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小説 「六等星の煌き」 8

8.同志

 昨日も、川原で あの兄妹と昼飯を食った。ドンは、私達を見ても吠えなかったが、近寄ってこなくなった。サーヤは相変わらず一言も話さず、決して笑わない。それでも、食欲だけは旺盛だった。アイクは、私が言った通りに、なけなしの家財道具を ほとんど全て一つの箱にまとめていた。
 日が落ちて、星が見えるようになってから、望遠鏡を手に食堂や酒場を廻って、大人達に「あれは『新彗星』ではなく『隕石』だ!」「この街に落ちる!」「皆、逃げてくれ!」と警告し続けた。希望する者が居れば、望遠鏡を貸して、夜空を見せた。
 そこで配るための、図解を併記した警告文を、前夜のうちに書けるだけ書いた。(全てが手書きである。)
 しかし、予想はしていたが、誰一人として、私の警告を信じなかった。案の定「気狂い」呼ばわりで、偉大なる父の名を出しても、私は「偽者」扱いされた。
 侮蔑され、酒をひっかけられ、店から追い出され……そんなことを、夜通し繰り返した。私が殴られそうになったら、カンナが護ってくれた。終わりのほうには、びしょ濡れの状態で店に入ることとなり、それだけで不審人物として扱われた。

 皆「新彗星」という報道を信じ込んでいる。
 何より、「過去 数百年、隕石は落ちていないからこそ、この街が在る」という事実が、彼らにとっては私を「気狂い」と見なす最大の根拠であった。
 我が国は、成り立ちから二千年近い、非常に由緒ある国である。その国の長い歴史において、隕石が落ちる場所など、調べ尽くされているかのように、民衆は信じ込んでいる。古の天文学者達は大変優秀であり、国じゅうに点在する 現行の【居住禁止区域】は、300年以上 改められていない。その区域外に落ちた例は、300年間のうちに10もない。
 また、強大な権力を握る『王神教おうしんきょう』の教団は、隕石が「街に落ちる」という惨劇を避けるべく、日々 熱心に活動しているのだ。私の予測は、その信徒達にとって「侮辱」や「反逆」に等しい。私は彼らの怒りを買い、冷や水や汁物を かけられた。
 あるいは、私を「重篤な心の病に侵されている」と見なして、憐れむ者さえ居た。人々に懇々と予測を語る私ではなく、連れのカンナに励ましの言葉をかけ、硬貨や菓子を手渡した婦人が2人居た。

 初日にして、早くも心が折れそうだった。
 しかし、負けるわけにはいかない。
 私は、酒臭い衣類を宿で洗濯しながら、次の夜にはどこへ向かうべきか、必死に考えていた。
 せめて、話に耳を傾けるだけの冷静さと智慧がある人々に会いたい……。



 今朝は、早いうちに兄妹と飯を食い、宿へ戻る途中で紙の束を買った。
 再び、宿で無数の配布物を作り、夜に備える。インクの乾いた紙を束ねたり、汚さないよう封筒に入れたりする程度の雑務は、頼むまでもなくカンナがしてくれた。
「今夜は、どこへ行きましょうか?」
「食事処は やめましょう。酔客など、話にならない。王神教とゆかりのある施設も、危険です」
私は、もはや体が覚えている警告文と図解を、ひたすら紙に書き続ける。
 きりの良いところで、手を止める。
「カンナ殿は、リトスが解りますか?」
「存在だけは、存じております。盤上に、2色の石の駒を並べて、動かして、獲り合うのでしょう?……やったことはありません。駒の形によって、動きが違うというのが、どうにも覚えられず……」
「それが強い者は、賢しいのです。リトス小屋へ行けば、賢しい者に逢えます」
「……なるほど」
 父が、幼き日の私にリトスの勝負を持ちかけたのは、私の知恵を測るためである。
 私の強さを見せつけてやれば、居合わせた人々は、私を「狂っている」とは思わないだろう。


 粗末な夕飯を済ませ、紙の束を詰めた鞄を手に、私達はリトス小屋に向かう。
 そこは、リトスの対局がしたい人々が集まる店で、滞在時間に応じた料金を支払えば、店が用意した盤と駒を使い、誰とでも自由に対局が出来る。幼子から年寄りまで、富める者も、貧しい者も、そこで盤を挟んで向かい合えば、対等だ。勝敗を決めるのは、財力や門地ではなく、知恵である。
 私は、幼き日に、父に連れられて幾つものリトス小屋に行ったことがある。天文学の世界においては『神』であるかのような父も、そこでは一人の老人にすぎなかった。父は「無名だった頃の純粋な気持ちを取り戻せる」として、リトス小屋を大変 好んでいた。職を退いた後、私が学校に行っている間、父は大抵どこかのリトス小屋に居た。

