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小説 「六等星の煌き」 10

10.災厄

 リュウバを遠く離れた、帝都の近郊にあるという鑑別所内の牢獄で、私達は別々の房に入れられていた。狭い房の中でなら、手枷も縄も無く、粗末な寝台の上に寝転がったり、床の上を立ち歩いたりするくらいは許された。ただ、所持品は全て取り上げられ、押し着せの囚人服のみを着せられて、裸足で過ごすことを義務付けられた。底の硬い履き物は憲兵への抵抗を容易にし、脱獄にも有利となり得るからだろう。(そして、尋問の際には、靴を履いた憲兵に無防備な足を踏まれることになる。)
 一日の大半を過ごす独房の隅には、蓋付きで水洗式の便器があり、廊下から憲兵に見張られている状態で用を足す羽目になった。その近くには、ただ手先を洗えるだけの、小さな蛇口と流しもあった。(やけに獣臭いが、石鹸もある。)食事以外に水分が欲しければ、その水を飲んでも良いと言われた。汲むような道具は何も無いので、自分の両手を使うしかない。

 来る日も来る日も、私は「カンナ・ジングレンの居場所」と「国立観測所に対する恨み」に関する尋問を受け、その度に、自身の観測結果と陸軍に依頼した事項について、あるがままを話した。
 尋問の時間が来るたびに、私は体の後ろで手枷を填められ、腰に鎖をかけられてから、冷たい廊下を歩かされ、尋問用の部屋に置かれた椅子に、腰の鎖で繋がれた。
 カンナの居場所は「あの宿に居なかったのなら、私は知らない」と答える他は無かった。(あの兄妹と犬の存在は黙秘した。)
 憲兵は断固として私の言い分を認めず、埒が あかなかった。しかし、どれだけ机を叩かれ、胸ぐらを掴まれ、足を踏まれようとも、私が言う事は変わらない。私は「自分を冷遇した国立観測所への報復のために内乱を企てた」のではなく、人々の生命を隕石の脅威から守るために、駐屯地にまで赴いたのだ。
 憲兵達は、軍の動きや住民の避難に関する私からの質問には、一切 答えなかった。

 日が経つうちに、獣のように縛られることには慣れてしまったが、牢獄で監視を受けながら食う飯は「不味い」の一言に尽きるし、遠い昔に棄てた職や、腐りきった組織の実態について、改めて問い詰められるのは かなりの苦痛だった。せっかくの機会なので、精査されることを願って、一部の室長達による【隕石賭博】のことを暴露したが、それは「私が国立観測所を敵視する根拠」として、むしろ私を内乱の首謀者として裁きたい憲兵隊にとっては、有利な情報となってしまった。
 もはや、国内法に則って賭博を取締ることよりも、私とケントを【反逆者】として吊し上げることのほうが、彼らにとっては重要なのだろう。

 私は、連日 頭が痛かった。私が、こんな所で至極くだらない尋問など受けている間にも、隕石は あの街に迫っているのだ。にも関わらず、人々の避難が順調に進んでいるかどうかさえ、知る術が無い。
 憲兵達は、報道の内容や住民の避難に関する私の質問には一切 答えない。
 相変わらず、あれは「新彗星」扱いなのだろうか……?だとすれば、最悪だ。


 しかし、くだらない日々は、突如として終わりを迎えた。
 真夜中に、飛び起きるほどの地震があった。私は、壁と床に がっしり固定された寝台の下に、頭を突っ込んだ。腰より後ろは、寝具を被せて守った。そんなことをしても、建物が崩れれば【終わり】だが、牢獄なのだから、罪人を みすみす死なせたり、壊れた隙間から逃がしたりするような造りではないはずだ。

 雷に怯える犬のように身を潜めながら、私は、カンナが運転する自動車で隕石から逃げる、あの夢を思い出していた。
 これは、単なる地震ではないはずだ。予測よりは少し早いが、巨大隕石の衝突に伴う揺れに違いない。

