕なりに考えてみる。

・「なぜマスコミは信じるに値しない」と考えられるのか

昨今、日本人の間で(主観では特にネット界隈や若者界隈において)日本のマスコミの報道は信じるに値しないと考える者が多いように感じる。その考えの原因となっているのは紛れもなくその報道の在り方であろう。

特定のマスメディアにおいて、たとえ報道されている内容が事実であってもそれだけを誇張して報道したり、あるいは視聴者を誤った解釈に導くような報道がなされているのを見かけることがある。それによって視聴者の不安が掻き立てられたり、混乱が起こる。

最近の例で言えば、新型コロナウイルスに伴う外出自粛の有無や、非常時の衛生用品の品切れ、マスクの効果が云々など、元の事実やデータに曲解や誇張が加わって本当や嘘が入り乱れてとんでもないことになっているのはもはや珍しいことではない。

まあマスメディアだって企業なわけで視聴率を稼ぎたいわけだからあの手この手を使うとそりゃそうなるのもわからなくもなくはあるが。

こうした事態が積もりに積もって最終的に現代のマスコミ批判につながってしまっているのだろう。ところがややこしいことにそのような声が目立つ一方で、マスメディアを信じていない人の割合は若年層でも全体の半分には届いていないという事態が起きている。

実際に、総務省が令和元年度に行った調査(https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd114120.html)によると、マスメディアに対する信頼度は先の考察通り若年層(20代~30代)で比較的低いものの、依然としてその数値は50%を上回っているし、ネットから得られる情報より信用度は高いようである。これはどういうことであろうか。

・拡声器としてのSNSツールやネット情報

データで見るとマスコミを信じていない人々はそれほど多くないにもかかわらず、こうもマスメディアのみ信じるに値しないという世の風潮はいったい何が原因なのだろうか。おそらくだが、それはあくまでSNSによって可視化されて拡張されただけの小さな声だと思う。

要するに炎上の理論と同じである。炎上の理論とは、一部の本当に少数の人があおったのがきっかけでそれが大きく膨れ上がってあることないこと飛び交って特定の人や会社が被害を受けるというあれだ。私は別にデータサイエンスの専門家でも何でもないので詳細は専門家の説明を参考にされたい。

マスコミは信じるに値しないというのはおそらくこれの一種であろう。特定の人間がTwitterやYoutubeのコメント欄でそういったことを言いはじめ、それが徐々に大きな潮流となって一つの大きな声になっている感じはある。

・マスコミ嫌いの傾向の成れの果て

しかし厄介なのは今回の話の場合、声の内容があながち間違っていないことである。上述したように、事実としてマスコミの報道によって不安があおられ、社会がたびたび混乱させられている事例はここ数年だけでもしばしばある。通常のデマや陰謀論など、嘘が盛りだくさんな炎上であれば無視して関与しないような人であっても、この潮流には賛同することが多く(言い方こそもう少しマイルドなものの)マスコミ批判をするのを見かける。この傾向が続けば、おそらくこの声は今後もますます大きくなるだろう。

そうなるとたぶんそのうち、マスコミvs国民(vs時々政府)みたいな構図ができあがると素人ながらに思う。とはいえネット情報も匿名のどこかの誰かが言ったことなんてなかなか信じられないから、マスコミの代替物になっていくことはないだろう。しかしそうとすれば、我々はこの先何も信用できない時代に突入するってことになってしまうわけだが・・・あれ? これじゃなんのために信用を求めていたのかわからなくなって本末転倒じゃないか! これが私が「マスコミ嫌い思想」に対して抱いた危機感である。

・情報の種類~「事実」と「解釈」~

当たり前のことだが、本来自分で見聞きしたことしかわからないはずの人間が、自分と無関係の話や遠い地域の事件について知ることができるのは特定の媒体を通して情報を取得するからである。裏を返せば、メディアなしでは我々は事実そのものの情報を取得することすらままなくなるわけだ。

そうなると「我々が得られる情報はすべてメディアの思うままじゃないか」と思うかもしれないが、案外そうでもないと私は思う。それは「情報」の種類について考えてみるとわかりやすい。