 入ってすぐの受付で2人分の料金を支払い、盤が並んだ店内を見回す。
 客は ほとんど男ばかりで、特に年寄りが多い。駒の並んだ盤を前に唸っていたり、勝負とは無関係の「観客」として他の盤上を覗いていたり、使い終わった盤を律儀に拭いていたり、皆、自由に過ごしている。
 リトス小屋というのは大抵、連戦で疲れた時や、対局の相手が見つからない場合、一人で駒を動かして演習をしていてもいいし、奥にある休憩所で読書をしたり、別料金の軽食を頼んで食ったりしてもいい。思い思いに過ごすことが出来る。
 ここでの「集会」だけが楽しみという年寄りも、少なからず居るだろう。

 盤が並ぶ部屋の一角に、一際「観客」の多い盤がある。日に焼けた白髪の老人と、私達と似たような旅装をした壮年の男の対局だ。老人は腕を組んで どっしりと構え、若いほうの男は、伸び放題の癖毛をぐしゃぐしゃに掻き乱しながら、何やら独り言を口にしている。
 老人のほうが、圧倒的に優勢なのだろう。
「うわぁー……これは、もう無理だな。『負けました』」
若い男が投了し、対局が終わった。
 勝った老人と、常連客らしい年寄り達が笑いだす。
「いや、こんな事してる場合じゃないんだよ!さっきから何度も言ってるけど、みんな、今日にでも鉄道に乗って、リュウバから出ないと、死ぬんだぜ!?みんな!!」
髪だけでなく ひげも伸び放題で、身なりは汚らしいが、負けた男は、私の考えと同じことを口にした。
「だから『俺に勝てたら、信じてやる』と言っただろ!?だが、おまえは負けたんだ!」
勝った老人は、駒を片付けながら、朗らかに笑っている。
「いや、だから、俺が勝ったらとか、関係無いの!爺さん!隕石は、誰が勝っても落ちるんだから!!」
「まーた、始まった!」
老人達は、皆 笑っている。
 私は、堪らず そこへ行った。
「あの!隕石が落ちるというのは……!?」
「兄ちゃん。気にしなくていいよ。こいつの、いつもの戯言だ。こいつは、お勉強のしすぎで、頭が、ちょっと……」
自分が嘲笑を受けたような気になり、腹立たしく思った。
 私は、持参した紙を、老人の顔の前で広げてみせた。
「私も、同じことを皆さんにお伝えしに来ました!」
「何だ?……今、流行ってるのか?そういう、デマが……」
「デマではありません!!」
 私は、自筆の警告文を片手に、自身が かのガウス・ワイルダーの息子であること、国立観測所勤めであったこと、連日報道される「新彗星」の話題は誤報であること、自身の観測と計算によれば、近いうちに巨大な隕石が この街に落ちること、軍の関係者にも同じ事を伝えたことを、淡々と述べた。
 老人達が、顔を見合わせる。
 対局に負けた男は、大きな音を立てて拍手をしながら「素晴らしい!!」と叫んだ。
 やがて、拍手をしたまま、立ち上がる。
「同志だ!!君は同志だ!!……しかも、何?あの【天体図】の、ガウス・ワイルダー大先生の息子さん?……素晴らしい!!」
 店じゅうに響き渡る、大声だ。
 私と同じように、警告を無視され続けて精神が参っているのか、対局による頭の疲れが尋常ではないのだろう。どうも、彼は気が平常ではないように見受けられる。
「どうだ!爺さん達!!これでも、まだ俺を疑うのか!?」
立ち上がった男は、舞台の上で役者がするように、大きな身振りと声で、年寄り達に問いかける。他の客に、この やりとりを誇示したいのだろう。
「そんなこと言ったってな……軍からの発表は何も無いぜ?」
「まだ、出てないだけだ!!今にきっと、海軍の船が動きだすぞ!!……だが、全員が逃げるには、もっと早く動きださないと、乗れる船が無くなっちまうぜ!?今からでも地上を走って逃げな!!」
男は盤が並ぶ部屋を歩き回り、大きな声で語り続ける。皆が、黙って聴き入っている。
「大爆発や、火事を逃れられてもなぁ……隕石には【王の気】ってものがあるんだ!!世にも恐ろしい……死の病に罹りたくなけりゃ、いっそ隣の国へでも逃げな!!」
まるで、一人芝居である。
「いいか!?おまえら、この隕石が落ちた後、絶対に、あの川の水を飲むなよ!!あの川は、死ぬ!死んだ川の水は、全ての生き物を殺す、毒水となるんだ!!」
(そうか……隕石によって『死ぬ』のは、海だけではないのか……!)
私は、そこに思い至らなかった。
「どんな貧民でも、『レタ・ルスク』は知ってるだろ?【王の怒り】だ!……死の病だ!!あれで死にたくなけりゃ、早く逃げるんだ!!」
店内が静まり返る。

