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小説 「六等星の煌き」 12(最終話)

12.帰還

 母が私のために往診を頼んだ時のように、病院にだけは電話が繋がるが、他は、どこにかけようとしても一向に繋がらない。
 母に電話機を借りて、何度もカンナの家やロクサスの役場にかけてみたが、ただ「通話中」の音が鳴るのみである。未だに、国家が電話回線に厳しい制限を掛けているのだ。

 私は、連絡無しでロクサスに帰ることにした。
「ケント殿は……どうされますか?」
受話器を降ろし、彼に問う。
 島に帰るなら、ロクサスのある北ではなく、西の港に向かって、乗れる船を探さなければならない。彼がそうするなら、帝都の駅で別れることになる。
「俺も、カンちゃんの顔が見たいよ」
私も、彼女が自宅に「居る」と信じているが、行ってみなければ判らない。
「それに……ガウス先生が遺した天文台に、興味がある」
「わかりました」

 2人分の旅費は、母が持たせてくれた。
 出立の朝、母と別れの挨拶を交わしたら、私達は北へ向かう列車に乗り込んだ。

 鉄道を乗り継ぎ、夜になれば宿を探して泊まる。もはや、すっかり慣れたことだが、あの天文台に帰れば、私は再び、天体観測と蔬菜そさいの世話と、飯炊きだけの生活に戻る。鮮度の高い肉や、熱いシャワーとは縁遠い暮らしである。
 浮かれて良い時ではないが、今のうちに味わっておきたいものがある。


 帝都を出て3日目。
 カンナの実家である時計屋に入ると、カンナの姉キリが迎えてくれた。店の奥でガラスの壁に囲まれた修理台に向かっていた彼女は、右目に着けていた拡大鏡を外して私の姿を見るなり「おかえりなさい!」と歓声をあげ、修理の仕事を切り上げて席を立った。
 もっと奥の、客が立ち入れない場所にも修理のための工房があるが、そこを父親が使っている時や、今のように人手が足りない時は、彼女は店の片隅で預かり品の修理を進めながら、客が来れば相手をする。
 私なら、観測をしながら人と にこやかに話すなど、到底できない。星を正しく読むには、尋常ではない集中力が要る。大事な観測の最中に、不用意に声をかけられて、星々や身の安全とは無関係な話をされたら、非常に苛立つ。「邪魔をするな!」と言って、殴ってやろうかとさえ思う。
 キリが大きな声を出しているのを聞きつけて、奥から出てきたのはアイクだった。リュウバで会っていた頃よりも、身なりは随分と綺麗になっている。新しい服を、この家の誰かに買ってもらったのだろう。
「アイク!無事だったか!!」
「……おかえりなさい」
「サーヤと、カンナは!?一緒か?」
「裏に居るよ」
私は、キリ達にケントを紹介することもなく、裏庭へ直行した。