 吐き気がするほどの長く大きな揺れが収まってから、憲兵が「動くな」と言いに来た。
 私は、寝台の下から頭を出して起き上がる他は、何も出来なかった。
 リュウバは、帝都から遠い。帝都近郊のこの地で、あれだけ揺れたなら……リュウバは、壊滅的な被害を受けているに違いない。何万人が亡くなったのか、考えるのも恐ろしい。
 また、下手をすれば我が一族の天文台や、ロクサスの街でさえ、何らかの被害を受けている……。
 カンナと その家族、あの兄妹、天文台の守衛達……見知った顔ぶれのことが、心配で ならなかった。
 私の母は、今は帝都で暮らしている。落下地点からの距離を考えれば、無事だとは思われる。ただ、母はもう高齢だ。家の中で、怪我をしていなければ良いが……。

 真実を知る術が無いまま、私は独房の中で【待機】を命じられた。相変わらず監視に晒され自由は無いが、別室に連れて行かれて尋問を受けることは無くなった。


 大地震から2日後の昼になって、憲兵が独房に新聞を持ってきた。
 私の予測より5日早く、例の隕石がリュウバの山に落ちたことは確かなようだ。
 記事によれば、リュウバの街だけではなく、近郊にあった陸軍駐屯地と海軍基地の双方が壊滅したと推測され、ケントが「水を飲むな」と言っていた川は、干上がってしまったらしい。
 軍人も含めて36万人が暮らしていたとされる街が、一夜にして消し飛んだ。逃げ延びた人の数は、まだ判らない……。海軍の船や、陸軍の車両によって数万の民間人を逃した日もあったと新聞には書かれているが、如何せん衝突そのものが予測より早かった。
 全員が逃げ延びたとは、到底思えない。
 それでも、私個人としては、やれるだけのことは、やった。偉大なる学者の息子として、出来る限りのことを、したはずだ。


 「あれは彗星ではなく隕石だ」という主張が正しかったことが立証され、私達は あっさりと釈放された。服と持ち物が返却され、2人で鑑別所の外に ただ放り出された。捕縛や尋問に対する謝罪は無かった。
 とはいえ、2人とも五体満足で解き放たれたことに、私は安堵していた。
 ケントは、一目では誰だか判らないほどに ひげが伸び、痩せこけてはいたが、しっかりと自分の足で立って歩くことが出来た。(彼も、かなり足を踏まれたという。)捕まった日に殴られた口元の腫れは引いていたが、下の歯が2本減っているのを、口を開けて見せてくれた。折れた歯が痛んで食事が出来ず、更には会話が ままならないからと、尋問中に憲兵によって引き抜かれたらしい。
 それでも、私達は久しぶりに自分の服を着て、愛用の武器を携えたら、それだけで身体に少し力が戻った気がした。

 
 再会できた瞬間は、互いの無事を喜び、元気に笑っていられたが、鑑別所から街へ向かう道を歩くうちに、ケントは活力を失っていった。やがて、がっくりと肩を落とし、ため息をついた。手には、憲兵から渡された新聞を持っている。
「俺の船……無くなっちまった」
それだけではない。隕石によって「死んだ」海へは、船を進めることが出来ない。そんなことをすれば【王の気】が溶け込んだ、いわば「毒水」の上を走ることになるのだ。リュウバより遥か南にある島へ、あの海を通らず帰るには……国土の西端付近から出港し、【王の気】が立ち込める海域を大きく迂回するしかない。
 そして、残酷なようだが島の人々が無事である保証も無い。津波が島を襲っているかもしれないし、近いうちに魚が死に絶えて漁が出来なくなることは、ほぼ間違いない。地上の産物だけで人々が食べていけるのか、私には分かりかねる。(今のところ、新聞には本土の被害状況しか載っていない。)
 私は、彼に何と言葉をかけるべきか解らず、ただ「カンナ達は無事でしょうか」と口にした。
「カンちゃんなら、大丈夫でしょ……賢いから。はぐれた時にどうするか、決めてあったんだろ?」
「それは、そうですが……」
「あれだけ憲兵共が『居場所を言え!』って騒いでたくらいだから、誰にも見つからずに逃げ延びたんだろうよ」
そうでなければ、困る。