「お、おっかねえ……!」
一人の年寄りがそう言ったのを皮切りに、店内が騒然とし始めた。
 客達は口々に、隕石や【王の気】について話し合い、逃げることについて話し始める。ついに、人々の心が動き始めたのだ。
 ばらばらと、客達が店から出ていく。私とカンナは、持参した紙を人々に配る。
 昨日とは違い、皆、当たり前のように受け取ってくれる。

 全ての人に配り終え、私は、胸を張って警告を叫んだ彼にも、1枚だけ渡しに行った。
「すみませんが、貴方は……?」
いくら私がガウス・ワイルダーの息子でも、予め話を広めていた彼が、学の無い ただの旅人なら、誰も私達を信じなかっただろう。
 何より、私と同じことを危惧しているということは、彼には私と同等の知識があり、天体観測に必要な技術と設備を有しているのだ。名のある学者か、その弟子に違いない。
「俺は、ケント。……ケント・シアーズ。学者くずれの、船乗りだ。船を進めるために、星を観てきた。……そこで、今度の隕石に気付いた」
「シアーズ?……あの!国立観測所に、シアーズ室長という方が……」
「あぁ。それは、うちの長兄だな。……俺は、出来の悪い半弟さ」
「半弟?」
「俺は後妻の子だ。長兄とは、母が違う」
(あの室長の、腹違いの兄弟……!)
信用できる人物だと感じた。
「いや、それよりも!お兄さん、ガウス先生の息子なんだろ!?それのほうが、凄いよ!!」
「いえいえ、そんな……」
私は、謙遜する他はない。

 彼の興味の対象が、カンナに移った。
「そっちの人は、お弟子さん?」
「いえ、彼女は私の護衛です」
「彼女?……マジかよ」
そのような反応に すっかり慣れている私達は、何も言わない。
「男の子に見えるなぁ……“ラギ坊“の、弟みたいだ!」
返しに困る。
「私は、ただの駒です。あの石と変わりません」
「そんな哀しいことを言いなさんな!……お嬢さん、お名前は?」
「カンナ・ジングレンと申します」
「……カンちゃんて、呼んでいい?」
「どうぞ。ご自由に」
 学があっても、船乗りは船乗りだ。我々とは、気質が違う。彼は、我が家の守衛だったブラッドやゴードンと、同じ匂いがする。
「失礼ですが……シアーズさんは、おいくつなのですか?」
「俺?……48、だったかな?」
私とは、親子でも おかしくない年齢差だ。「坊」と呼ばれても、致し方ない。
「ところで、ラギ坊。この街には、他にも幾つかリトス小屋があるんだ。どこへ行っても、俺は ずっと笑いものだったけどな……おまえさんが一緒なら、みんなの心が動く気がするんだ。
 一緒に来てくれるか?」
「もちろん!」
 一日も早く人々を逃したいという意志は、私も同じだ。


 私達は心強い仲間と巡り逢い、夜ごとにリトス小屋を廻った。国立観測所に縁のあるワイルダーとシアーズの名が揃えば、人々は私達を信じる。偉大なる先祖に感謝した。
 あれ以来、物を投げられることは無くなった。
 日中には、実際に避難を始める住民の動きを感じられるようになった。
 店から保存食が消え、駅は人で溢れ、彼らの大移動に激怒する王神教の信徒達が、往来でも怒鳴っている。新聞屋は困惑し、労働者に逃げられた主人は怒り狂い、宿の電話機は いつも誰かが使っている。

 私は、確かな手応えを感じていた。


次のエピソード
【9.捕縛】
https://note.com/mokkei4486/n/nb5183100daa1

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