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小説 「六等星の煌き」 11

11.狂気

 帝都方面に向かう列車は、常に超満員だった。乗り切らない人々を運ぶための自動車が道を埋め尽くし、道が詰まって動きそうにない車を見捨てて歩く人も多く見受けられた。
 私達は、初めこそ気合を入れて列車に乗り込んだが、途中からは諦めて歩くことにした。人が犇めき合う中に立ちっぱなしでいるよりは、硬く舗装された道を延々と歩くほうが、まだ良い。あんな列車に長々と乗っていたら、何かしらの疫病を うつされるだろう。

 帝都は、我が国で唯一200万を超える民が暮らす街であり、中心には帝と その一族が住まう宮廷がある。貴族の大半も、帝都の周辺に屋敷を構えているという。
 帝都は建国以来一度も隕石が落ちたことが無い【聖域】であり、絶対神【そらの王】を祀る「王神教」の総本部が在る。


 朝にワコトの宿を出てから半日ほどで到着した、帝都の外れにある母の住まいは、以前と何ら変わらぬ佇まいだった。地震の影響は無さそうで安堵した。
 今年で80歳となる母は、帝都の生まれだ。父との婚姻を機に一度は離れたが、父が亡くなり、私が国立観測所の試験に受かって独立した後、一人で故郷に帰ったのである。兄弟や友人が暮らす街で、健やかに暮らしている。
 私が職を棄てた後、病んだ身体を休めたのは……この家である。

 くたくたの足で石造りの階段を上がって玄関で呼び鈴を鳴らし、母を待つ。
 扉が開くなり、母は泣いているかのように笑い出し、真っ先に大地の神への感謝を口にした。その長い決まり文句の後、やっと私の名を呼んだ。
「ラギ!!あぁ……よく無事で!!」
「母さんこそ……」
「貴方を鑑別所に入れるだなんて!国は、どうかしてるわ!!」
(ご存知でしたか……)
私の体の汚れを厭わず、手を握って無事を祝福してくれる母を前に、私は、ただこうべを垂れる。

 しばらく私を抱きしめていた母は、私の後ろに居たケントに気付くなり体を離し「そちらの方は?」と、私に問うた。「シアーズ室長の弟さんだ」と答えると、母は「まぁ!!」と声をあげ、大いに喜んだ。シアーズ元室長が亡き父の教え子であることは、もちろん母も知っている。
「随分と、お若い弟さんが おありだったのね!知らなかったわ……いくつ違うのかしら?」
「十、離れております」
「あら、そう……もっと若く見えるわ!」
「そうですかねぇ?」
ケントは、とぼけた返事をする。痩せこけ、ひげ面で、歯の欠けた自分を「若く見える」と言う人が居るのが、不思議でならないのだろう。

 私達は一人ずつ風呂に入ってから、随分と早い夕食にありついた。私達にとっては、その日 初めて食う飯だった。
 突然 帰ってきたにも関わらず、当たり前のように牛肉を使った料理が食卓に並び、母の得意料理であるスープには、荒野暮らしでは まず お目にかかれないキノコが ふんだんに使われている。(母は、普段から『長生きの秘訣』として、毎日牛肉を食している。)豪勢な食事には、母のお気に入りである高価な茶が添えられている。
 時世に相応しくない贅沢に思えたが、母としては、私の無事を祝い、来客をもてなしたいのだろう。
「これからが忙しいんだから、たくさん食べなさい!」
私達は丁重に「いただきます」と頭を下げ、それぞれが信じる神への感謝を述べてから、食事を始めた。(私と母は大地の神を信仰しているが、船乗りの彼が崇めるのは海の神である。)