 煉瓦レンガ敷きの裏庭で、カンナがサーヤの側にしゃがみ、鈴の入った球を放り投げて、それをドンに持って来させて遊んでいる。カンナが、ドンから受け取った球をサーヤに手渡し「投げてごらん」と言う。サーヤが躊躇ためらいつつも放った球を、ドンは大喜びで追いかけ、きちんとサーヤに返しに行く。(サーヤも、新しい服を着せてもらって、髪が随分 綺麗になっている。)
 私は、その光景を見ているだけで、図らずも涙が溢れてきた。彼女らが無事で、元気に遊んでいるのが、嬉しくて堪らなかった。
 私の接近に気付いたドンが、球を追いかけるのをやめて一声鳴いた。
 それによってカンナが私に気付き、サーヤの肩を抱いて「ラギさんだぞ!」と言ってから立ち上がり、改めて私に頭を下げた。
「……無事の ご帰還、恐悦至極に存じます」
「貴女なら……確実に任務を遂行なさると、信じていましたよ」
 私が袖で涙を拭いながら彼女らとの再会を喜んでいると、店の裏口からキリとケントが出てきて、ケントの声がした途端、サーヤがカンナに しがみついた。
「大丈夫だよ。怖い人ではないから……」
カンナが、サーヤの背中を撫でる。
 サーヤは、知らない大人、特に男を怖がる。初めは、私やカンナのことも、ひどく恐れていた。
 キリが、サーヤに「こっちおいで」と言って抱き寄せ、そのまま抱き上げた。少し歩いて、私達3人から離れた場所に彼女を降ろしたら、小さな手を握って「お兄ちゃんのところに行こう」と言った。サーヤは、泣きべそをかきながら、それでも頷いた。
 キリはサーヤの手を引いて、店に戻っていった。
 ドンは裏庭に残って、熱心にケントの脚を嗅いでいる。
 彼は、それには構わずカンナに声をかける。
「いやぁ……カンちゃん、無事で良かったよ」
「恐れ入ります」
「俺、チビさんに嫌われちゃったかなぁ……」
「あの子は……慣れないうちは、誰であっても怖がるのです。…………もっと小さい頃に、目の前で母親を殺されたと、聴いています」
彼女に それを打ち明けたのは、アイクに違いない。サーヤは口が利けない。
「酷いことをする奴が居るもんだ……」
ケントが腕を組み、眉をひそめる。
 ドンが、ケントの次は私の足を嗅いでいる。
「それを知った、私の母は……あの2人を『うちで育てる!』と意気込んでいますが、父は、まだ それを知りません」
「カンナ殿は……帰ってから、お父様には会われましたか?」
「まだです」
「何故ですか!?」
「護衛の私が、ラギ殿を残して逃げたと知れば……父はひどく怒るだろうと、母に引き止められております」
「そんな……『子ども達を連れて逃げろ』と命じたのは、私ですよ!?」
「母としては……私とラギ殿が、揃って父に逢いに行くのが最良だと、考えているようです」
それは確かに「最良」だろう。しかし、彼は カンナが先に逃げたことを知ったとしても、咎めるような父ではないはずだ。彼女の「任務」が何であったかを知れば、頷くはずだ。
 ドンは、まるでカンナの飼い犬であるかのように、彼女の脚元に大人しく座っている。舌を出して彼女の顔を見上げ、話が終わって再び遊んでもらえるのを待っているかのようだ。
「地震の後、一度だけ父が家族の顔を見に来たと聴いていますが……その時、私は まだ帰り着いていませんでした。お二人が憲兵隊に捕まったと、リュウバでは噂になっていましたから……憲兵が、私を捜すに違いないと感じ、一旦はロクサスを通り過ぎ、実家に帰ることを避けました」
 彼女は聡明だ。

 そのまま3人で立ち話をしていると、突然ドンが一声鳴き、尻尾を振って駆け出した。カンナの母親が、買い物から帰ってきたのだ。大きなかごを持って、自動車を出し入れする門の傍にある 人用の小さな門から入ってくる。
 彼女は、出迎えに走ってきたドンを声で褒めてやってから、私達に気付くと、キリがしたのと同じように歓声をあげた。(カンナは父親似だが、キリは母親似である。)
 彼女も、私達の生還を大いに喜んでくれた。

 時計屋の2階にある住居で、香りの高い茶と焼き菓子を頂きながら少しだけ休んだら、身支度を整え、カンナの運転で天文台に向かった。
 道中、私はケントに天文台の設備や守衛達のことを、大まかに話した。


 久方ぶりに帰り着いた我が家に、傷や傾きは無さそうで、私は安堵した。
 玄関の扉を叩く。
 出迎えてくれたのは、守衛のブラッドである。
「おぉ!坊ちゃん!!ご帰還ですか!!」
「お元気そうですね、ブラッドさん」
「もちろんですぜ!!……おぅおぅ、カンちゃんも居るでねぇの。よくやった!」
彼女は、黙って礼を返すのみである。
「そちらの御仁は?」
ケントのことである。
「彼は……私の【同志】です。共に戦いました。私の両親と、ゆかりのある方です」
「そうですかい!そりゃ、大事なお客様ですな!」
「……おい、親父!!娘が帰ってきたぞ!!」
ブラッドが私と話している後ろで、ゴードンが声を張る。
 台所に立っていたらしいユーマが、逞しい腕を拭きながら出てきた。私の顔を見るなり「ご無事で何よりです!」と、朗らかに笑ってくれた。
「お帰りになったなら……飯が足りませんな。恐れ入りますが、少々お待ちください」
ユーマがそう言うと、他の2人が意気揚々と畑に出ていった。
 ケントが、ユーマに挨拶をして身分を明かした。ユーマも、自分がカンナの父親であり、この天文台の守衛であることを明かした後、丁重にケントに頭を下げた。
「遠路遥々、よくお越しくださいました」
 私が一人で暮らしていた頃より、居間は綺麗だった。砂埃など いちいち気にしていられない場所にある家だが、今は全てがきちんと拭き上げられている。
 守衛3人は、起きている間、暇さえあれば仕事をしている。敵襲に備えた見張りだけではなく、畑の世話も、火の番も、掃除も、全て抜かりなく行なう。
 彼らは、子どもが遊ぶかのように、気の向くままに のびのびと、それぞれの特技を活かしながら日々を送る。息をするように働く。それが、彼らの暮らしぶり そのものである。