私が思うに、我々が取得している情報は大きく二種類に分けられる。「事実」「解釈」である。「事実」とは情報を伝える主体が実際に目で見て知覚した、物理的に実際に起こったといえる情報である。一方で「解釈」とは「事実」を聞いて、そこから派生して考えられる内容を第三者の主観をまじえて伝えられる情報である。

実際に例を使って説明する。「とある高校の放課後、A子ちゃんが同クラスの男子B男を体育館裏に呼び出した。」という「事実」があったとする。青春だなあって感じがする。さてこれを聞くと多くの人が「A子ちゃんがB男に告白した。」というストーリーを思い浮かべるであろう。しかし考えればわかるとは思うが、「事実」はあくまで「呼び出した」だけであり、「告白した」とは一言も言っていない。我々が無意識のうちに「事実」に「解釈」をあわせて情報を取得している例である。

・マスコミの情報操作のやり方

この話をもとに、マスコミの情報の信用性について考える。そうするとおそらくはっきりすることが一つある。それは、マスコミは「解釈」としての情報は操作ができても、「事実」としての情報はなかなか操作できないということである。

メディアは情報媒体とはいえ、大衆の目にさらされるために露骨な嘘すなわち「誤った事実」を伝えることはできない。そんなことをすれば瞬時に大嘘だとばれて信用が一瞬で下がるからである。一方で「解釈」の部分の操作であればどれだけやったって構わない。なぜならそれはあくまで一意見であって嘘ではないし、報道の自由で許されることが多いからである。

例えば内閣を批判するような操作が行われる場合、「内閣が解散しました」とかいう報道はしない。「事実」でないのが一瞬でばれるからだ。代わりに「世論調査で支持率が○○%となりました。ここから内閣への不満が示唆されます」という。こうすれば「事実」は(中身がよくわからない)世論調査のデータであり、「不満の示唆」は「解釈」になる。これがマスコミの情報操作のやり方だと思う。

・情報社会とうまく付き合っていくために

それではここまでの考察をもとに最後に情報社会とどのように付き合っていけばいいかについて考えてみたい。上述したマスコミの情報操作のやり方を見ればわかると思うが、マスコミは何もなんでもかんでも嘘を言っているわけではないのだ。ある程度は「事実」としての情報を語りながら頃合いを見計らって「解釈」としての情報を伝えている。うまい嘘のつき方は、嘘に時々ほんとのことを混ぜることだとよく言われる。まさにその通りなのだ。

だが逆に、ここからマスコミとの上手い付き合い方が導かれる。それすなわち、「事実」のみを利用するように意識して情報取得すればよいということである。

例えば最近のニュースから「事実」を切り取るのであれば、「○○まで緊急事態宣言が続く」、「国内で変異株の存在が確認されている」、「東京オリンピックはいまのところ開催未定」となる。いずれの場合もそこに「解釈」の余地はなく、公の組織によって実際に発表された事実である。宣言が伸びそうとか変異株の感染力がどうとかオリンピック開催されるかもとかそんな予測は1ミリも入れていない。

こう書くと「事実」の情報量は意外と少ないと思うかもしれない。その通りだがそれでよいのである。上述した通り、我々が情報を取得する際に最終的には自身の「解釈」を通す以上、そもそも他者から得る情報に無理に「解釈」をつける必要はないのである。というよりむしろ、情報を受けて行動するのは自分なのだから他人の「解釈」をあてにするのではなく、得られた「事実」をもとに自分の頭でよく考えて自分なりに「解釈」することが一番大事だと私は思う。

「マスコミは信用できない。」ということを言う人は多い。だがもしそれをマスコミから「事実」を含めた情報そのものの取得をやめることを意図して言っているならそれは大間違いである。なぜなら、それはマスコミの「解釈」から逃れる代わりにその風潮を広めた第三者の「解釈」にのせられているだけだからだ。

「事実」を選び取り自分の頭で考えて自分なりに「解釈」する。もともと自分のことに直結する「事実」なんてものはそう頻繁に変わらないはずだ。だから自分の「解釈」さえはっきりしていれば世間が情報でいかにあふれていようと情報に踊らされることはないだろう。


そんなことを思った今日この頃でした。あなたはこの「情報」をどのように受け取り「解釈」しますか? 

長文お読みいただきありがとうございました。

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