 私達が何をしてきてリュウバで捕まってしまったか、母は知っていた。この家にも憲兵達が押しかけてきて、不審な持ち物や書状が無いか検めようとしたという。
 全ての捜索が終わる前に隕石が落下し、報せを受けた憲兵達は あっさり引き揚げたという。
「人様の家を無茶苦茶に散らかしておきながら、詫びの一つも無いのよ!?……ろくでもない連中だわ!!お父様が生きていたら……」
母は、その後「ガウスなら どうしたか」を、鼻息荒く力説した。
 ケントと私は、ただ傾聴していた。久しぶりの風呂で身体が温まり、腹が膨れ、眠気が押し寄せていた。
 その後、ケントの職業と家族構成を知った母は「まぁ、凄い!」と、手放しで称賛した。
「シアーズさんのお家は、とても変わってるのよ。うちみたいな天文台を持たないで、何百年も、船の上から星を観てきたお家でしょう?」
「そうです」
彼の兄と面識がある母は、彼らの先祖について詳しかった。ケントにも適宜 確認しながら、私にシアーズ家の成り立ちや変遷を語った。
 シアーズの一族は、先祖代々 海の上で暮らし、陸で暮らす者達の【隕石資源ありきの贅沢三昧】を良しとせず、母なる海に「死」をもたらす隕石を、ただひたすらに「警戒すべき災厄」と捉え、人の滅亡を避けるべく天体の動きを観てきたという。
「素晴らしいお弟子さんに研究室を譲ることが出来て……夫は幸せ者でしたよ」
「恐れ入ります」
「貴方のお兄様が現役だったら……あんな馬鹿げた新聞は、世に出なかったでしょう」
 母は、彼の兄が早めの引退をしたことも、その理由も知っていた。


 食事を終えて小休止をした後、ケントが「店が閉まる前に、着替えを買いに行きたい」と言い始め、私も同行することにした。
 銀行に行けば預金が引出せると言った彼に、母が気前良く「祝金」を手渡した。(災厄を逃れて生き延びたことを祝う金だという。)
 着替えどころか、新しい自動車が買えそうなほどの金額で、ケントは面喰らっていたが、母は満面の笑みで「お嬢さん達によろしく!」と言うなり台所に引っ込んで、明日の朝食用にと雑穀を洗い始めた。
 私は、当惑するケントに「船を買うには、足りないでしょ?」と耳打ちして、あえて金額の小ささを詫びた。
「いやいや、そんな……とんでもない……『少ない』なんて言っちゃ、ばちが当たるよ……」
 些か興奮気味のケントを、まずは銀行に連れて行った。閉まってしまう前に、ギリギリ間に合った。(帝都の銀行は、他の街よりも長く開いている。)

 帝都は、どの店も遅くまで開いている。
 今宵の寝巻き、新しい下着、明日以降に着るもの……何を買おうとしても、売り場は目移りを通り越して目眩がするほど品数が多く、そして、何もかも異様に値段が高い。2人で「災厄による高騰だろうか?」と話していたら、居合わせた他の客に「田舎者が居るぞ!」と笑われた。
「え……平時でも こんなに高いの?うわぁ……住みたくない……」
私も、同じことを思った。
 手早く最低限の買い物を済ませ、ケントと私は往来を歩く。

 街の雰囲気は、ワコトとは まるで違う。あちらは、まるで街全体が葬儀場のように静かだったが、こちらは、大きな祭りでも開かれているかのようである。
 街を歩く人々の動きや口調からは、犠牲者への哀悼の意よりも、苛立ちや興奮、そして怒りが感じられた。鉄道や街道の混み方を思えば、無理もないように思えた。
 避難者が押し寄せてくることや、従来通りの商売が出来なくなったことに、動揺を隠せない人は少なからず居るだろう。

 人々の声が、耳に突き刺さるようである。
「街が一つ消えたってよ!」
「随分でかい隕石だな!」
財布を盗られるわけにはいかないし、買った物を落とすわけにもいかない。母の家までの道は、私しか知らないはずだ。気をしっかりと保たねばならない。
「こいつの【気】が抜けたらさ……どれだけの鋼や燃料になるかな?」
「知らねえよ……かつてない、大儲けだろ!!」
「当分、安泰だよな!!」
男達の笑い声に、私は寒気がした。
(何故、貴様らは笑っている……?)
かつて街が在った場所には何人たりとも近寄れないため、被害の全容は明らかになっていないが……少なくとも数万人が亡くなったことは間違いないのだ。笑うような時ではない。
「しかし、まぁ……よく落ちるよねぇ!うちの国は!」
「【宙の王】様に、気に入られてるんだ!!」
「王様、ありがとう!!」
「王神教、ばんざーい!!」
あからさまな「祝賀」や「賛嘆」ではないか……!
 数十万の民が命を落とした、この上なく痛ましい【災厄】を、よもや祝福する輩があろうとは……。