 今の この家に、椅子は4つしかない。
「お疲れでしょう。どうぞ、お掛けください」
ユーマに薦められ、私とケントが座る。彼は台所に戻る前に、まだ座らず控えている娘に歩み寄る。
「よくぞ戻った」
「はっ」
カンナは父を前に、臣下のように頭を下げる。
「怪我は無いか?」
「はい」
「……何よりだ。よくやった」
ユーマは、いかにも満足そうに言った。
「腹一杯食えよ。坊ちゃんの蔬菜の他は、缶詰ばかりだが……」
「いただきます」

 カンナが席につき、まずは私達3人が先にユーマの手料理を食す。
 使う食材は同じであるはずなのに、私が作るものより美味い。

 守衛3人は、私達が食事を終えた後で、追加で作った料理を食う。来客などまず無い我が家は、食器の数も限られている。私達が使った物を、すぐに洗って、彼らが使う。
 ゴードンが言うには、小さな畑の蔬菜は、いよいよ収穫できる物が無くなりそうだという。
 私は「わかりました」とだけ応え、ケント達に天文台を見せに行った。

 天文台は、1階と地下が書庫、2階が観測室である。記録や書物のうち、比較的新しいものは いつでも見られるように1階にあるが、祖父の代より古いものは全て地下に保管してある。
 ケントは、父ガウスの直筆の文字を見て、感動のあまり震えていた。
「すげぇ……これが、ガウス先生の……」
私も、父が書いた文字を見ると、父に逢えたような気がして身が引き締まる。
 私は、2人を2階に案内した。
「父が【天体図】を仕上げた部屋です」
「ここが?……凄いな……」
ケントは、室内を見回した後、望遠鏡を見上げる。
「立派だなぁ……」
普段は、もっぱら船の上から手持ちの望遠鏡でそらを観るというケントは、ここまで大きい望遠鏡を初めて見たという。
「俺、今夜これを覗いてみたいな……。良いかい?」
「もちろん」
私は、彼だからこそ快諾する。
 カンナにも「見ますか?」と尋ねた。しかし、彼女は「私のような者が覗いても、価値は解らないと思う」として、首を縦には振らなかった。
「これは、きっと……この世に2つと無いでしょうし、非常に複雑な造りなので、万が一 壊れたら、貴女の お父様か、お姉様でないと……直せない代物です」
「なるほど……ワイルダー家の宝ですね」
「……そうですね。先祖から受け継ぎ、父が、この形に改良しました」
 その後も、私は しばらく彼らに望遠鏡にまつわる逸話を語った。

 私達が話していると、ユーマが、街に帰る日取りについて相談するためか、観測室まで螺旋階段を上がってきた。私が「今夜はケントと観測をします」と告げると、彼は「拝承しました」と応じた後、明日以降の予定を訊いてきた。
 私は、ユーマには一日も早く時計屋に戻ってもらいたかったが、そこで待つ「新しい家族」のことは、彼には帰るまで秘密にするよう、カンナ達の母親から きつく言われている。私は、彼に帰宅のことを どう提言すべきか、迷った。追い返すような言い方をしたら、いくら何でも無礼だ。
 すると、カンナが「父さん」と彼に呼びかけて、内ポケットから封書を取り出した。
「母さんから、手紙を預かってきたんだ」
「ん?」
「『すごく大事な話だから、誰にも見せないで。読んだら、燃やして』って……母さんが」
「何だ、それは……」
ユーマは、敵を警戒するような険しい顔で それを受け取ってから「夜衛やえい中に読ませてもらう」と答えた。


 深夜、私はケントと2人で観測室に篭った。天候に恵まれ、雲は少なく、涼やかな夜だった。
「大きな望遠鏡ってのは……良いなぁ」
ケントは、接眼レンズから目を離さない。
「まるで……そらが、すぐそこにあるみたいだ」
その後も、彼は少年のように「凄いなぁ」「夢みたいだ」と、感嘆の言葉を並べ、繰り返した。
「ここが【人里】ではないからこそ……妨げになるような灯りは在りませんし、空気が澄んでいて、正確な観測が出来るのです」
そらに夢中の彼には見えていないだろうが、私は胸を張った。
「大海の真ん中も、そうだよ。自分の船の他には、灯りなんて一つも無いんだ……だからこそ、六等星まで ちゃんと見えるんだ。……大きな港に近寄っちまうと、駄目だね。星を観るには明るすぎる」
夜の海というものを、私は よく知らないが、荒野の夜と同じように【漆黒の闇】が広がるのだろう。そして、水面下には鮫や海獣がうごめき、海上の闇には、賊が潜んでいるのだろう。……命懸けの観測と航海だ。
 接眼レンズから目を離したケントは、いかにも満足そうだった。
「いやぁ……本当に、来て良かったよ。ありがとう」
「喜んでいただけて、私も嬉しいです」