 リュウバの方角の空は、怪しい雲が覆っている。隕石が落ちた直後というのは、必ず厚い雲が空を覆い、凄まじい雨か雪を何日も降らせる。もちろん、その水は【王の気】を たっぷりと含んでいる。繰り返し飲めば、死に至る。今後、衝突によって生じたクレーターの周囲では、草木の枯れ方や、獣の死骸等を確認して、慎重に【居住禁止区域】を定めなければならない。多くの学者が駆り出されるだろう。

 私達は今、怪しい雲に背を向けて歩いている。
「ラギ坊は、これからどうするんだ?鉄道で帰るのかい?」
「帝都に……母が住んでいるので、会いに行こうと思います。家には電話機がありますし……それで、カンナの家に電話をかけてみたいです」
「……俺も、借りていいかい?」
「はい、もちろん」
私は、しばらく彼との旅を続けることになった。


 鑑別所から最も近い街ワコトは、市場でさえ静まり返っていた。
 街の人々の多くが暗い色の服を着て、先日の大災厄によって多くの人が亡くなったという事実に、心を痛めているようだった。
 至極 真っ当な反応だと思った。

 たまたま選んだ宿の主人は、私達の装いと痩せ方を見てか「避難者から金は取らない」と言って、無償で泊めてくれた。
 その宿にも電話機はあったが、今は【国難の時】であるため、国が、軍や憲兵隊の通信手段確保を優先し、民間用の回線は一律で切ってしまったという。

 部屋に着くなり、ケントはブーツを履いたまま寝台に横たわった。
「俺の家が流されてたら、どうしよう……」
彼としては、あの街に暮らしていた人々よりも、やはり島に残してきた自分の家族が心配なのだろう。
 私は、もうひとつの寝台に腰かけ、ブーツを脱いだ。今のケントにかける言葉は、やはり見つからなかった。
 いたずらに言葉を並べたら、むしろ彼を傷つける気がした。

 私達は2人とも、鑑別所での処遇による疲れが、限界に達しているはずだ。
 何も食わずに眠ってしまいたいくらいだが、明日以降も歩くなら、やはり何かを食べなければならない。
 あっさりとしていて胃が もたれず、それでも身体に力が漲る、走鳥そうちょうの肉が恋しかった。この街でも手に入るかどうかは知らない。
「ケント殿……夕食は、何時にしましょうか?」
 彼は応えなかった。目を閉じて、妻や娘達のものと思われる名前を呟きながら、静かに涙を流し、ほとんど眠っているようだった。

 私は一人で受付まで降りていき、善良な主人に「走鳥の肉が手に入る店はあるか」と尋ねた。彼は、親切に弁当屋の場所を教えてくれた。
 教わった店に行き、蒸した雑穀の上に揚げた走鳥の肉を乗せただけの弁当を4つと、缶入りの茶を買った。
 部屋に戻り、彼を起こして弁当を2個ずつ食った。揚げ物には、初めからタレが かかっている。
「走鳥ってのは、美味いんだなぁ……」
彼は、初めて走鳥の肉を食ったのだという。
「軍人は、よく食べるのだそうです。走鳥の脂は、心身の傷や疲れに、よく効くといいます」
 その後、脂から造る薬の話とか、彼らの肌や羽毛の色、爪や羽から作る装飾品の話、彼らの声が「雨雲を呼ぶ」ということ……思いつくままに、私はケントに語った。
「ラギ坊は、地上の動物にも詳しいんだな」
「……ほとんど、カンナから教わりました」
「あ、そうなんだ……」

 腹一杯食って人心地がついたら、久しぶりの風呂でしっかりと身体を洗い、よく足を揉んでから寝た。
 明日以降も、きっと己の脚だけが頼りだ。


次のエピソード
【11.狂気】
https://note.com/mokkei4486/n/n48b00d9e4a6f

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