 狂気に包まれた民衆を前に、私は目眩がした。
 立っていられなくなって、往来に手を着いて四つん這いになり、そのまま吐いた。
 側に居たケントが「ラギ坊!?」と声を裏返すのを聞いた後、見知らぬ人々が「汚い」だの「気持ち悪い」だのと騒いでいるのを聞きながら……気が遠くなるのも、感じていた。
 そのまま、地面に倒れ込んで、数秒もしないうちに、何も わからなくなった。




 目を覚ますと、自分の部屋に居た。見慣れた寝台の上で、氷枕に頭を乗せて、横向きに寝ていた。枕は冷たさを保っているが、氷は粗方 溶けているようで、自分の呼吸や頭の動きに合わせて、袋の中身が動く音がする。
「よぉ。今度こそ、目が覚めたかい?」
ケントの声がした。
 同じ部屋の中で、椅子に座って本を読んでいたようだ。(その本は、私の父が遺したものだ。)
 彼は、その椅子と本を手に、私の顔の側までやって来て、改めて座り直した。
「お医者様に来てもらってさ。注射を打ってもらったんだ。憶えてるかい?」
「いや……」
全く、覚えが無い。
「……ずっと、うなされてたもんなぁ」
私には、悪夢を見た記憶すら無い。
「気分はどうだ?」
「……頭が、痛い……」
「枕が冷たすぎたかな……」
 私は、小便がしたくなって起き上がり、冷えすぎて痛いほどの耳を、ひとまず手で温めた。
 彼は「お母さんに知らせてくるよ」と言い残し、部屋から去った。

 私は、用を足して戻ってきてから、母に会った。
「具合はどう?」
「とにかく、頭が痛いです……」
答えながら、私は寝台に腰を下ろす。
「吐き気はする?」
「いいえ……」
「明日、また先生が いらっしゃるからね。それまで、大人しく寝ていなさいよ」
「はい……」
母は「茶を用意する」と言って部屋から出ていき、ケントは残った。

 私の寝室にはラジオがある。それでニュースを聴いて、現在の日時を知った。往来で突然 吐き戻してから一夜明け、今は昼を過ぎている。
 ケントが言うには、私が倒れた後、彼は見知らぬ人を呼び止めて荷物を託した上で、気を失った私を背負い、この家まで帰ってくれたという。(荷物を運んでくれた人には、帰り着いた後で ささやかな礼を渡したそうだ。)
 その話を受けて礼を述べた次の瞬間、往来で何を見たのかを思い出し、再び吐き気に襲われた。激しく咳き込み、背中を丸める。
 ケントが、慌てて私の背中を さする。
「また、吐きそうか?」
「おえぇっ……!!」
ケントが、どこからかバケツを持ってきた。しかし、昨晩以来 何も食っていない私の腹には、吐くような物は入っていなかった。
 吐き気だけは凄まじいが、唾液の他は何も出てこない。


 母が持ってきた薬効のある茶で口をゆすいでから、改めて注いだ分を休み休み飲んでいたら、次第に吐き気は治まってきた。
 母は、ラジオを隕石のニュースばかり語るチャンネルから、音楽のチャンネルに切り替えた。災厄によって傷ついた人々の心を癒そうとするかのような、優しい曲が流れている。人の歌声は無く、ただ穏やかに弦楽器と鉄琴が奏でられている。
 ケントは今、枕に詰めるための氷を買いに走ってくれている。
 母は、私が気を失っている間に医者から聴いた事を、私に伝えてくれた。
「隕石のことで長いこと気を揉んで、鑑別所でも酷い目に遭って、神経が参ってるんでしょうって……」
認めざるを得ない。
「家に帰ってきて、お母さんの元気な顔を見て安心したら、緊張の糸が、ぷっつり切れたんでしょうって……先生が仰ってたわ」
それもあるだろう。
 しかし、私が、何よりも衝撃を受けたのは……帝都の民の価値観である。
 多くの生命が失われ、大地や海に、再び元のように生き物が棲めるかどうかも分からない。農耕に使える土地が激減し、死を招く雨が大地に降り注ぐのだから、今後、水や食糧の確保が難しくなっていくことは、目に見えている。
 にも関わらず、彼らは自国に【莫大な富】がもたらされたことを、大いに喜んでいる……。
 観測所で【隕石賭博】に興じていた輩と、同じだ。もはや、彼らも隕石を「金の塊」だと思っている。
(この国は……あと100年もしないうちに、滅ぶだろうな……)
衝突に伴う災害だけではなく、回収や錬成によっても人が死ぬというのに……この国は、隕石への依存を やめない。同胞の死や苦しみには関心すら寄せず、ただ「金」と「利便性」のみを追求する……浅はかな【金の亡者】の集まりだ。酷い国だ。