 開いていた天井を閉じ、少しでも眠るために寝室へ向かう途中、起きて夜衛をしていたユーマに、呼び止められた。
 彼は、暖炉の前の椅子から、立ち上がる。
「坊ちゃんがお連れになった、リュウバの孤児2人と……犬のことは、我々にお任せください」
妻からの手紙に、書かれていたのだろう。
「ジングレンの名に懸けて……立派に育ててみせますよ」
「宜しくお願い致します」
私に続き、ケントも深々と頭を下げた。

 翌朝、守衛達はそれぞれの家に帰っていく。ケントは、ユーマが運転する車に乗って、駅まで送ってもらうという。
「ありがとうな、ラギ坊。……しばらく、お別れだ」
「こちらこそ……ありがとうございました」
「島に帰ったら、手紙書くよ」
「お待ち致しております」
 全員と丁重に挨拶を交わした後、ユーマの自動車も走り出す。
 カンナを正式に雇いたいと申し出るのは、もう少し日が経ってからにすることにした。まずは、ユーマと子ども達の対面が先だ。


 独りの生活に戻って、数日後。あの『運び屋』が訪ねてきた。相変わらず、扉の叩き方が些か乱暴だ。音だけで、誰が来たか判る。
 玄関の扉を開けてやると、彼は砂だらけの顔で、飛び跳ねそうなほど興奮しながら言った。
「先生!先生!……とんでもない数の、お届け物ですぜ!!」
「え?」
「申し訳ありませんが……手伝っていただけませんかねぇ?」
「構いませんが……」
 彼の後について、輓獣ばんじゅうが牽いてきた車の後方に回る。帆布の幌が付いた木製の荷車の、後部には頑丈な扉があり、錠前が掛かっている。彼が、腰から提げていた鍵を挿し込んで、解錠する。
 彼との付き合いは長いが、車の中は初めて見た。私宛ての物だけではなく、他の家や街に運ぶのであろう品々が、奥のほうに固められている。
 彼は私に「待っていてくれ」と告げ、一人で車に乗り込む。探している物を見つけ出したら、私の手が届く場所にまで持ってくる。

 私が運んだのは、母からの荷物だ。いつもと同じ木箱に、帝都だからこそ手に入る食糧や薬が、今回も ぎっしり詰まっているに違いない。
 『運び屋』の彼が担いできたのは、巨大な袋だ。郵便物専用の袋で、輓獣の革で出来ているが、中身が濡れないよう水を弾く加工がしてある。それでいて、空気は よく通る。中の封書にかびが生えるようなことは まず無い。

 ドサッという音と共に、彼が居間に袋を降ろす。
「いやぁ……すごい数ですな。これ全部、先生宛ての お手紙ですぜ!」

 かつてない量の手紙のことが非常に気になるが、まずは『運び屋』の「娘」に水をやらなければならない。
 
 彼が「娘」と呼んで可愛がる輓獣を家の裏に連れて行き、水と氷砂糖を与えて杭に繋いだら、私は居間に戻って届け物を検める。(不審な物があれば、そのまま持ち帰ってもらいたかった。)

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 封書の大半は、表に私の名が書いてあるだけで、正確な住所は書かれていない。「ロクサス郊外」とか「荒野の天文台」とか、最低限の情報だけが添えられているものもある。(それでも きちんと届いたことに驚いた。)
 差出人の住所は、ほとんどが今はもう存在しないはずの、リュウバの名から始まっている。
 私達の訴えを聴いて、避難して生き延びた人々から……ということだろう。しかし、彼らは故郷と財産を失い、他者への贈り物などしている場合ではないはずだ。

 未だに名を知らぬ『運び屋』が見ている前で、私は次々と封を開けていく。
 それらは ほぼ全て【感謝状】で、私とケントに対する感謝の言葉が綴られていた。

【貴方達が「あれは隕石だ」と教えてくれたから、私達は逃げることができて、今も生きています】
【貴方を信じて良かった】
【本当に ありがとう】
【偉大なる学者の立派な御子息に、深く感謝 致します】
【貴方は 我が国の誇り】