 私が黙りこくっていたら、母は「ゆっくり休みなさい」と言って、空になったカップを引き取ってくれた。
「また、難しい顔してるよ。ラギ」
「そうですか……?」
「貴方が賢いのは、私も知っているけれども……具合の悪い時にまで、難しいことを考え込んでいたら、また眠れなくなってしまうわ」
私は何も言えなかった。
 母はラジオを切り、改めて私に「何も考えずに休みなさい」と告げて、部屋を去った。

 やがてケントが帰ってきて、買ってきた氷を枕に詰めてくれた。
「ほらよ」
「ありがとうございます……」
私は、せっかくの氷が無駄にならぬよう、すぐ横になった。
「よそなら ありえない人混みで、気持ち悪くなったんだろ?」
「そうですね……。長らく、独りで天文台に篭っていたような人間ですから……人の渦というのは、とても恐ろしく感じます」
ケントは、再びあの椅子に座り、父の本を手にしている。
 私は、同じ光景を見ていたはずの彼に、昨夜見た赦し難い光景の話をした。
「彼らは……リュウバの街が滅んだというのに、巨大な隕石が手に入ったことを、祝福さえ、していました……」
「まぁ……そんな、クズも居るだろうよ。この国は、狭いようで広いぜ?」
「同じ国の人間が、何万と亡くなったばかりで……農地や水だって、今後どうなるか……!」
改めて憤りが込み上げてきて、身体が震え、涙が溢れた。
 ケントは、自分の子どもを宥めるように、何度も「大丈夫、大丈夫……」と言いながら、私の肩を叩いた。仰向けだった私を横向きにさせて「泣かない、泣かない……」「また熱が上がるよ」と、まるで風邪をひいて機嫌の悪い幼子をあやすように、背中をさすったり、優しく叩いたりする。
「ラギ坊は間違っちゃいないよ。……何も、間違っちゃいない。ラギ坊は、何年も前からずっと観測を続けて、国よりも正しい予測を出して……たくさんの人を、ちゃんと逃したじゃないか」
茶を飲みながら聴いたラジオによれば、現時点で生存が確認できているリュウバからの避難者は、わずか2万4千人である。(今後、新たに見つかって数が増える可能性はある。)
「普通に生きてたら、それだけの人数を救っちゃうこと、まず無いからね!?……ラギ坊は、立派だよ!【英雄】だ!」
私は、人々を「救った」という実感に乏しい。ただ、憲兵に捕まってなじられていただけなのだ。
「国だって、いずれ間違いに気付いたら……きちんと謝って、ちゃんと褒賞でも何でも、くれるだろうさ」
私は、帝からの褒賞が欲しいわけではない。
 私は、氷の冷たさに耐えきれず、起き上がった。震えは治まってきたが、涙は、ずっと止まらない。
「ラギ坊は立派だよ!さすがはガウス先生の子だ!」
「私は……実子ではありません……」
「だから何だよ!ガウス先生が才能を認めて、直々に天文を教えたんだろ?立派な来歴じゃねえか!」
「私は……たった6年しか、父と暮らせませんでした……」
その6年間のうちに吸収し続けたことが、今の私の礎だ。国立観測所では、まるで通用しなかったが……それでも、あの6年間こそが私の原点であり、全てだ。私は、父から学んだ生き方の他には、何も知らない。
「すげぇな!子どもの頃に教わったこと、全部しっかり覚えてるんだ!!……それが、街の人を救ったんだ!!」
その後、彼は改めて「すげぇよ!!」と声をあげた。

 私は、人生で初めて「家柄」ではなく「自身の生き方 そのもの」を肯定してもらえた気がして、胸の奥が熱くなった。
 再びケントに「泣くなよ……」と言われながら、私は、子どものように鼻を垂らして泣いた。

 彼と巡り逢うことが出来て、本当に良かった。


次のエピソード
【12.帰還】
https://note.com/mokkei4486/n/n0cb8d8ea17bb

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