 見るだけで涙が溢れるような、感謝や賞賛の言葉が並ぶ。
 ごく僅かだが、私の「付き人」たるカンナの安否を気遣う手紙や、避難の呼びかけへの【謝礼】として、紙幣や、少量の砂金が同封されているものもある。
 畏れ多くて、身体が震えた。

 あれは、謝礼や賞賛のために、した事ではない。偏に、私は街の人々の生命を守りたかった。亡き父から受け継いだものを、貫いたまでだ。
 しかし……最も肝要な時に、私は牢獄の中に居た。隕石が迫る地を離れた、崩れる心配の無い安全な場所で、おめおめと生き延びた。
 送られてきた手紙を読んで、初めて……私は「ごく一部とはいえ、街の人々を救うことが出来た」という、実感を得た。

 母の家で、ケントに「何も間違ってはいない」「立派だ」と誉めてもらえた時のことが、思い起こされる。
 私は、何年も【気狂い】と呼ばれて罵られ、また、起こした騒動によって一度は捕らえられたが…………私の学びと決断は、決して間違ってはいなかった。
 手紙をくれた人々に、感謝の言葉を叫びたいのは、私のほうである。

 「素晴らしいじゃねぇですか!先生……!」
今、この歓びを分かち合える仲間は『運び屋』しか居ない。彼も、私が読み終えた手紙に目を通し、涙を浮かべている。
 彼は、私の父にあやかって、息子に「ガウス」と名付けた男である。私への賞賛を、身内のように喜んでくれている。
 私は、インク書きの文字が滲むのにも構わずに、肩を震わせ、歯を食いしばるようにして泣いた。
「私、これを……父に見せたい!!」
願いを叫び、つばきが飛ぶ。
「きっと、ご覧になってますよ。お空の上から……」
 私達の信じている「教え」によれば、全ての生き物は、死後に肉体は土に還り、魂は空に還るとされている。(もちろん、その空は、天文学者が日々睨んでいるそらとは、別のものである。)
 空に還った魂は、風となって自由に世界を巡り、雲を運ぶ。大地に生きるもの達に恵みの雨をもたらし、時に災いをもたらしながら、再び生まれ落ちる日を待っている。人であろうと、他の何であろうと、空に還った魂は全て平等である。人や獣の胎に、あるいは何かの卵に、種に、新しい生命が宿る時、空を巡る魂の、どれか一つが、大地の神に導かれて降りてくる。新しい肉体を手に入れた魂は、己が「前は、どんな生き物であったか」を忘れてしまう。全く新しい生涯を、最期の日まで、ただひたすらに生きる。
 生き物が生まれ、死ぬたびに、同じことが繰り返される。

 かつて、我が父として生きた魂は……まだ、空を巡っているだろうか?

 手紙を読んで涙を流しつつも、喜びに満ちた声で笑う『運び屋』を前に、私は唐突に思い立ち、2階の私室から便箋と封筒を取ってきて、一通の書状を書き上げた。
 律儀に手紙の山を袋に戻してくれた『運び屋』は、ペンを走らせる私を前に、鼻をすすりながら茶を飲んで、私の母から届いた焼き菓子を食っている。(半分は、私のために残してくれている。)
 便箋には偉大な働きをしたカンナへの深い感謝と「彼女を正式に雇用したい」という旨を綴り、それを、頂いたばかりの砂金と共に封筒に閉じ込めた。私一人だけが、全てを頂くわけにはいかない。
 天文台の地下にある金庫を開けて、家紋の入った印璽いんじを探す。これは、ワイルダー家の人間として送る、正式な書状である。きちんと蝋で封印をする。

 出来上がった封書を、彼に託す。(もちろん、彼にも金貨を手渡す。)
「大切な書状だ。よろしく頼むぞ」
「へい。……我が命に代えましても」
 彼が「娘」と共に旅立つのを見送ったら、私は今宵の観測に備えて飯を炊く。


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 他には誰も居ない、一人きりの夜である。しかし、世界に独りというわけではない。遠く離れて暮らしていても、私には【同志】が居る。彼らと私の行動を、讃えてくれた人々が居る。故に、決して孤独ではない。
 むしろ、私は自身が この地に在ることが誇らしい。荒野での暮らしは確かに不便だが、私は大いに満足している。
 どこよりも清らかな空の下、誰よりも正しく生きた父のように、私も……末永く、正しく あらねばならない。
 私は、他の生き方を知らない。
 この魂が空へと還る、その日が来るまで……私は【学者】であり続けたい。


 【完】



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